いろ

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11/2/2023, 3:42:18 AM

【永遠に】

 永遠なんてないのだと、かつて君は吐き捨てた。社会の在り方も人の心も、簡単に移ろい変わっていく。だから永遠に変わらぬ愛なんて、世界のどこにもないのだと。
 夜の公園で一人きり、ブランコに腰掛けた君の背中をそっと抱きしめた。愛想を振り撒くことに疲れ果てた時、君はいつもこうして真夜中にブランコを揺らす。社交性と交渉能力に優れるくせに、他人を一切信用していない君の孤独を感じるこの瞬間が私にはひどく悲しくて、だけどそれ以上に愛おしく感じられた。
 このときこの瞬間だけは、君は私を拒絶しない。私の声を腕を、ただぼんやりと受容する。君にとっての私がそれなりに『特別』であることの証だった。
「また飽きずに来たんだ」
「うん。面倒だなって思うまではそばにいるって約束したでしょ?」
 冬の風にさらされて冷え切った君の耳へと囁きかける。永遠に隣にいるよ。そう伝えているのと同じことだ。だって私が君を面倒だと思う日なんて、一生訪れるわけがないのだから。
「……ありがとう」
 私の想いを知ってか知らずか、君は柔らかな声でつぶやいて、私の手を自身の手でそっと包み込んだ。

10/31/2023, 9:59:12 PM

【理想郷】

 目の前に広がる荒廃した大地。あちらこちらに物言わぬ幻獣や人間たちの骸が転がり血の赤が散乱する中で、真っ青な空だけが絵に描いたように鮮やかだった。
 北の大地に棲まう堕ちた女神の吐息を受けた者の魂は閉ざされた理想郷の夢に囚われ、永遠に目覚めることはない――そんな古くからの伝承に心躍らせながらこの地を訪れたと言うのに、これでは期待はずれも良いところだ。やれやれと深いため息を吐いて、口の中だけで小さく呪文を転がした。
 人々からの信仰を失い魔物へと転じた女神へとかけてやる情けなどどこにもない。人間からの依頼を受けて魔物を狩る、それが僕の仕事なのだから。
 あっけなくひび割れ霧散した目の前の夢の世界。現実へと姿を引き摺り出した元女神へと追撃の魔法を放ち、その命を刈り取った。こぽりと血を吐き出した彼女の口から、小さな囁きが漏れる。
「……哀れな魔術師だ……世界の荒廃を望むくせに、世界の安寧のために術を使うとは……」
「うるさいな、僕の勝手だろう。黙って死んでおきなよ、古き時代の遺物風情が」
 呪いのような声に心が騒めきを訴える。苛立ちのままに術を行使し、彼女の身体を焼き尽くした。……ああ、そうだ。僕に世界への愛着なんてない。僕以外の全ての生物が死に絶えた静寂こそが、僕の真に望む理想郷だ。だけどそれでも。
『お願い。どうか世界を恨まないで。この世界の人々を守ってあげて』
 たった一人。この世でたった一人、僕の魔術を畏怖することもなければ、利用しようともしなかった美しい人。君が望むから僕は、世界を守る側に立っている。
 燃え残った女神の残骸に背を向けた。さあ、また気ままに世界を旅して回ろう。そうして人々から頼まれれば、頼まれるままに魔物を殺す。そんな変わり映えのない日常だ。
 君のいない世界に価値なんてない。それでも君が愛した世界だから、僕は僕の理想郷を実現することなく心の奥に飼い慣らしている。

10/30/2023, 9:56:41 PM

【懐かしく思うこと】

 忘れてほしいと君は言った。君と出会った日の青空も、君と過ごした日々の煌めきも、そうして最後に微笑んだ今の君の姿すらも。全て忘れて、生きてほしいと。
 秋が深まり紅葉の舞う季節になると思い出す。庭の池を一面の紅葉が埋め尽くした日、綺麗だねと呟いて息を引き取った君の白皙を。
(ずるいなぁ)
 君と重ねた記憶を、忘れたくなんてないのに。ずっとずっと愛でていたいのに。君が願うから私は、思い出してしまった君の姿を記憶の奥底へと封じ込めるしかない。懐かしく思うことすら許してくれないなんて、本当にずるい人だ。
(いつかまた会えたなら、死ぬほど文句を言ってやるんだから)
 だからこの憂愁は、今は忘れ去ってあげよう。もう一度会うその時まで、大切にとっておいてやる。それが私の、我儘で傲慢な君へ送るたった一つの抵抗だ。
 君の口の端から溢れた血のように赤い紅葉を一枚拾い上げ、手の中でくしゃりとそれを潰した。

10/30/2023, 3:52:40 AM

【もう一つの物語】

 世界を恐怖で蹂躙した悪の魔王は、心優しく勇敢な勇者たちに倒されて、人間たちは魔王に支配され使役され続けてきた哀れな魔族たちと手を取り合い、世界には平和が訪れました。めでたし、めでたし。
 子供たちの寝物語として世に広がった、この国の歴史を描いた物語。勧善懲悪な英雄譚。デフォルメされた可愛らしいイラストの表紙を指でなぞって、小さく息を吐き出した。
 魔族が迫害されることなく生きられる未来のために、悪に徹した王。種族間の争いは絶対悪を処断しなければ永遠に終わらないと判断し、自らを犠牲とすることを選んだ愚かな王様。
(僕の敬愛する王は、今でもあなた一人だけだ)
 夜空にリュートを爪弾き、歌を奏でる。世界中を旅しながら、僕は吟遊詩人として彼の物語を紡ぎ続けるのだ。たとえ世界に普及した魔王の物語は変わることはないとしても。人々の中で彼は悪でしかないとしても。そうでなかったということを、せめてもの抵抗に僕だけは語り続けたいから。
 魔王の側近として生きた僕だけが知る、もう一つの物語。たった一人の僕の王様への哀悼を込めて、僕は声を張り上げた。

10/28/2023, 10:46:44 PM

【暗がりの中で】

 電気を落とした真っ暗な家の中で身を潜める。暗い家は昔から大嫌いだった。両親の怒鳴り合う声の響く中、押し入れの片隅で膝を抱えていた日々を思い出すから。だけど。
 手の中のクラッカーと電灯のスイッチとを、そっと握りしめる。どうしてだろう、君のことを思うとこの闇も怖くないんだ。君がどんな顔で驚くのか、嬉しそうに笑ってくれるのか、そういうことを想像するとひたすらに胸が弾んで、暗がりの中で過ごす時間も悪くないもののように思える。
 玄関の鍵の開く音。廊下を歩く規則正しい足音。
「ただいま。あれ、いないの?」
 不思議そうな君の声が耳朶を打つ。勢い良く立ち上がり、クラッカーを盛大に鳴らした。
「お誕生日おめでとう!」
 スイッチで電気をつければ、あまりの眩しさに目がくらむ。電灯の真っ白な光に照らされた君の瞳が、驚愕に大きく見開かれていた。まるであの日、家を追い出されて路地裏で膝を抱えていた僕を見つけてくれた時と同じように。
『え、子供……? こんなところで何してるの⁈』
 太陽の光を背負った君が、まるで神様のように見えたことを覚えている。あの日から僕の人生は君のもので、君が笑ってくれる姿が僕の生きる意味になったんだ。
「お祝いしてくれてありがとう、むっちゃ嬉しいよ!」
 満面の笑みで僕を抱きしめてくれる君の温もりが、空っぽな僕の心を満たしてくれた。

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