お題 ここではないどこか
ふと、窓の外を覗いた時。
眠りから覚める直前。
遠い国のおとぎ話を読んだ後。
私たちは一瞬だけ、ここではないどこかへ旅立てる。
そこには巨人がいたり、魔女がいたり、恐竜がいたり。
大人に話せば一笑に付されるような話だが、ホントのことである。
現実逃避だろうが、妄想だろうが。
想像力の世界では、人はいつだって自由なのだ。
ダイヤモンドの輝きのように、色んな世界があって、色んな人がいる。
ここではないどこかは、いつだって私たちの味方だ。
お題 繊細な花
いつからか、毎年夏になると、家の庭に一輪の百合が咲くようになった。
これがまた変わっていて、花弁も茎も葉も、何もかもが透き通ったガラス細工のような姿をしている。
その花弁に口付けをしたら、解けていってしまいそうで怖いといったのは、祖母だったろうか。
夏の焼き尽くさんばかりの陽射しをいっぱいに受け、鮮やかな虹色の光を零すその花は、彼女の言葉通り酷く繊細だった。
子供の頃、その美しさに惹かれた私が茎を手折ろうとした瞬間。
眩いガラス細工の輝きは、瞬時に宙に解けて消えた。
後に残ったのは、行き場もなく宙を掴む私の手。
何が起こったか分からず大泣きする私に、父も母もてんやわんやだったそうな。
それからというもの、私は決して夏の庭には近づかなくなった。
それは子供時代の苦い思い出から、意味の薄れた行為へと変わり。
十数年経った今日、私は何故か、ふと懐かしい庭への道へ足を向けた。
結婚への心配からか、家を離れる寂しさからか。
ただ、言葉に出来ぬ不安が私の足を突き動かす。
気づけばそこは、幼い頃の記憶より緑の増えた、だけど面影のある、懐かしの庭だった。
草と土の匂いが鼻を通り抜け、直接脳に突き刺さる。
桜の木の少し横、睡蓮が咲く池の脇辺り。
果たして、そこに百合は咲いていた。
ガラス細工の姿も、虹の輝きも、寸分違わぬ姿でそこにいた。
しかし、その姿は子供の頃より何倍も、いや何十倍も美しかった。
ふと、滑らかな花弁が口付けを待ちわびているように見えて。
ふらふらと近づき、その前にしゃがみこむ。
顔を近づけ、唇を寄せる。
花弁は、冷たかった。
「……そう、あと三ヶ月だって。」
とある病院の一室で、看護師二人が会話している。
「まだ若いのにねぇ…。」
「女が短命の一族なんて、あそこも大変な一族だわ。」
「たまに長生きする方もいるけど、ほとんどの人が四十代までに亡くなってしまうんだもの。もう呪いじゃない。」
「そういや今回の子も百合の花がどうとか言ってたけど、ほんとにあそこんち何かあるのかしら。」
「ちょっとやめてよ、私怖いの苦手なんだから!」
「冗談よ。」
いきましょ、と2人は部屋から去っていく。
後に残るものは、何もなかった。
お題 好きな本(今回は小話ではなく独り言として)
『世界から猫が消えたなら』
中学生の時、学校で泣き声を我慢しながら読んだ、思い出深い本。
一番好きなのが主人公がお母さんの手紙を読むシーン。母親の無償の愛が優しすぎて、苦しかった。
生きる意味の答えのひとつを、これで学んだ気がした。
『中原中也詩集』
「サーカス」とか「また来ん春…」「汚れつちまつた悲しみに」も凄く好きだけど、「頑是ない歌」が個人的に一番だと読む度に思う。
ふとした瞬間感じる、子供の時に見た光景を思い出して、どうやったってもうあの頃に戻れない悲しさとか、妥協して生きなきゃいけない人生のどうしようもなさを、こんなにも優しく静かな言葉で表せるのが凄いと思う。
図書館で見かける度に借りてる本。
お題 あじさい
僕の知り合いには、花好きな人がいる。
彼の庭には、季節ごとに沢山の花が植えられていて、近所でもちょっとした名物になるほどの美しさらしい。
春には桜、夏に月下美人、秋に彼岸花、冬には椿。
何度か彼のお宅にお邪魔させて貰ったが、なるほど噂に違わぬ素晴らしさ。
いつからか、季節の変わり目には必ず彼の家を訪ねるようになっていた。
「紫陽花、今年は咲くのが遅いね。」
それは、例年通り彼の庭を訪ねた時の事だった。
陰鬱な雨の続く水無月の中で、彼の庭を見て心を落ち着かせようと思ったのだが、
「実は最近、庭の調子が悪くてね。」
申し訳なさそうな顔の彼の後ろには、鮮やかな緑葉を茂らせた紫陽花の生垣。
その光景を見て最初に思ったことは、純粋な驚きだった。
毎日の手入れを怠ったことのない彼が間違えるなんて、珍しいと思ったのだ。
「悪いけど、また来週来てくれ。来週中には咲くはずだから。」
その言葉を信じ、私はひとまず家へ戻った。
それから約一週間後、彼は逮捕された。
殺人と、死体遺棄の罪だそうな。
ふと、あの紫陽花は何色に咲いたのだろうと考えた。
