毎年冬休みが始まる頃に明地は調子を崩す。
始まりは明地が8歳だった冬に、5歳上の姉が死んだとき。
姉が夢に出てくる。雪がしとしと降る中で姉は靴も履かずに立っている。
姉は寒さで足を真っ赤にしながら、明地をただ見つめている。
何を考えているか分からないから、明地は姉が苦手だった。
だからろくに話もしなかった。
生前のように夢の中で姉は言う。
「かえりたい」
死んでもなお、姉は帰れなかったのだと思う。
それは惨くて、悲しい。
私は高所恐怖症だが、低いところから高いものを見上げることも怖い。
高い建物や木を見上げるとき、自分が空に落ちていくような恐怖で目眩をおぼえることがある。
空に落ちたら何が見えるだろう。
地上と違い隔てるものがなく、どこへだって行けそうな空でさえ実際は悪魔が管理している。
空は悪魔の国なのだ。
落ちた先が天使を収容する地獄だったら最悪だ。
そう考えていると空から白い羽根が雪のように降ってきた。
天使は今も拷問され、殺されている。
なぜ、なぜ
教会の澄んだ鐘の音を聞きながら、寝転がって曇天を眺めた。湿ったにおいがする。もう直ぐ雨が降るかもしれない。
賑やかな声が近づいては遠のいていく。生徒たちは鐘を合図にミサに行くのだ。
そして皆が祈りを捧げているうちに、僕は1学年上の三枝さんに会う。
ほら、今日も裏庭に三枝さんはやってきた。
三枝さんはセーラー服が汚れるのも構わず、きれいな花を探し当てると命の根を引っこ抜いた。生贄の儀式だ。
ささやかな花束を手作りのお墓に供えて拝む。僕もその横に座り小さく手を合わせた。
皆が生きている神様に祈っている最中、僕らは死んだ神様を拝む。
僕らは神様になにも求めない。救ってほしいとも思わない。
三枝さんはさらに神を哀れんでいる。
三枝さんによると、完璧であるはずの神は不完全な世界をうみだしたことに絶望し、自殺したらしい。
三枝さんが目を閉じて、じっとしているなか僕は鞄からテキストを出し、授業で当てられそうな問題の予習をした。
しばらくすると肌に水滴が落ちた。空からぱらぱらと降りかかり、やがて制服や教科書を濡らしていく。
「雨だ。降りそうだったもんなぁ。校舎に戻りましょ。」
「いや。」
三枝さんは拒絶する。空を見上げ、柔らかな頬に涙をながしていた。
雨が三枝さんの涙の跡を何度もなぞるのを僕は眺めた。
僕らはずぶ濡れになった。
避ける必要はない。
先生が言うように雨は祝福なのだから。
寂しさは好きだ。
人を好きになれる。誰かを求められる。
だからずっと寂しさに身を浸していたいと思う。
この寂しさのざわめきは、死に似ているのだろうか。
それとも、死ぬということは、もっと寂しいことなのだろうか。
僕は恐くなって君に電話をかける。
寂しさに溺れ死んでしまわないように。
毎年、冬になると私は色々なことを台無しにしてしまう。今まで描いた絵を破り捨て、友人の連絡先を削除し、仕事にも行かなくなる。
そうしてなにも無くなったとき、私はようやく前向きな気持ちになれる。
繋がりがきれたら存在してないのと同じ。
私は存在しなくなることで、どこにでも行けそうな気がする。
「影」のことが好きになれる。
影は笑いながら私に付きまとい、動きを真似する。
「君は全てを失ったとしても独りではない。」
影は言う。
「人間は生まれたときから2人なのだから。」