【理想郷】
目の前に広がる荒廃した大地。あちらこちらに物言わぬ幻獣や人間たちの骸が転がり血の赤が散乱する中で、真っ青な空だけが絵に描いたように鮮やかだった。
北の大地に棲まう堕ちた女神の吐息を受けた者の魂は閉ざされた理想郷の夢に囚われ、永遠に目覚めることはない――そんな古くからの伝承に心躍らせながらこの地を訪れたと言うのに、これでは期待はずれも良いところだ。やれやれと深いため息を吐いて、口の中だけで小さく呪文を転がした。
人々からの信仰を失い魔物へと転じた女神へとかけてやる情けなどどこにもない。人間からの依頼を受けて魔物を狩る、それが僕の仕事なのだから。
あっけなくひび割れ霧散した目の前の夢の世界。現実へと姿を引き摺り出した元女神へと追撃の魔法を放ち、その命を刈り取った。こぽりと血を吐き出した彼女の口から、小さな囁きが漏れる。
「……哀れな魔術師だ……世界の荒廃を望むくせに、世界の安寧のために術を使うとは……」
「うるさいな、僕の勝手だろう。黙って死んでおきなよ、古き時代の遺物風情が」
呪いのような声に心が騒めきを訴える。苛立ちのままに術を行使し、彼女の身体を焼き尽くした。……ああ、そうだ。僕に世界への愛着なんてない。僕以外の全ての生物が死に絶えた静寂こそが、僕の真に望む理想郷だ。だけどそれでも。
『お願い。どうか世界を恨まないで。この世界の人々を守ってあげて』
たった一人。この世でたった一人、僕の魔術を畏怖することもなければ、利用しようともしなかった美しい人。君が望むから僕は、世界を守る側に立っている。
燃え残った女神の残骸に背を向けた。さあ、また気ままに世界を旅して回ろう。そうして人々から頼まれれば、頼まれるままに魔物を殺す。そんな変わり映えのない日常だ。
君のいない世界に価値なんてない。それでも君が愛した世界だから、僕は僕の理想郷を実現することなく心の奥に飼い慣らしている。
10/31/2023, 9:59:12 PM