「この道の先に何があるか分からないから、行く」
そういう性格なので、見切り発車もよくしてしまう。
これらの行動原理は至って単純で、「好奇心」「興味」の言葉で片付いてしまう。
「最後までやりきれるか」
「今、足りないものは何か」
「必要な時間は、どれくらいか」
「時間の確保は、可能か否か」
計画と呼ばれるそれらをなおざりにして、鉄は熱い内に打てとばかりに、とにかく興味が冷めない内に手を付けてしまうという悪癖が私にはある。
好奇心に駆られた私の頭に「出来る、出来ない」の基準はなく、ただ「やる」という言葉しかない。
そうなってしまうと、例えそれまでやっていた事があったとしてもそれをほっぽり投げて、興味へまっしぐら──その様は、端から見れば暴走列車のように見えるだろう。
暴走列車の燃料が満タンの時、勢いだけは滅法あるので諸々の問題を軽くスルーしてしまう。
ここで誤解をしてはいけない。
これは、問題を解決している訳では無く、あくまでも問題をスルー(無視)しているだけに過ぎない。故に、暴走列車の燃料が枯渇し始める頃、スルーしてきた問題がドドドッと山の様に押し寄せてきてしまう。
問題の多くは、計画を練らなかったことに起因している。所謂、無計画さへ対する罰だ。
燃料が枯渇した暴走列車にとって、それは致命傷となる。
問題が小さいうちならばすぐに解決出来たものも、暴走で無視し続けた事によって問題が膨らみ、更には他の問題と複雑に絡み合って埒のあかない状況となってしまっている。
しかし、悲しいかな。暴走列車は暴走列車でしかなく、燃料が枯渇していようと、前に進むことしか考えていない。
問題をスルーをしてきた時の様な力業をここでも使おうとしてしまう。
しかし、燃料が枯渇し、尚且つ問題の山に直面した今、それをする力がない(それすらも今頃に気付いたりする)。
そうなってしまうと、先へ進みたくても進めず、にっちもさっちも行かないジレンマに焦れて、とうとう走ることすらも放棄してしまう。
以上が、好奇心は旺盛なれど、飽き性の私がよく陥る現象だ。
シンプルな行動原理で実行する時ほど良く立ち止まり、目標への軌道修正を考える「計画」が大切となる。
よくよく肝に銘じておきたいところだが、好奇心の暴走列車を前に思い出せるかどうか…。
自信は、ない。
7/3/2024, 1:59:41 PM