新しい靴を買った。
そしたらなんだか気分が良くなってあてもなく散歩に出た。
梅が咲いてる。
これって梅干し出来んの?なんて聞かれたっけ。
キーキー甲高く鳴くあの鳥はヒヨドリ。
ばあちゃんちの木にみかん刺してたら来んのマジ可愛いって、言ってる君の方が可愛いよなんて思ったな。
自然と足がむいたのはよく行く商店街で、2人でよく食べたコロッケを売ってるお肉屋さん、
それからいつもオマケしてくれる八百屋さんに、試飲どうだといつも勧めてくるお酒屋さん。
近くの公園で隠れてキスをした。
そこのベンチは昔君にバレンタインチョコを渡したところで、あの角っこの電柱でよく待ち合わせした。
どこを歩いても君との思い出がいっぱいで、思い出の君が笑顔を向けていて。
……そんな君は、今
「おい!」
「あれぇ、どうしたの?」
「どうしたのはこっちのセリフだっつーの、急に散歩出てくるとかメッセージきてビビったわ」
「靴新しくなったし天気もいいしさぁ」
そんな私の言葉に君が呆れたように笑う。
並ぶ君と私の手が自然と絡んで結んでそして歩き出す。
「ここ来たんだからコロッケ買って帰ろうぜ」
「ソースいっぱい付けてもらってね」
そんな君は今、私の隣にいる。
今も、昔も、これからも、きっとずっと。
「あー…ちょっと待ってて」
デートの帰り、いつもの帰り道。
そう言い残して、何故か帰り道とは違う方向へ駆けていアイツの背中を呆然と見送った。
いつもはウザいくらい話しかけてくるわ、隙あらば手を繋ごうとしたり肩を組んできたり、話していてもちょっとした事で「え、俺のことそんなに好きなの?」と一々妙な自己解釈を入れてくるこの男が、何故か今日はとても静かだった。
話しかけても上の空で、きっとなにか悩み事があるんだろうなとは思ってはいたけど、執拗いくらいにグイグイくるあのテンションが何故だか妙に恋しくなったり、過剰なほどのスキンシップが無いのもちょっと寂しくなってしまった。
極めつけはこれだ。置いてけぼりだ。
「……はぁ」
少しずつ寒さが緩んできたとはいえ、2月半ばの夜だ。普通に寒い。こんな状況で心まで寒い。
ちょっと待っててって、どれだけ待てばいいんだか。
人の流れの中一人突っ立っているのもはばかられて、そそっと道の端に寄って壁に凭れ掛かる。それと同時にまた一つ零れたため息が白く煙って消えていく。
一緒にいるのに上の空ってなんだよ、ばーか。
私の事好きなんじゃないの?大好きなんじゃないの?
人目があってもベタベタしてきて、なに言っても俺が好きだから?なんて言うくらい好きなんじゃないの?
……なのに。
なんで、こんなとこで急に一人で何処かに行っちゃうなんて。
そんなことを思っていると寒さとは違う、鼻にツンとした痛みが走る。
バッグの紐をぎゅっと掴んで苦し紛れにばぁか、と呟くとどんどん口がへの字になって、目に熱いものまで込み上げてきてしまった。
もう帰ろう、そう顔を上げた瞬間だった。
器用に人混みをかき分けながら脇目も振らずこちらへ向かってくるアイツが見える。
「泣いてんの!?」
そばに来るや否や放たれたその一言に、目のフチにぎりぎり留まっていた涙が零れ落ちる。慌てて俯くけど後の祭り、バレバレだ。
「泣いてない!!」
一目でわかる、強がりの独りよがり。
そんな、さっきの強がりで注目を集めた私を「そっか、ごめん」と肯定も否定もしないまま人目を隠すようにアイツは抱きしめる。
慣れた香りに包まれながら、ぐすんと鼻をすするといつもと違う香りがする。よく知ってる甘い香りだ。
そういえば、さっきまでは無かった小さな紙袋がアイツの手の中に増えてたっけ。
「悪ィ。これ買ってた」
私の視線に気づいて口を開くと同時に渡された紙袋には、ここからすぐ近くにある有名パティシエのお店のロゴが描いてある。きっと中身はいつか食べてみたいと零したことのあるお店のショコラだ。雑誌に載ってた包装とそっくりだ。
「明日バレンタインだけど会えないし、一日早いけど近くには寄るし、なんかサプライズしたいと思って」
「サプライズは余計」
むくれながら目の前の胸を突く。ガタイがいいコイツはこの程度痒くもなんともないけどやらずにはいられない。
「……待っててなんて言わないでよ」
どこへだって一緒がいいんだから。
そう、わざと雑踏にかき消されそうな声で続けた言葉もバッチリ伝わってしまったらしい。
