いろ

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12/31/2023, 12:09:32 PM

【良いお年を】

 雪の降り積もった駅までの道を、慎重に歩いていく。大晦日の夜に転んで怪我でもしたらたまらない。
 年の瀬ギリギリまで働いて、ようやく仕事納めだ。小さく息を吐けば、少し前を歩いていた先輩がこちらを振り返った。
「お疲れさま。年末までごめんね」
「いや、先輩が謝ることじゃないですから!」
 会社や上司に多少の不満はあれど、俺以上に忙しなく働かされている先輩に謝罪をされると、むしろ俺のほうが申し訳なくなってくる。慌てて首を横に振れば、先輩は困ったように眉を下げた。
「休ませてあげられなくて、本当にごめん。これ、良かったら少しだけどもらってくれる?」
 差し出された紙袋を反射で受け取った。中を見ればそこには缶ビールとチョコレート。どっちも俺が好きだって言ったメーカーのものだ。
「良いお年を、ね」
 にっこりと優しく微笑んだ先輩の顔を見たら、吐きそうなくらい忙しかった年末ではあったけれど、それだけで良い一年だったなと思ってしまった。
 

12/31/2023, 5:17:03 AM

【1年間を振り返る】

 今年一年を漢字一字で振り返ってください――雑誌に掲載された年末定番のインタビュー記事をぼんやりと眺める。自分で答えたはずなのに、いまいち内容を思い出せなかった。年末は仕事が忙しすぎて、一つ一つのインタビューへの答えまでいちいち覚えていられない。
「っていつも言うわりには、ちゃんとした内容を答えてるんだよなぁ」
「こういうのはパターンがあるんだ。十種類くらい用意しておけば、ひとまずは困らない」
 インタビューを受けるたびに真剣な顔で時間をかけて答えを考えている相方へあっさりと告げれば、彼は「それが難しいんだってば」と短く唸った。相変わらず真面目そのものだ。この生真面目さで潰れてしまわなければ良いがなどと他人事のように思って、けれどすぐに内心で首を横に振った。
 その程度で潰れるヤツなら、そもそも俺の相方なんかになっていない。誌面に踊る俺の選んだ今年の漢字……『絆』なんてありきたりな文字を指先でなぞり、まあ悪くないチョイスだったかもしれないなと薄く笑った。

12/29/2023, 11:55:41 PM

【みかん】

 面会室に入れば、柑橘類独特の爽やかな甘い香りが鼻をくすぐった。
 この世界を守護する偉大なる盾と称される男が、みかんの皮をぺりぺりと剥がしている。皮がむければ次は白い筋を。丁寧に、丁寧に、彼の手の中でみかんは美しく整えられていった。
 囚人を待つ間にみかんをむき始める面会者がどこにいるという話だ。刑務官たちも完全に戸惑いの顔を浮かべていた。
 何をやっていると問うのは簡単だったけれど、革命を望んだ僕たちを鎮圧し、殺戮し、そうしてお飾りの指導者だった僕をこの牢獄へと捕らえたヤツに話しかけてやるのも癪で、黙って男の行為が終わるのを待つ。やがて満足したのか、男はみかんを半分に割り、そうしてその片方を何故か僕へと差し出した。
「食べなよ。その腕じゃみかんなんて、むけないだろ」
 ひらひらと揺れる、中身の詰まっていない薄っぺらい囚人服の右袖を見つめながら、男は淡々と口にした。自分で人の腕を斬り落としておいて、よくもまあ抜け抜けと言えるものだ。小さくため息を吐いた。
「ひとつ教えてあげる。貧民街ではみかんなんて、皮ごとかぶりつくものだ」
 だから別におまえの手助けなんてなくったって、僕はみかんを食べれる。そう遠回しに主張して、僕は男の差し出すみかんを口に食む。英雄様と人々からもてはやされ飾り立てられた、世間知らずの馬鹿な男。どこか僕と似通った哀れな男の施しを、寛大な心で受容してやることが、無機質な監獄につながれた僕に与えられた唯一の役割だった。

12/29/2023, 4:26:55 AM

【冬休み】

 しなびた畳の匂いの香る祖母の家。凛と冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んで、僕は一番奥の座敷へと向かう。
「久しぶり」
 声をかければ嬉しそうに笑って僕を振り返る、着物姿の幼い子供。小さい頃は近所の子だと思っていたけれど、僕が小学生になり、中学生になり、それでも出会った時と一切見た目の変わらないこの子が人間ではないのだと、その頃に初めて気がついた。
「今年もまた一緒に遊ぼう」
 冬休みにしか会うことのできない、人ならざる僕の友人。除夜の鐘を聴きながら君と過ごす年越しが、僕の大切な習慣だ。鞠を片手に駆け寄ってくる幼い君を、両腕で優しく抱きしめた。

12/28/2023, 4:17:28 AM

【手ぶくろ】

 貴人の所有物に触れる際には、必ず手ぶくろをつけなさい。下賤な者の肌が触れるなど決して許されることではありません。物心ついた頃から、常に厳しく言い聞かされてきた。それなのに。
「そんなもの要らないよ。良いから早くはずして」
 僕の手を覆う手ぶくろを不愉快そうに見下ろして、この世で陛下の次に貴い主人は吐き捨てた。戸惑っていれば無理やりに腕を取られる。やめてください、汚れてしまいます。そう震える声で述べれば、その方は嘲るように口角を持ち上げた。
「汚れる? どうして? 君も私も同じ人間だ」
 ずっと身につけていた手ぶくろがあっさりとはずされる。美しい指で、その方は僕の手を握りしめた。
「ほら、綺麗な肌だ」
 そう告げたその方の柔らかな微笑みを、初めて触れた人の手の温度の優しさを、きっと僕は永遠に忘れないだろう。

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