66 友情
冷蔵庫の残り物、みんなで集めてカレーにしちゃえばいいんじゃない? うちに持ってきなよ。402号室の岸さんがある日そう言ったので、毎週金曜日は「闇カレー」の日になった。お弁当で型抜きしたあとのチーズとか、ちょっと余って乾きかけたお刺身とか。それぞれの家から持ちよって、ぐちゃぐちゃに切り刻んで鍋にぶちこんでルーを放り込む。口をつけた食べかけじゃないことと腐ってないことだけがルール。文句は一切言いっこなしだ。私は今日、トマトのへたの近くの身を切ったものと、大量に茹でて余った枝豆を持ってきた。鍋のなかではグツグツと、よくわからない具の入ったカレーが煮えている。
「今日はまた一段とカオスって感じ」
「でも美味しいと思うよ。卵とトマトと枝豆と肉と葉野菜、あといろいろ。不味くなりようがないじゃない」
白菜の芯とチャーシューの切れ端を持ってきた間野さんが言う。
「まあカレーだもんね」
「そうよそうよ。カレーだもん」
そう。なんど試したところで、できるのはカレーなのだ。たまに失敗の日はあるけど、食べられないほどひどい味になったことはかつてない。カレー。なんと懐の広い食べ物なのか。
「そういえばさあ、うちの娘、やっぱ戻ってくるんだって。これで三代離婚よ」
「それがいいわよ。逐一報告してくれるだけマシ。うちのなんてどこでなにしてんだか」
すでに成人した娘さんがいる橋本さんとそんな話をしている。ゆで卵を持ってきた佐山さんは在宅介護をしていて、私には反抗期真っ只中の14歳の息子がいる。今は塾。
まるでみんなの生活模様まであれこれと煮込んだように、カレーはすべてを包んでいい匂いをさせている。今週の闇カレーも、多分成功だろう。食べたら交代で洗い物をして、さっと解散だ。人生は忙しい。食べて片付ければ、またすぐに明日が来る。
65視線の先には
喋る種類ですよ、と言われて小鳥を買ったが、頑張って教えても十年一度もしゃべらなかった。
まあそういうこともあるだろうとそれなりにかわいがり、大切に育てている。
このインコには、ちょっとした癖がある。
まるで何かにとりつかれたように、きぇー、きえーと暴れまわり、数分もすると大人しくなる。
ぴったり年に二回だ。
獣医に連れて行っても異常は見つからず、ほかにはおかしな様子もない。
私にとってはかわいいペットであるし、もうそっとしておくことにした。
午後十一時。残業を終えて部屋に帰ると、小鳥が暴れていた。
キエー!キエー!キェー!
鳥かごをがたがたと揺らしながら叫んでいる。
そのままばちんと体を打ち付け、そしてぴたりと、水を打ったように静かになった。
そして一言だけ叫んだ。
「オネガイ! セメテ、クビカラニシテ!」
お願い、せめて首からにして……?そう言ったのだろうか?
どういう意味だろう。十年飼ってはじめてしゃべった言葉なのに、意味が分からなくて少しがっかりした。
考えてもわからないので鳥にケガがないことを確認して眠ることにした。
夜中、パトカーのサイレンが聞こえてきて、うちのすぐそばで止まった。
翌朝、隣人が逮捕されたことを知った。
バラバラ殺人。盛り場でひっかけてきた女性ばかり、殺して解体し、捨てていたのだという。心底ぞっとした。
ぞっとしたのはそのこと自体にばかりではない。
犠牲者の数と時期だ。
ぴったり年に二人、二十人。
偶然なのかなんなのか分からない。小鳥を飼ったのと同じ期間、小鳥が騒いだのと同じタイミングだった。
そして最後に殺された女性は、生きたまま指を落とされそうになり「お願い、せめて首からにして」と叫んだのだという。
昨日の、午後十一時にだ。
小鳥は何度も聞いた言葉をようやく覚えるもののはず。どうして全く同じタイミングで、壁に阻まれて聞こえもしない隣の惨劇と同じ声が出せたのか。
ねえ。いったいどうしてだい?
