NoName

Open App
11/5/2024, 2:59:48 PM

潮騒の響く真っ暗な海。
思考の海と呼ぶ場所。

光の差さないこの海には、物語にもならず消えた多くの言葉が眠っている。

ここは、言葉の生まれる場所であり、言葉の墓場ともなる場所だ。

言葉を変えれば、そのように定義付けた空間とも言える。

私にとって思考の海とは本来、言葉の練習と過去を癒す──ナラティブ・セラピーの実験場でもあった。

思考の海の番人を主人公とする物語がそれだ。
しかし、彼を通して紡いだ物語は──核心部を明かさず、現在は後日譚のような形になって続いている。
核心部に触れなかったのは、ナラティブ・セラピーの実験を止めたからだ。
ある程度の言語化で、過去の一部は癒されたと判断した私は、思考の海をただの物語の舞台とすることにした。

思考の海がただの物語の舞台となって、物語のキャラクター達が個性を持ち始めたある日、思考の海は再び変化することになる──。

ここで多くの物語が生まれた。

あまりにも沢山の思い出が詰まりすぎて、語り尽くせない程だ。
けれど、ここがあったから、沢山の心を学び、自身を解放することが出来た。

今日もここは、潮騒が響いている。

けれど、寄せては返す波の音の中にいつもとは違う音が交じっている。
重たい車輪の音と蒸気を吐き出す音だ。

音のする方へ顔を向けると、一筋の強い光がこちらに向かってくるのが見えた。
目を凝らしよく見ると、それは客車を連結した蒸気機関車だった。

いつの間に出来ていたのだろうか。海岸線に沿うようにレールが敷かれている。
そのレールの上を蒸気機関車が堂々と走っている。

ジョイント音を響かせ、蒸気機関車がこちらに向かってくる。

「…待っていたんだよ」

そう呟くと、蒸気機関車は大きなブレーキ音を立て、蒸気を巻き上げながら少し離れた場所で止まった。

等間隔に並んだ窓からは、柔らかい光が漏れている。軽い蒸気音と共に客車のドアが開く。

私は、光溢れる車内へ足を踏み入れた。

車内はリノリウムの床が広がり、緑色のビロードが張られたボックス席が並んでいる。
広い車内には、自分以外誰も乗っていない。
煤が入らないようにする為か、ボックス席の窓は全て閉まっている。

出入口にほど近いボックス席の一つに腰掛けると、
汽笛の鋭い音がした。
ガタンという大きな揺れの後、汽車が動き始めた。

窓の向こうでは、思考の海が遠ざかり、潮騒の音も
遠のいていく。


新しい旅が今始まった。
────────────────────────
一筋の光

11/4/2024, 2:55:41 PM

哀愁を誘う。

哀愁=もの悲しい感じ
もの悲しい=なんとなく悲しい様
誘う=ある物事がある気分を起こさせる。

今日現実で私の元に集まってきた言葉は、
四字熟語辞典より「初志貫徹」
テレビのテロップより「優しい心の交流」「感謝」

珍しい事に、テーマと一致しない言葉ばかりだ。
いつもであればこういう時、フラッシュ暗算のカードのようにテーマにあった言葉が浮かんでくるのだが、今日はそれもない。

ならば、哀愁を誘う──もの悲しい音楽や本の紹介でもと、先ほどからグルグルと脳内で検索しているのだが、やはりピンと来るものがない。

どうやら、本当に…。

今の私は「もの悲しい」という感覚と無縁になったらしい。

理由は、分かっている。

「一人ではない」と心の底から理解したからだ。

私の側には、いつも優しい人達がいる。
その人達はとても素敵で、未熟な私にとって学べることばかりで──出会えて本当に良かったと心から思える人達だ。

その素敵な人達の言葉に日々触れていると、いつからか、もっと自分らしくても良いと思えるようになっていった。
私にとって、自分らしくあって良いというのは、何にも優る祝福だ。

優しい人達の存在とその祝福が、私の中から「もの悲しい」という感覚を遠くへ追いやってくれた。
これは──感謝してもしきれないことだ。

私は、自分の中にあるものを信じたいと思っている。
自分に出来ることがあるのならしたい。
役に立ちたい。
最近はそういう思いばかりが募っている。

だから──

その時が来るまで、好きな乗り物の音がする音楽を
聴きながら、この世界に還元出来るものを考えておこうと思う。

考えながら待つのは、得意だから。
────────────────────────
哀愁を誘う

11/3/2024, 1:08:11 PM

皆様は、鏡の法則をご存知だろうか?

