61街の灯り
「知ってるか小林、夜景って、誰かの残業でできてるらしいぞ」
「つまり金曜の夜にエラー対応をやってる僕たちも今、この街の夜景の一部なんですかね…」
「そういうことになる。ちなみにこのビルはベイエリアからよく見える」
「そういえば僕、彼女と別れてからあっちの方なんて一回も行ってない!ははは!」
「俺もだ!ははは!」
「なのに、我々の残業をダシにデートスポットで盛り上がってるカップルがいるということになりますね。許せませんね先輩」
「まったくだな後輩。さらに言うなら、今日の真夜中、ベイエリアにクルーズ船が集まってライトアップされる。それを目当てに、いつもよりさらにカップルが集まっている」
「わああああ!!!!そんな特別な夜景の一部になんか、絶対なりたくない!死んでも真夜中までに帰りましょうね先輩!!」
「そうだな!!死ぬ気でやるぞ!!!」
60七夕
同じ市内にあってふだんはそれほど接触のない男子校と女子高。
この二校が、七月七日だけは正式に交流する。
なんと甘酸っぱい、ラブコメ的事実であろうか。
きっと、ういういしいカップルが生まれたりするに違いない。
まさに青春だ!
と思うかもしれないが、実際にはそうそうロマンチックなものでもない。
二つの高校の生徒会が初夏の一日だけ、会議室で落ち合う理由。
それは「学校の近所にある緑地の夏休みの使用権を取り合って争わねばならないから」である。
今年も例年通り、バチバチにやりあっている。
「八月一日の夕方はうちの映研が撮影に使うんですけど?」
「うちの生物研究会とキャンプ同好会もここが希望だ。譲れない」
「それは二日以降でどうにかならないんですか? 映研はどうしても、この日の月をバックに撮影がしたいと言ってます」
「うちの生物研究会も、この日が最もカトンボの羽化が多い日だから譲れないと言っている」
……こういう具合で、両者一歩も引く様子がない。
男子校側の教員である私は、生徒の自主性を重んじてじっと黙っている。部活の活動場所とりには、それぞれの学校のメンツと、夏休みの充実度かかかっている。これは戦いなのだ。なんとも殺伐とした織姫と彦星だが、きっとこういうのも青春なのだろう。本格的な夏は、もうすぐそこだ。
59星空
僕の彼女のナナヨちゃんは、とにかくすごく、だらしがない。
部屋は汚いし高校は中退してるしブラジャーは基本的に洗濯しないし、すぐ浮気をする。
中学の先輩とか、悩みを聞いてくれたバイト先の同僚とかと、至極あっさり寝る。
僕はナナヨちゃんの浮気の気配を感じるとすぐに止めに行く。
だいたいは普通の浮気だが、けっこうな確率でマルチとかAVデビューとか反社の愛人契約とか、そういうものが混じっているので、止めないわけにはいかないのだ。
僕はただの大学生で女子禁制の寮に住んでいて、だからナナヨちゃんを守るのもなかなか難しいけれど。
それでもこれはやばいぞという気配を感じたら、講義もなにもすっとばして、ナナヨちゃんのもとに駆け付ける。
今日、ナナヨちゃんはバニーガールになっていた。表向きはただのバニーがいる店だけど、裏向きにはいろいろとあるかなりヤバい店らしい。
僕は店に突っ込んでいって、バニーのナナヨちゃんを助け出してきた。
刃物を振り回して、追っかけてきたら殺すぞと怒鳴って、バニーのナナヨちゃんの腕をひいて店を飛び出してきた。自分で言うのもなんだけど、かなりぷっつんとキレていた。
僕のしたことはりっぱな脅迫であり、威力業務妨害だ。これではどちらが反社か分からない。だけど。
「ごめんね。私、バカだから。ごめんね」
僕に手を引かれて星空の下を歩きながらナナヨちゃんはずっと泣いている。バニーガールの姿で泣いている。そして夜空の星はきれいだ。
ナナヨちゃんときらきらした星。今は世界にそれだけあればいいと思う。
「もう本当に、だらしがないよ。ナナヨちゃんは」
僕はそう呟いて、あったかい手をにぎったまま歩く。だらしのないナナヨちゃんは最高にかわいい。そして僕にとって最高に大切だ。ナイフで人を脅すくらい、ナナヨちゃんのためならなんてことない。空で星が光っていて、ナナヨちゃんが隣にいる。それ以上何を望むだろう。
