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7/6/2024, 11:17:01 AM

友達との思い出は、私にとって宝だ。

そもそも友人という存在自体、得難い奇跡の賜物であるからして、思い出ともなれば奇跡の産物になる。

そんな貴重なものを、宝という以外何と称せば良いのだろう。

7/5/2024, 2:55:06 PM

家に隕石がある。

こう書くと、なんだか壮大な物語が始まりそうだが、今回はそんな壮大な物語を書くつもりはない。
ただ、以前購入した隕石の事をつらつらと書いてみようかと思ったまで、悪しからず。

件の隕石は、つくばエキスポセンターにて購入したお土産品だ。
科学館等にありがちな標本系の商品で、白いルースケースに入った隕石と隕石情報が書かれている厚紙が同梱されている。

隕石情報の厚紙には「隕石 ミニミニ」と表記されているが、商品裏のバーコードには「いん石 ミニミニ」となっている。表記ブレブレの緩さが、非常に微笑ましい。

隕石ミニミニ(こちらの方が読みやすいのでこちらの表記を採用)は、1576年アルゼンチンにて発見されたカンポ・デル・シエロ隕石の一部。
種類は、鉄質隕石でシリケート(ケイ酸塩)を含む粗いオクタヘドライト──参照:同梱の隕石情報

小指の爪を一回り小さくしたサイズだが、燻銀の重厚感ある色をしている。表面には段々とした彫りが刻まれており、まるで鳥の片翼の様に見える。

カンポ・デル・シエロ隕石は、総重量37,000kgもあったらしいので、自分が持っているのはクズと呼ばれる類のものだろう。それでも、表面に刻まれた翼の模様は、何にも代えがたい価値を内包しているように感じてならない。

ロマンチスト上等で言わせてもらえば、これは、星空の中を旅してきた、星の鳥だ。

果てしない宇宙を旅している最中、なんの因果あってか地球のアルゼンチンに墜落。それから393年間、土の中で眠っていたところ、人に発見される。それから更に時を重ねた、2024年。日本のつくばにてお土産品となっているところを私に発見された。

遥か遠く星空を旅し、地球上でも旅してきた翼が、白いルースケースの中で羽を休めている。

人では到底なし得ない長い長い旅をし、寿命が尽きて土に還るまで、長い長い時を地球と共に過ごすのだろう。

共にいられる時間は明らかに私の方が短いが、それまでの間ルースケースの中でその羽を休めてくれたら幸いである。

物言わぬ翼は今日も、鈍い輝きに銀河の片鱗を写している。
意味深長なその輝きに魅入られる一方で、宇宙の一部が手元にあるおかしみを、家にある隕石を見る度に味わっている。

7/4/2024, 11:58:25 AM

これはね、ナイショの話。

近い未来に下す決断はね、神様と自分の心だけが知っているよ。

神様はね、知っていても何もしない。
知らんぷりするよ。

何故って?

それはね、実行し、責任を負うまでが、人間の仕事だから。

神様は意地悪?

そうだね、意地悪かもしれない。

でもね。神様って、腹をくくって実行した人には、ご褒美を用意して待っていてくれるんだよ。

「よく試練を乗り越えたね」って一番喜んでいるのは、実は神様なんだ。

でも、このことは神様にはナイショ。
神様が困っちゃうから。

何故って?

神様は威厳が大切だから、ツンデレなことは秘密なんだって。

7/3/2024, 1:59:41 PM

「この道の先に何があるか分からないから、行く」
そういう性格なので、見切り発車もよくしてしまう。

これらの行動原理は至って単純で、「好奇心」「興味」の言葉で片付いてしまう。

「最後までやりきれるか」
「今、足りないものは何か」
「必要な時間は、どれくらいか」
「時間の確保は、可能か否か」

計画と呼ばれるそれらをなおざりにして、鉄は熱い内に打てとばかりに、とにかく興味が冷めない内に手を付けてしまうという悪癖が私にはある。

好奇心に駆られた私の頭に「出来る、出来ない」の基準はなく、ただ「やる」という言葉しかない。
そうなってしまうと、例えそれまでやっていた事があったとしてもそれをほっぽり投げて、興味へまっしぐら──その様は、端から見れば暴走列車のように見えるだろう。

暴走列車の燃料が満タンの時、勢いだけは滅法あるので諸々の問題を軽くスルーしてしまう。
ここで誤解をしてはいけない。
これは、問題を解決している訳では無く、あくまでも問題をスルー(無視)しているだけに過ぎない。故に、暴走列車の燃料が枯渇し始める頃、スルーしてきた問題がドドドッと山の様に押し寄せてきてしまう。

問題の多くは、計画を練らなかったことに起因している。所謂、無計画さへ対する罰だ。

燃料が枯渇した暴走列車にとって、それは致命傷となる。

問題が小さいうちならばすぐに解決出来たものも、暴走で無視し続けた事によって問題が膨らみ、更には他の問題と複雑に絡み合って埒のあかない状況となってしまっている。

しかし、悲しいかな。暴走列車は暴走列車でしかなく、燃料が枯渇していようと、前に進むことしか考えていない。
問題をスルーをしてきた時の様な力業をここでも使おうとしてしまう。

しかし、燃料が枯渇し、尚且つ問題の山に直面した今、それをする力がない(それすらも今頃に気付いたりする)。

そうなってしまうと、先へ進みたくても進めず、にっちもさっちも行かないジレンマに焦れて、とうとう走ることすらも放棄してしまう。

以上が、好奇心は旺盛なれど、飽き性の私がよく陥る現象だ。

シンプルな行動原理で実行する時ほど良く立ち止まり、目標への軌道修正を考える「計画」が大切となる。

よくよく肝に銘じておきたいところだが、好奇心の暴走列車を前に思い出せるかどうか…。
自信は、ない。

7/2/2024, 11:53:36 AM

薄明光線

或いは

光芒

または

天使の梯子

雲間から差す日差しは

名称までも美しい。

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