「そんなに俺のこと好きなの?」
そんなこと言わなくてもわかるくらい、アイツの嬉しそうな視線が私に向けられる。
「好きよ、大好きよ。それから愛してる」
その言葉を聞いたアイツに強く抱き締められながら、私も大概だな、と他人事のように思いながら、大きな身体を抱き締め返した。
「しにたくない」
手紙の束に紛れていた手のひらに収まるほどの紙片に、お世辞にも綺麗だとは言えない少し右上がりの癖のある字が並んでいた。
見飽きるほど見たその字を書く主は、少し前に荼毘に付されたばかりだった。
その主の家は、大きな家財どころか荷物すら数える程しかなかった。がらんとしたその様は、自分の亡き後も成る可く他人の世話にならないようにと思っていたからなのだろうと容易に察せられた。
その残された数少ない荷物の1つが、この手紙の束だった。
僅かに残された時間の中、静かに互いを慈しみ睦み合う中で「あと少し先の話」が出なかった訳では無い。
その話の度に「死ぬのは怖くないよ」と一蹴していたこいつも、ひたひたと忍び寄ってくるその恐怖に駆られることがあってひっそりとここへ吐露したのかもしれない。
若しくは、ぼんやりと一人過ごす中で不意に浮かんだその言葉を手慰みに書いただけかもしれない。
その紙も塵箱へ捨てる前にここへ紛れてしまったのかもしれないし、直接伝えることの出来なかった抱えきれない感情の吐露をいつか誰かに見付けてもらいたかったのかもしれない。
……いくら考えても、もうその理由を聞くことは叶わないが。
胸ポケットに刺してある万年筆を取り出すと、どこにも書けない言葉を、誰にも紡ぐことの出来ない言葉を隣に記す。
小さな紙片の中で歪に二つ並んだその言葉を一度だけ視界に納めたあと、鉄と鉄を擦り合わせる音と共に着いたライターの火にかざすと小さなヂリッという音と共に一瞬で灰になり消えた。
燃やしてしまえばこの言葉はアイツの元へ届くのだろうか。
届いてしまえば何時ものようになに言ってるの、と笑って言いながらも肚の中ではその言葉に酷く苛まれるだろう。その間は天国で安穏と過ごしていたとしても、俺の事を忘れることは無いだろう。
そんな仄暗い思いを抱えながら、その言葉の真意を伝えることの出来る日を、あの言葉の意味を知ることの出来るその日が訪れる日を待っている。
【寒さが身に染みて】
刺すように寒さに思わず首をすくめて両手をポケットに入れて少しでもと暖を取りながら、カツカツと歩く度になるヒールのテンポを早める。
首元が詰まるのがどうも苦手で普段は前を閉じないアウターも、今日ばかりはしっかりと前を閉じた。窮屈さを感じるけどこの寒さではそうも言っていられなかった。
1月半ば、この時期らしい寒さではあるけど年末年始の異常なほどの暖かさのせいで例年並みの気温でも酷く寒く思える。
人一倍身体の強さには自信があるけど、それでもこの寒暖差に何度か風邪をひいてしまいそうになった。同居人も鼻水が止まらねぇだ喉が痛いだと市販薬の世話になることがあった。
それでもお医者さんのお世話にならず、寝込むほど酷くもならず過ごせているのは、同居人の身体も人に比べれば強い方だからだと思う。
「寒っ……」
どうしても防寒の難しい顔の横をピュウと音を立てて風が切るように走って、風の冷たさに頬や耳がピリピリと痛んで思わず声が漏れる。
首をもう一度ぐっと竦めてポケットに入れた手を握りしめると、帰路を急いだ。
「ただいまぁ……」
「おかえり」
足早に家へ飛び込むようにして帰ると部屋の温かさにほぅと息をつく。体が芯から冷えたようで部屋よりも吐き出した息の方が冷えている気すらする。
リビングから出迎えてくれた同居人が頬を両手で包むように触れてくると、その手の温もりを吸い取るようにじわじわと頬が温もっていくのを感じた。
「寒かったろ。今日の寒さは今期一らしいわ」
その声を聞きながらポケットから出した手で頬に触れる手を掴むと「冷てぇ!」と悲鳴があがる。掴んだ手から温もりが染みるように伝わってきてかじかんだ手がピリピリと小さな痛みを伴いながら緩んでいった。
「メシ作ってる。今日は寒ィから鍋」
褒めろ崇めろ奉れ!と言わんばかりににんまり笑って見下ろす同居人の頭を手を伸ばしてワシワシと撫でてやると自慢げな笑みが一層深まる。
