いろ

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11/26/2023, 9:56:40 PM

【微熱】

 俺の横では腐れ縁と称すべき幼馴染が、妙にイライラとカップ麺の出来上がりを待っている。小さな『上手くいかない』が積み重なって不機嫌になっているのだろう。そこでどうして今日に限って上手くいかないのかに全く思考が及ばないあたりが、俺からしてみると相変わらず馬鹿なのだ。
「それ食ったら今日はもう寝ろよ」
「……何で」
 ギロリと睨みつけられるが、コイツが俺を傷つけることはないと知っているので何も怖くはない。わざとらしく軽く肩をすくめてみせた。
「熱あるだろ。悪化させたくなきゃ大人しくしてろよ」
「え……?」
 ぱちりと目を瞬かせたソイツは、不思議そうに首を捻る。そうしていると途端に印象が幼いものに変わるのだ。
「また気づいてなかったのかよ。いいかげん自分で自覚しろって」
 言いながらソイツの額に手を当てた。この感じならまあ微熱だろう。無理せず寝ていればコイツなら明日には下がってるはずだ。医者に診せる必要はないなと判断した。
「……いつも気づいてくれて、ありがとう」
「はいはい、そりゃお前より俺のほうが、お前のことをちゃんと見てるからな」
 まったく、いつまで経っても俺の幼馴染は手がかかる。それを面倒とも厄介とも全く感じていないのだから、俺も俺でたいがいだとは思うが。お湯を入れて3分経ったことを示すスマホのタイマー音がピロピロと、二人きりの室内に鳴り響いた。

11/26/2023, 12:13:06 AM

【太陽の下で】

 芝生に寝転がり目を閉じる。吹き抜ける風の涼やかさ、照りつける陽光のもたらす熱、普段は気にも留めないそういった自然の心地よさが、視界を閉ざすだけで鋭敏に感じられた。
 病で視力のほとんどを失った君は、それでも世界を美しいと言う。僕なんかよりもよほど的確に周囲の姿を捉え、キャンパスの上へと鮮やかに描き出す。君の世界を共有したくて、たまにこうして目を瞑ってみると、全く同じにはなれなくても少しだけ君の気持ちに近づけるような気がした。
 近くにいるのが当たり前だった幼馴染。世間でその才能を高く評価され、どんどんと遠くへ行ってしまう親友。今ごろはパリの華やかな街並みを、白杖を片手に颯爽と歩いているのだろう。
 太陽の下で思い浮かべる君の姿はあまりに輝いていて、誇らしさと寂しさが奇妙に入り混じった感覚がした。

11/24/2023, 10:33:44 PM

【セーター】

 ぎゅうぎゅう詰めの通勤列車を降りた駅で、赤いセーターを見かけた。黒い背広姿ばかりの中ではやけに目立つそれに一瞬、君がいるのかと錯覚する。
(……バカみたいだ)
 君がいなくなってもう四年に差し掛かるというのに、いまだに僕は君のことを探しているんだ。その事実に気がついてしまって、胸が痛くなった。
 どっちが似合うと思うなんて洋服屋で君が持ってくるのは、いつも派手な色の服ばかりで。どっちも似合うよと返せば頬を膨らませられたものだった。そういう毎日が、どうしようもなく好きだった。
 首に巻いた赤いマフラーに顔を埋める。君と共に過ごした最後の誕生日に贈られた、編み込みのマフラーだ。
『お揃いだね』
 お気に入りの真っ赤なマフラーで笑った君の声を思い出して、目の奥がじんわりと熱くなった。

11/23/2023, 9:27:56 PM

【落ちていく】

 客引きたちのやかましい声。けばけばしい蛍光色のネオンの明かり。歓楽街の喧騒にもいつしかすっかりと慣れてしまった。
 ボロアパートの一階の角部屋が、今の僕たちの棲家だ。生まれ育った古くさい因習に雁字搦めになった村を君と二人、手を取り合って逃げるように飛び出して。そうして流れ着いたのがこの街だった。
「ただいま」
 小声で呼びかければ、君の健やかな寝息が聞こえる。起こさないように足音を殺して畳へと上がり、薄いせんべい布団にくるまった君の横に膝をついた。
 あの村にいれば村長の子供と土建屋の社長の子供として、僕たちは不自由なく成長することができただろう。だけどあの頃の僕たちはそんな未来を望まなかった。
 生活費を稼ぐために犯罪スレスレの仕事に手を出す今の生活は、確かに心身を疲弊させていく。まるで底なし沼にどこまでも落ちていくように。それでも閉鎖された村で飼い殺されるよりはずっとずっとマシだった。
(君と二人なら、どこまで落ちたって構わない)
 確かな決意を胸に、眠る君の頬へそっと口付けた。

11/22/2023, 9:29:25 PM

【夫婦】

 ルームシェアを続けて五年。両親も友人たちも皆一様に「そろそろ結婚したら」なんて言ってくる。今日も今日とて職場の同期たちとの忘年会で結婚を勧められ、私の機嫌は急降下していた。
「うわ、無茶苦茶不満そうな顔してんね」
 表情が乏しいと評されがちな私の顔を一瞥しただけで、こんな的確なことを言ってくるのは世界で君だけだ。おつかれ、なんて言葉とともに犬でも撫でるみたいにワシャワシャと髪をかき混ぜられる。
 君のことは好きだし、一緒に生きていきたいとは思っている。でもそれは私たちの意思による結論であって、法的な拘束力だとか世間的な体裁だとか、そういうものに縛られるのはごめんだ。私も君もその点は合意していて、むしろそこに共感できたからこそ私たちは互いを隣に置くことを選んだ。
「おかえり、ココアでも淹れようか?」
「……ただいま。うん、飲みたい」
 夫婦なんて形式、私たちには必要ない。おかえりとただいたを言い合える、それだけの関係性があれば必要十分だ。
 キッチンへと向かう君の大きな背へと、小さくありがとうと囁いた。

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