私の目の前には、小鳥がいる。
静かな目をして、止まり木の上にたたずんでいる。
十年ずっと、しゃべらなかった鳥だ。
くいくいとその首が揺れている。
そういえばこの鳥は、壁の方を見ていることが多かった。
64遠い日の記憶
小学五年生の時、友達と体が入れ替わったことがある。
ひどく暑い、夏休みのプールの帰り道、二人で並んで歩いていた時だった。
はっきりとしたきっかけがあったわけではない。
青いビーチサンダルを履いて歩いていたはずだったのに、気づくと白いスニーカーになっていた。
おかしいなと思って顔を上げたら、目の前に自分の顔があった。
それで入れ替わりに気づき「すげー!」と二人で声を上げて、とりあえずはいつも通りに線路わきの通学路を歩いた。
どうするどうする?とりあえずお互いの家に帰る?両親に言う?お前、俺んち帰ってもゲームのセーブデータいじんなよー、宿題はかわりにやれよー。
子供だったし夏休みだったので、特に悲壮感もなくそんな会話をして、しかし踏切で立ち止まって電車を見送り、遮断機が上がった瞬間に、ふっと元に戻ってしまった。
本当に一瞬だ。自分は元通り青いビーチサンダルを履いていて「あれ?」と不思議そうな友達の顔がそこにあった。
時間にしてわずか十分ほど。暑さが見せた幻のようなものかもしれない。二人で「内緒にしておこう」と言い合って別れ、夏休みは変わらずにプールに行った。
本当にそれだけの不思議な体験だが、今でも線路わきを歩いている二人づれの子供を見ると、ふと思い出す。
今年の夏も、誰かと誰かがほんの十分だけ、入れ替わっていたりするかもしれない。
63 1件のLINE
「来週からあなたが『檻』にはいることになりました。よろしくお願いします」
そんなLINEが僕のスマホに届いた。
ああ、今年は僕なのか、と思った。
僕のいる村では、一つしかない中学校の教室すべてに檻がある。
畳一枚分くらいの、小さいとも大きいとも言えない檻だ。
クラスの中から年に一週間だけ、誰か一人がそこに入って授業を受ける。
一日中ずっとだ。トイレの時は申告して鍵を開けてもらう。体育は休む。給食も檻で食べる。檻の中から手を挙げて問題を解いたり、友達と談笑したりしてもいい。ただ檻に入るだけだ。
いつからそうなっているのかは分からないけど、ここではそれが普通だ。
一週間檻に入っても、特に対価はない。ないけどこころなしか、苦手科目の評定が上がっていたりすることが、あったりなかったりするらしい。
断れば村八分になる。村の外に他言すれば、もっと恐ろしいことになる。
ただそれだけのよくわからない風習だ。
かつては電話や回覧板で回していた『檻』のお知らせも、最近はLINEになった。便利な世の中になったなぁ、とお父さんやおじいちゃんは言う。
理由は分からないが、この村はすごく、潤っているのだ。大人はいつも、よくわからないお金をたくさん持っている。
だから大人も子供も、タブレットやスマホを持っている。だけど絶対に『檻』の風習のことは、外には漏れない。
何の意味があるのかは分からない。だけどとにかく、僕は明日から檻に入る。
62私の当たり前
たまごを割るときはおでこにぶつけるのが当たり前だと思っていた。父子家庭で、父がよくそうしていたからだ。若くない父だったせいか、ほかにもちょっとずれたところがあり、ゼリーを手作りしてみたいと言えば寒天のもとを買ってきたり、行列のできるおしゃれなポップコーンが食べたいと言えば懐かしのコンロでぱちぱちするやつを作ってくれたりした。そんな父もはやくに亡くなり、私も一児の母として忙しくやっている。最近になってとんでもないことに気づいたのだが、二歳の娘はおままごとをするとき、たまごを額で割る。私はやってみせた事なんてないのに。孫の顔を見られなかった父が、何かの形で存在を残したく、たまごをおでこにぶつける「アタリマエ」を遺伝子に刻んでいったのかもしれない。正直ちょっとこわいのだけど、悪いことでもないのでそのままにしておこうと思う。いろんな物事に興味を示しはじめた娘と、近くお菓子作りでもやりたいのだが、寒天のもとやコンロでぱちぱちするポップコーンは、まだ売っているのだろうか。