「準備してくるわ」
そう言い残してリビングへ向かいかけた同居人がなにかを思い出したかのように踵を返してこちらへ向かってきた。
「忘れてたわ」
そう言うと軽く口付けを一つ。
「……唇まで冷てぇ。早く食って温まろうぜ」
機嫌よく今度こそリビングへ向かう後ろ姿を追いかける。そして自室をすぎてキッチンに立つ同居人を引っ張って振り返らせるとお返しにキスをする。
「ごはん作ってくれてありがと」
「どーいたしまして」
お返しと言わんばかりに今度は私が頭をガシガシと撫でられる。
身に染みるような寒さの日だからこその優しさに、心の中まで温められた気がした。
【20歳】
「よォ……って。なんだその顔、地味に嫌そうな顔しやがって」
成人式の帰り、近所に住む2つ上の大学の先輩と出会った。ラフな格好に近くのスーパーの袋を下げているところを見ると、買い物に出ていたところなのだろう。
「別に嫌そうな顔なんてしてないですよ。めんどくさいなーとは思ってますけど」
「なぁ仮にも先輩だぞ、せ・ん・ぱ・い」
「そんなふうに言わなくても知ってますゥ」
「うわー腹立つなぁお前」
互いに口悪く言い合うものの、普段からよくある挨拶代わりだ。別に仲が悪い訳では無い。
その先輩の視線が普段着ることのない私の振袖姿へと向けられた。その向けられる視線で、なんだかむず痒いような気持ちになる。
「今日成人式だよな。振袖似合ってる。成人おめでと」
「あー、ありがとうございます」
「今日なんか奢ってやろうか?パァッと派手に祝わって……」
「今から実家行くんで大丈夫です」
間髪入れずそう断ると、ちぇ、とあからさまに口を尖らせて残念がる。賑やかで盛り上がることの好きな先輩のことだから、成人の祝いを口実に飲みに行こうとでもしたのだろう。
もしかしたら他の人たちも呼ぶつもりだったのかもしれないけど、あいにく私は騒がしいのはそう得意では無い。
先輩と飲むのが嫌な訳では無いけど、出来れば酒はゆっくりと楽しみたかった。
「じゃ、お祝いだけやるわ」
ガサガサとスーパーの袋を漁ったかと思うと、出てきたのは綺麗に包装されてリボンもかけられた小箱だった。普段からなにかにつけて渡されるお菓子やジュースかのように無造作に投げて渡される。
「やる。実家まで気ィつけて行けよ。また学校でな」
それだけ言うと先輩はあっという間に背を向けてさっていく。
突然の出来事に私は、これはなんですかとか、礼すらも言うことが出来ずにスーパーの袋から出てきたとは思えない綺麗な包みを握ったまま遠ざかる先輩を見送った。
「……あ、…ありがとうございました!」
少しした後にハッとその背に向かって礼を言うと、応えるように先輩が振り返って「またな」と笑いながら片手を上げた。その後ろ姿が普段の先輩と違って妙に大人びていて、なんだか少し悔しさを覚えた。
遠ざかる背を見送り、少し迷ったあと行儀が悪いのを承知でその場で貰ったばかりのプレゼントを開く。
丁寧な包装を剥いで出てきたのは深緑をした軸色のボールペンと、ボールペンと揃いの色のパスケースだった。
一目見てその色合いに惚れ込んだものの、次の瞬間頭を巡ったのは見るからに高級そうだ、絶対にそこのスーパーで売っているはずが無い、だった。
前以て準備して、今日ここで会えるかなんてわからないのに持ち歩いていなければ渡せるものでは無い。
「なんで……」
なんで私に、なんで待ち伏せまでして、なんでこんな高級そうなものを。
グルグルと頭の中で疑問が一頻り巡った後、ハタと気がつく。
これは多分ほかの後輩にも配っていて、きっとあのスーパーの袋にはプレゼントがたくさん入っていて、出会った後輩みんな渡していたんじゃないんだろうか。
この辺は学生街だ、きっと私以外にも会ったに違いなくて、私はきっとその一人だろう。
世話焼きなあの人だからやりかねない。
「……季節外れのサンタクロースみたい」
そう思うと1人笑いが込み上げてくる。
お礼に飲みに誘おう、他の友達も連れて賑やかな会になればきっと先輩も喜ぶだろう。
そんな算段をつけながら、1つ増えた土産片手に実家へと足取りも軽く向かった。
───そう思っていたのに、思い描いていた「多分、きっと」がまるっと覆されたのは、少しあとの話。
「お前にだけだよ!鈍いなお前!」の一言で先輩と大喧嘩が始まったのも、もう少しあとの話。