「星、きれいだね」とナナヨちゃんが言った。そうだね、と僕は答える。
「わたし子供のころ、月に行ってみたかった」
そっか、とだけ、僕は答える。ナナヨちゃんはすぐにバニーになっちゃうダメ女だけど、いくらウサ耳が似合うからって、そうそう簡単に月には帰れない。そういうものだ。だからとりあえずただ、夜道を歩いていた。
58赤い糸
ある日突然、人どうしを繋ぐいろんな「糸」が見えるようになった。
赤い糸は運命の相手。
ピンクの糸は親子や血縁。
このあたりはとても分かりやすかった。街中で一緒にいる相手につながっていることがほとんどだからだ。
青い糸は「命を救う相手」これはテレビで事故現場を見ていて分かった。
医師や救命士から伸びていることが多かった。
灰色の糸は「憎んでいる相手」。これも少し注意してみると、すぐに分かった。上司と部下の間に散見されるし、ピンク色でつながる血縁の糸がまだらに灰色がかっている場合が割にある。親子と言えど、仲のいい者同士ばかりではない。また、裁判を傍聴してみると遺族と犯人の間にあることが多かった。
そして、黒い糸。
これは、いずれどちらかがどちらかを殺す相手だ。
さすがにめったにお目にかからない。
はじめて見かけたときに興味を惹かれ、黒い糸の伸びた男の後を付けたら、飲み屋に入っていった。糸のつながる相手はわからず、尾行はそこでやめたが、数か月後、彼は酒で作った借金を返すためにほとんど行きずりで強盗殺人を犯し、ニュースに顔写真をとりあげられた。それでなるほどと思った。
ところで今、私の小指からも黒い糸が伸びている。
つまり私も、誰かを殺すか殺されるということだ。
私には殺したいような人間はいない。殺される心当たりもない。
「憎しみ」の色である灰色とまだらになっていることもない。血縁の色であるピンクの気配もない。
つまりは、もともと憎しみを抱かれていない、大した関係もない相手から、何かのきっかけで殺されるか……あるいは殺してしまうということだ。
非常に悩ましいところだが、私は今日、完全な防備をして、この黒い糸をたどろうと思う。
たどった先にいるのはいつか私を襲う通り魔犯なのか、いつかは私が殺したくなる相手なのか、それは分からない。
ただ、黒い糸を生やしたままにしておくわけにもいかないのだ。
つながっている相手を見つけたとき、どうなるのだろうか?
それは諸兄の想像にお任せする。
防備はするが、武装はしていかない。
私は誰をも、傷つけたくはない。だから、防備はするが、武器は盛っていかない。その事実をわかってほしくて、あとにも残るようにこれを書いている。では、行ってきます。糸をたどりに。
57夏
市ヶ谷にある予備校の窓からは釣り堀が見える。駅裏の一等地を戦後からずっと不法占拠しているという、年季の入った釣り堀だ。都会のオアシスなどと呼ばれて人気があるらしいが、不法占拠は不法占拠じゃないか。どうかしている。サボりのサラリーマン、だらしない恰好のカップル、近隣の専門学校の派手な学生。正しくない場所で正しくない遊びをしている人間がどうして楽しそうなんだ? 僕はそれに納得がいかない。だけどなぜだろう。今無性に、あそこに降りて行って釣りがしたい。生まれてこの方、一度も釣りなんてしたことがないのに。生きた魚なんて触ったこともないのに。ただひたすら、東大合格だけを目標に生きてきたのに。最近、模試の成績が下がっているせいだろうか。無性にあっちに「降りて」行きたくて仕方ない。『降りて』なんて言い方は傲慢だと思う。だけど東大を目指すと決めたときから、僕の生き方は決まっている。高みに行くことや居続けること。それが人生の目標だ。なのに。カップルが大きな魚を釣り上げて、嬉しそうで、自分も魚を釣ってみたくなっている。こんなのはおかしい。ああ、どうしてだろう。僕はあっちに行きたいのだ。
おかしな願望を振り切るように、テキストに向かった。何も考えるな、と自分に言い聞かせながら、過去問を解いていく。この夏が大切なんだ。来年こそは、受かるんだ。