簡単に説明すると、良いものは良く、悪いものは悪く返ってくるという法則だ。
例えば──
人に親切をすれば、人から親切が返ってくる。
これもこの法則の一つだ。

そんな鏡の法則に言葉の持つ力──言霊が加わると、
とんでもない力となって自身に返ってくる。
私はそれを経験した一人なので、この法則を強く信じている。

鏡の法則は、今すぐ実践したからといって、直ぐに
結果が返ってくるものではない。

この法則は、早く返ってくることもあれば、忘れた時に返ってくることもあるという、非常にランダムな
性質をもっている。
もしかしたら、心に抱いた重さと時間に関係があるのかもしれないが、真実は分からない。

そして、この法則の素晴らしくも厄介なところは、「自身が抱いた心を、他者が存在する世界に放った
瞬間から発動してしまう」ということだ。
その為、何気ない言葉が力を持ってしまうことが
ある。

良い言葉は、良い事、良いものをつれて。
悪い言葉は、悪い事、悪いものをつれて。

言葉や経験として必ず自身に返ってくる。

鏡の法則の言葉は、上辺の言葉だけでなく、心の声の方も返ってくるという点にも留意したい。
表面上の取り繕いなど、この法則の前においては、
関係がない。

例えば──。
誰かを守る為に発した言葉が鋭いものであった時、
いつかのタイミングで鋭い言葉を他人からもらうが、誰かに守られるという経験もする。
ランダム発生なので、それが早いか遅いか、或いは、分かりやすいか、分かりにくいかは不明だが、必ず
経験できる。
では、誰かを貶めようとしたなら…言うまでもない。

私が知る限り、鏡の法則のネガティブをキャンセルする方法は、自身が放ったネガティブ以上に誰かを救うことだ。
しかし、気をつけなくてはいけないのは、心に抱いた重さは時間と関与している。
重ければ重いほど、解消には途方もない苦労を伴ってしまうことがある。

だから私は、言葉やそれに伴う心というものを大切にするようにしている。

言葉というのは、便利で容易い道具ではない。
多くの先人達が残している通り、
言葉に気をつけなくてはいけない──のだ。

鏡の中の自分を見ながら、鏡の法則を思い出す。
言葉を使うことの難しさと、巡らせるべき温かい言葉の力を信じながら──。
────────────────────────
鏡の中の自分

11/2/2024, 2:31:26 PM

最近は、眠りにつく前にテーマに向き合うことが日課になっているのだが──今日は、朝5時起床の日帰りSL旅をしてきたので非常に眠い。
何故、我が家の旅は優雅と程遠いのか(宇宙猫顔)

まぁ、詮無いことは置いておいて、旅のことでも
ちょいと綴りましょうかね。
────────────────────────
今年の夏にも乗った真岡鐵道のSLに再び乗車し、益子で開催されている陶器市を楽しんできました。

初めて益子の陶器市に参加したのですが、街全体が
会場だったのでびっくりしました。
正直広すぎて歩き疲れましたが、見応えがあってとても楽しかったです。

今回の旅のメンバーはいつものように母親──だけでなく、珍しく兄も一緒でした。
その為、いつもより賑やかで楽しい旅となりました。

母親との旅も勿論楽しいものですが、やはり気の合う兄が一緒にいると安心感があります。
基本、ヲタク話やトンチキ話ばかりしているのですが──話が合う存在というのはとても有り難いものです。

このまま兄とのトンチキ話でも綴ろうかと思ったのですが、兄妹のトンチキ話など、殆どの方は興味無いでしょうし──正直、眠たいので、その話はまたの機会がありましたら──。

おやすみなさい。
────────────────────────
眠りにつく前に

11/1/2024, 11:34:07 AM

永遠に…。
さて、なんとも難しいテーマが来たものだ。

永遠=時空を超えて、いつまでも変わることなく続く
  こと

リアリストな目で考えると、この世界は可変であり、不変ではない。
その為、永遠は無いという答えになる。

流行りや廃りがあるように、言葉ですら姿を変え、
消えていく世界だ。形あるものもそれに漏れることはない。

変わらないものの代表に原子がある。こちらは単体で存在する時には不変だが、他のものと反応が起これば別のものに変化してしまう。
故に、条件付きでの不変ということになる。

この世界に存在し続ける「時間」というのも考えたが、シュレディンガーの猫のように生と死が重なった状態という次元もある。その次元においては、老いも若きも生も死も同時に重なっている為、時間は普段私たちが認識している形をしていないだろう。

そんな事をあれこれ考えていると、私は頭がこんがらがってしまう。

リアリスト目線での答えは、現実的にそうであるのだろうと思わされるが、どうも個人的には心が乾く。

現実的には存在し無いからこそ切望し「永遠」という
言葉に人々が希望を託しているのだとしたら、安易に「無い」と言うのは野暮なのかもしれない。

命という期限付きではあるが、良いではないか。
個々人の中で永遠を見つければ。

人であれ、物であれ──寿命が尽きるまで、大切にしたいものが見つかれば、人としてこれ程幸せなことはないと思う。

寿命が尽きるまで、大切なものが自身の中にあり続ければ、ソレは自身にとって永遠だ。
そして、もし、ソレが誰かに引き継がれ、大切にされる運命を辿ったとしたなら──
永遠というものに一歩近づけるのかもしれない。
────────────────────────
永遠に

Next