1件のLINEが届いた。
通知マークの隣には、馴染のある名前とアイコンが並んでいる。
上得意様からのご依頼だ。
今回の荷物は、小包。
以前の依頼の時も小包だった。
…小包が好きな御仁だ。
荷物の場所は、いつも通り。
ハイハイ。あそこですね。了解です。
お届け先は…研究所?
初めての場所だ。後でよく調べなくては。
お届け日は、明日の10時?
珍しい。いつもは当日の夜とかぬかす御仁のくせに、なかなか常識の範囲ではないか。
以前、休日出勤の夜間配達が度重なった際に送った、値上げの要求LINEが功を奏したのかもしれない。
当時は怒りのまま「友情割ならぬ、友情増しを要求します」と、皮肉な文面を送りつけたのだが──
「友情増しの有償増しですね。金で買うお友達とは、実にディストピア感溢れてよろしいですね」
皮肉に皮肉を重ねられて、余計に腹が立ったのは未だに記憶に新しい。
厄介な客ではあるが、届け先の人物たちは興味深いものがある。
学生カップル、海に佇む男性、遠距離恋愛のカップル、傘を忘れた女性…。
それぞれ個性があって面白い。
今回のお届け先である研究所の受取人は、どんな人物だろうか。
受取人の名前は、男性の名前が記されている。
研究所+白衣+男性=博士=おじいさんという連想の等式が浮かんだのだが、実際はどうなのだろうか。
俺は、上得意様に了承のLINEを返すとマップのアプリを開き、研究所の場所を検索することにした。
目が覚めると、時計はいつも午前5時半。
私はアラームを毎朝午前6時半にセットしている。
それなのに、アラームが鳴る1時間前に自然と目を覚ましてしまう。
午前5時半は、前職の起床時間だ。
どんなに遅い時間に寝ても、必ず5時半に起きていた。
睡眠時間が5時間を切ることはざらで、酷い時は一睡もできないまま職場に向かったこともある。
今は1時間遅く起きても大丈夫なのだが、習慣というのはなかなか抜けないようだ。
睡眠時間は7時間半ほどがベストだと聞いたことがある。それが確かなら、この体は多額の睡眠負債を抱えていることになる。
早く寝ても遅く寝ても5時半に目を覚ましてしまう我が身の負債は、一体いつ完済できるのだろうか。
睡眠負債の完済を目指すのなら、5時半に目を覚ます習慣に加え、睡眠を削るもう一つの要因リベンジ夜更かしの癖も直さなくてはいけないのだろう。
昼間に出来なかった事をついつい夜に詰め込んでしまう───悪癖と知りながらも、なかなか治らない。困ったものだ。
良い生活は、良い睡眠からともいう。
夜にやりたいことをするのではなく、やりたいことは朝に持っていくなどして、睡眠を確保するのが望ましいのだろう。
朝は朝で忙しく、夜ほど余裕がなく感じてしまうのだが、そういったこともいずれは慣れて習慣化するのだろうか。
実験してみるのも一興かもしれない。
私の当たり前…。
誰かにとっての当たり前は、また別の誰かにとっての非常識──というのは有名な話だ。
多くの人が共通認識としてある「人としての当たり前」は、犯罪を起こさないことくらいだろうか。
それ以外において、当たり前というのは万国共通ではない。
国家間、家族間、個人間。
ミクロ・マクロに見ても、文化や風習の違いなどがある為、各々が当たり前と呼ぶモノたちに差が生じる。
そういったことを視野に入れると、この世にある大半は、「当たり前」という言葉で片付けることは出来ないことになる。
最早、「当たり前」という言葉を使うこと自体、ナンセンスなことなのかもしれない。
「当たり前」という言葉は、周囲の共通認識があるという意味合いが強く、自身の主張において便利な面と危険な面がある。
「当たり前」とは思わず、諸刃の剣と心掛けたほうが良さそうだ。
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蛇足的追記
現世で「当たり前」の4文字で片付くことは少ない。
何故なら──自身の命があることすら当たり前ではないから。
「当たり前」と言っている当の本人は、当たり前に存在できない命の持ち主。
「当たり前でない」モノを持ちながら、何故当たり前と言えようか。
…少々蛇足が過ぎたかもしれない。
お粗末。
♪都会の灯りが
きらめきを 増す頃に
♪ふいにこころを
横切る 面影
♪どこにいるのか
どうしてるのか
あなたは今頃
♪若さで
傷つけた日々が 辛い
【MEMORY OF SMILE】
作曲:大野雄二 歌:山田康雄
都会の街明かりを背景に、懐旧の情に浸るビターテイストのチューン。
酸いも甘いも噛み分けた大人の色香。
日々悲喜交交を織りなす街の夜景。
燦然と輝く成功も、地を這うような失敗も──そこにはある。
良いお酒を用意して聴きたい一曲だ。
七夕は本来、手芸や裁縫の上達を願うものらしい。
それがいつからか、星に願いをと同じ感覚になり現在のようなお願い事を短冊に書くようになったのだとか。
七夕伝説の織姫と彦星は、一年に一度七夕の時にだけ会えるということになっている。
夫婦の関係である二人が、一年に一度しか会えないのは何故だろうか。
七夕伝説を紐解いてみると、その理由がわかるので、ちょいとざっくりいってみましょう。
元来仕事熱心だった織姫と彦星。
そんな二人が恋に落ちた──までは良かったのだが、恋は人を愚かにするのか、二人は仕事を怠けるようになってしまった。
怒った天の神(織姫のお父さん)は、織姫と彦星の間に天の川を挟んで会えないようにしてしまう。
二人を引き離したことにより、また仕事熱心な二人に戻ってくれると天の神は踏んでいたようだが、親の心子知らず──二人共仕事をすれども悲しみで上手くいかない状態となってしまった。
見兼ねた天の神は、一年に一度七夕の夜にだけ二人の逢瀬を許可するのだった。
イチャイチャラブラブな新婚夫婦なのだから、多少多めに見ても良い気がするのだけど…。新婚のお熱なんて3年ほどと世間では言われているのだし、天の神様も、もう少し広いお気持ちが必要では…。色々思いはしますが、七夕伝説はこんな感じのお話です。
これを知った上だと、七夕の短冊にあれこれ願い事を書いても、肝心のお二人は年に一度の逢瀬でそれどころではないような気がするのですが…。
それとも、出会えた喜びのテンションで人々の願い事を叶えるという大盤振る舞いをしてくれるのでしょうか。
愛は人を駄目にするのか、寛容にするのか──。
何だか壮大なテーマが見えたような気がしますが…さて。
久しぶりに、短冊に願い事を書いてみましょうか。
叶っても叶わなくっても、こういう行事は楽しいものですから。