お題 理想のあなた
動物的細胞変形症―――通称、ユピテル症候群。
彼女がそう宣告された時の顔を、俺は多分、一生忘れない。
ユピテル症候群――罹患した者は、一日に一度、本人が望む姿に変身する奇病。
望めば、世界一の美女になることも、人外の生物になることも可能だという。
ただしその代償として、罹患した者は数ヶ月程で息絶える。
「もしかして先生、私が可哀想とか思ってる?」
新雪の如き純白の体を持つ猫は、まるで人間のように笑う。
「医師としてはな。」
「やめてよね同情なんて。そんな安っぽいもの貰ったって、ちっとも嬉しくないから。」
猫の声帯から少女の声がするその光景のミスマッチ具合にはまだ慣れない。
「そんなことばかり言ってるから、友達が誰一人としていないんじゃないか?」
「るっさい。」
金の目で睨まれるが、毛程も怖くない。
「とにかく、さっき説明した通りだ。これから毎日丁度日付が変わる瞬間、君は別の何かに変化する。それが例えば蟻なんかの小さいものだったり、魚なんかの水中で生きるものだと対応が大変だから、前日までにこの変身届出証に望みの姿を書いておくこと。……一応言っておくが、宇宙人とかそういう無茶なものは書かないように。」
「分かってる分かってる。」
毛繕いをしながら生返事で答える。
「あと、これが一番重要な。」
ユピテル症候群が終わる日、つまりお前が死ぬ日の姿だけは自分で決めることができない。これはどの患者も一緒で、シーラカンスになったり桜になったりと様々な例が観測されている。その日の前日にはみんな揃って雷みたいな痣が出るらしいから、見つけたらすぐ教えるように。
「それじゃ、あと数ヶ月。短い命だが頑張れよ。」
「はーい。」
病室の扉に手をかけると、「ねぇ先生?」背後から声をかけられる。
「医師としてじゃなくて、浮気されてフラれた元恋人としてはどう思ってる?」
ほんの数秒、時が止まる。
ようやく動いた俺の口は
「ざまぁみろって思うよ。」
ありきたりな言葉しか紡がなかった。
あれから彼女は色んなものに変身した。
目がやたらでかいポメラニアン、鉢に植えられた蒲公英、妖しげな雰囲気の美女、雀、菊の花、緑の濃い雨蛙、往年の俳優のような老紳士、毛量の多い羊、一輪挿しのガーベラ、エトセトラ、エトセトラ………………
マッコウクジラと書いてきた時は流石に止めた。
毎日対応に追われることにも慣れてきた。
しかし、それも明日で終わる。
「あともうちょいで明日ね。」
穏やかな目をした老女は、首筋に痛々しげに刻まれた赤黒い稲妻型の痣に触れる。
「…最後にやり残したことは無いか。」
「あるわけないでしょ?もう全部やりきったわ。」
キッパリと言い切るその姿が古い記憶に重なる。
「…ほんと、相変わらずだったよな。その人を舐め腐ったみたいな口調。」
その姿に惹かれて、嫌悪した。
「私だって、言わなかっただけであなたの嫌いなとこいっぱいあったのよ?医師としても、一人の人間としても。」
目玉焼きにドレッシングかけるとこでしょ、飲み物買ってきたら全部炭酸なとこでしょ、おにぎり全部塩味で作るとこでしょ、それから……
指折り数え始めた彼女の姿に何故か笑いが込み上げる。
「随分つまんない事で悩んでんだな。」
「当たり前でしょ?つまんない事こそ譲れないものが多いのよ。」
今度こそ堪えきれず笑ってしまう。
何だか、酷く懐かしかった。
彼女とただの人間として話すのも、心から笑うのも。
「とか言ってたらほら、もう日付が変わるわよ!」
時計を見れば、確かに秒針が長短の針と並ぼうとしていた。
「じゃあな。最後の日はもうどんな姿でも話せなくなるから、これが正真正銘最後の会話だ。」
「分かってるわよ。」
ベッドに横たわるしわくちゃな顔が、まるで未来の彼女のように見えた。
「バイバイ、またね。」
カチ、と音がなり、デジタル時計の表記はゼロに戻る。
ベッドでは、一匹の赤い熱帯魚が苦しげにバタバタと動いていた。
正直なところ、彼女が熱帯魚になることは何となく分かっていた。
昔、まだ付き合ったばかりの頃。
初デートの水族館で見た、熱帯魚コーナーの水槽。
緑草に映える赤い体に、何となく隣に立つ彼女の姿が重なった。
あれはきっと、本能的な感だったのだろう。
水槽の中、まるでたった一人のステージみたいに、鮮烈な赤だけ残していくその姿を、僕は一生忘れないだろうという予感。
それはきっと、病名を告げた時の彼女の顔――満面の笑顔――と一緒に、これからも残り続けるだろう。
そんなことを思いながら、水槽の中で腹を浮かばせて死んだ彼女をビニール袋に入れ、生ゴミのペールに捨てる。
蓋が閉まる直前、どうせなら握り潰せば良かったな、と今更ながら後悔した。