【どうすればいいの?】
冷蔵庫の中を確認して首を捻る。さて今日の夕飯は鶏の唐揚げと鰤の照り焼きのどちらにしようか。君へ希望を尋ねる前に、愛用のトランプを手に取った。
どっちがいい? どうすればいい? そういう問いかけは君に対しては禁句だ。普段から数多の他人の人生を背負った判断をさんざんにさせられている君は、家の中でだけは思考を容易に放棄する。何も考えたくない、全部任せるなんて言われた最初こそ、いやじゃあ私はどうすればいいのと困り果てたものだけれど、これが君なりの甘えなのだと気がついてからは、この面倒くささすら愛おしいのだから、これはもう末期症状というものだろう。
引いたトランプのカードはハートの5――赤のマークだから、夕飯のメニューは鶏の唐揚げに決定だ。
「夕飯、鶏の唐揚げにするけど良いよね」
カードをひらひらと振りながら尋ねれば、ぼんやりとテレビの画面を眺めたまま君は「うん」と小さく頷く。ふかふかのクッションを抱きかかえた君は年齢よりもずっと幼く見えて、こんな姿を見せてもらえる特権を噛み締めながら、私はエプロンをかぶった。
【宝物】
ちょっと綺麗な形の石に、真っ直ぐでツルツルの木の枝。そこらで簡単に手に入りそうなそれらは、私以外の人間には何の価値もないのだろう。だけど私にとっては、子供の姿をした可愛らしい友人がせっせと贈ってくれた愛おしい宝物だ。
「……これ。今日、タンジョウビなんだろう?」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、頭に生えた狐の耳が不安そうにゆらゆらと揺れている。差し出された真っ赤な紅葉を、両手で大切に受け取った。
「今年も覚えていてくれたんだ。お祝いしてくれてありがとう」
一番鮮やかに色づいた紅葉を、君は毎年お祝いに贈ってくれる。今年も完全に乾燥させてから、栞に加工するとしよう。私がまだ幼い頃からずっと変わらない習慣だった。
出会った頃に用意した大きなブリキのクッキー缶は、君と重ねた日々の思い出が数えきれないほど詰まった私の宝箱だった。
【キャンドル】
真っ暗な室内に入ればゆらゆらと、キャンドルの火が揺れていた。漂う花の香りからして、アロマキャンドルか何かなのだろう。むせ返るようなそれに眉を顰めて、俺は問答無用で部屋の明かりをつけ、窓を開け放った。
「何をしてるんだ。遠回しな自傷行為ならやめておけ」
「そんなんじゃないって。貰い物でね、一回は試さないと感想聞かれた時に困るでしょ」
淡々と応じるおまえの顔色が少しだけ青白い。炎が怖いくせに弱みを見せまいと外では隠し通すから、こんな面倒な貰い物を寄越されるのだ。
「もう感想作りには十分だろう。消すぞ」
良いよと許可が出る前に、火を吹き消した。強張っていたおまえの肩から力が抜ける。今さら俺相手に取り繕う必要もないのだから、俺が一緒にいる時に試せば良いものを、一人でやりたがるのはプライドの高さゆえなのかなんなのか。
それでも強がりなおまえが、震える手を隠さずに俺の手を握るから。周囲の全てを敵だと思っているおまえに多少なりとも信頼してもらえているのだという事実だけで、今は満足しておくことにした。
【たくさんの想い出】
長命種というのは厄介だ。長い時を生きすぎて、記憶の整理がつかなくなる。千年前と百年前の出来事が頭の中で入り混じり、気がつけば愛していたはずの人たちの笑顔すら曖昧にぼやけていく。
だから私は自分の記憶を抽出し、宝石へと作り替えることにした。抽出された記憶は私の中からは消えてしまって、もうその片鱗を懐かしく懐古することすらできない。それでも。
宝箱の中に溜まった、キラキラと美しく輝く色とりどりの宝石たち。大切に取っておきたいと思える記憶が、私の無駄に長い人生にはこれだけの数あったのだ。その事実が私の胸をあたたかく包み込んでくれる。
数えきれないほどたくさんの想い出のカケラたちを、太陽の光に透かして愛でながら、私は幸福に満ちた自分の人生に少しだけ口元を綻ばせた。
【冬になったら】
まるでオブジェのように聳え立つ無数の樹氷。太陽の光が雪原に反射して、目が焼けてしまいそうなほどに眩しく輝く。頬を包む冷たさも気にならないほどに美しく雄大な景色に思わず口を開けば、真っ白い息がプカプカと空に浮かんでいった。
『冬になったら、樹氷を見に行こうよ。それでそのまま雪山に入ってさ、二人で身を寄せ合って凍えて死のう』
衝動的に自分を殺してしまいたくなる僕の、手首から流れる血をギュッと布で抑えつけながら、君は柔らかく微笑んだ。いつだって君は僕の無意味な行為を咎めることなく、次の季節になったら二人で終わろうと優しい夢を見させてくれる。手袋に覆われた君の手を、そっと握りしめた。
「どうする? 一緒に死ぬ?」
「……ううん、今日はいいや」
君の問いかけに首を横に振る。幻想的な光景を目にすると圧倒されてしまって、常に僕の心を覆っているはずの漠然とした希死念慮が消えてしまう。それに僕は、君を失いたくない。二人で死のうと言ってくれる君に安堵しながら、君を僕の死にたがりに付き合わせたくないと願っている。
「もうちょっとだけ、一緒に生きてよ」
君の手を掴む力を少しだけ強くすれば、君もまた同じように僕の手を握り返してくれる。冬になったら、春になったら、夏になったら、秋になったら、そうしてまた冬になったら。君と交わし続ける約束だけが、僕を世界に留める軛だった。