目が覚めると、そこは小高い丘の上の草原だった。色とりどりの花が咲き乱れ、大気には白い霧がかかっている。
草原の間を、柔らかな曲線を描いて小川が流れる。眼前にはまぶしく白い光の存在がふたつ、輝いている。
光の存在にいざなわれ、私はいつしか大樹の下にいる。私は確信した。彼らは、天使だ…
「生涯にわたって、私はあなたを支える。」右の光が言う。
「あなたが望むとき、いつでも私はそばにいる。」左の光がささやく。
そのとき、背後にもう一人光の存在がいることに気づく。
「あなたはすべて許されている。」
私は至福の感覚に包まれる。
しかし別れの時は訪れ、気がつくと私は、草原の上で白い薔薇の輪の中に横たわっていた。
あれは夢か?しかし夢ではない証拠に、手のひらには握りしめた手の感触が残っている。
【目が覚めると】
そのとき、私の当たり前だった日常が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
夫が失明したら、今の仕事は続けさせてもらえないだろう。かといって、私の稼ぎだけで子どもを進学させられるとは思えない。
実家に援助を申し出るか、さもなくば息子に大学進学を諦めてもらうしかない。
当たり前の日常が、いかに有難いものだったのか。そのことを痛切に感じずにはいられなかった。
「ちょっと銀行行ってくるわ。」
夫は相変わらず飄々としている。彼は昔からこうなのだ。
「だって片眼は大丈夫なんでしょ?そんなに深刻になることないよ。」
「いや、まあ、そうなんだけど…。」
片眼だけだから良かったと考えられるのが夫で、残った眼まで失明したらどうしようと深刻になってしまうのが私だ。
一人で最悪のパターンをシミュレーションして、勝手に落ち込んでしまうのは、昔からの私の癖だ。
だが、それが効を奏することだってある。楽観的な人間ばかりなら、世の中は進歩していないはずだ。
世の中を進化させてきたのは、いつだって悲観的な人間だ。
「パパが大丈夫だっていうんだから、大丈夫なんでしょ?」
高校生の息子は、あくまで楽観的だ。息子はまだ、この世界の残酷さを知らない。
【私の当たり前】
真っ暗な山並みの麓で、ぼんやりとした街灯りがまたたいている。私はぬるくなりかけたビールを飲みながら、今日起きた出来事を反芻してみる。
あの洞窟はいったいどこに続いているのか。遮光式土器に似たあの宇宙人は、どこから来たのか。UFOに拉致されたあの男性は、無事なのか。
自分はいま、こうして穏やかな時間を過ごしているが、彼にとっての今は、恐怖と苦痛に満ちた時間なのかもしれない。
かすかな罪悪感に胸が疼くが、今の自分の力ではどうにもできない。もやもやした気分で、缶の底に申し訳程度に残っていたビールを飲み干した。
何かヒントはないか…視線をさまよわせていると、目の端に振動するスマホが目に飛び込んできた。
電話の主は、友達のスミレだ。愚痴じゃなければいいな、と思いながら私は通話ボタンを押した。
「ねえ、聞いて!わたしUFOを見たよ!」
スミレはいきなり、驚くような事実を告げてきた。
【街灯り】
「はい、お素麺」
「あ、ありがとう…。」
知り合ったばかりの彼女の部屋で、僕はドギマギしながら箸とおつゆを受け取った。なんでも今日は、素麺の日らしい。
「七夕にお素麺を食べるとね、一年間風邪を引かないって言う言い伝えがあるんだって!」
「そうなんだ?」
僕が育った四国の田舎町では、そんな習慣はなかった。どうせ、バレンタインみたいにどこかの素麺メーカーが勝手にこじつけたんだろう。
「あ、疑ってるね?」
僕のそんな気持ちを目ざとく察したのか、彼女は不服げに声を上げた。
「七夕に素麺を食べるのは、平安時代からの習慣なんだよ。もとは中国の皇帝の子どもが亡くなった時に始めたんだけどね。」
「へえ…。」
「皇帝の子どもが、小さい時に病気で死んでしまったの。そのあとすぐ、疫病が流行ったから、周りの人はきっと子どもの祟りだと考えて、その子が好きだったお菓子をあげたの。」
「お菓子?」
「そう。索餅っていうお菓子よ。索餅は、そうめんの元になったお菓子なの。細長くしたのをねじって…」
熱心に素麺のルーツを説明する彼女を見て、僕はなぜかドキドキしてしまった。人が我を忘れて、何かに夢中になるのを目にするのはいいものだ。
「聞いてる?」
「あ、うん聞いてるよ。」
本当は全然はなしなんか聞いてない。素麺を食べてはいるが、味だってまったく分からない。彼女のきれいな柔らかそうなピンク色の頬に心を奪われたままだ。
彼女が素麺に缶詰のミカンを入れる家庭の出身じゃなくて良かった、とぼんやり考えている。
【七夕】
私はやっと思い出した。彼は、小さい頃家の近くに住んでいた、幼なじみだ!
「何やってんの?」
思わず声を張り上げた。道でいきなり肩をたたいてくるなんて、人違いだったらどうするつもりだったんだろう?人ごとながら心配になってしまう。
改めて顔を見ると、幼い頃の面影はそのままに、青年らしくがっしりとした骨格に変貌している。逞しい肩や背中が、会わなかった期間の長さを感じさせる。
悪びれないニコニコと無邪気な笑顔に、私は思わず微笑み返した。昔から、なんだか憎めないところがあるのだ。あるいは友達の思い出は、美化されるものなのかもしれない。
「どこ行くんよ?」
「ああ、合気道の稽古だけど…。」
私は肩にかけた杖袋を指しながら答えた。一般的には杖イコール合気道ではないが、私が通う道場では、かなり杖型に力を入れているのだ。
【友達の思い出】