私の当たり前…。
誰かにとっての当たり前は、また別の誰かにとっての非常識──というのは有名な話だ。
多くの人が共通認識としてある「人としての当たり前」は、犯罪を起こさないことくらいだろうか。
それ以外において、当たり前というのは万国共通ではない。
国家間、家族間、個人間。
ミクロ・マクロに見ても、文化や風習の違いなどがある為、各々が当たり前と呼ぶモノたちに差が生じる。
そういったことを視野に入れると、この世にある大半は、「当たり前」という言葉で片付けることは出来ないことになる。
最早、「当たり前」という言葉を使うこと自体、ナンセンスなことなのかもしれない。
「当たり前」という言葉は、周囲の共通認識があるという意味合いが強く、自身の主張において便利な面と危険な面がある。
「当たり前」とは思わず、諸刃の剣と心掛けたほうが良さそうだ。
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蛇足的追記
現世で「当たり前」の4文字で片付くことは少ない。
何故なら──自身の命があることすら当たり前ではないから。
「当たり前」と言っている当の本人は、当たり前に存在できない命の持ち主。
「当たり前でない」モノを持ちながら、何故当たり前と言えようか。
…少々蛇足が過ぎたかもしれない。
お粗末。
7/9/2024, 12:05:12 PM