「ねぇ、君って”過客”でしょう。マスクを付けていないもの」
突然話しかけてきたそいつは、ペストマスクをしたミニキャラだった。
頭には鍔付きの黒い帽子を被り、顔には歴史の教科書で見たペスト医師のマスクをつけ、幼稚園生くらいの身長を包む洋服は、これまたペスト医師のような黒いコートだった。
「こんな所で”過客”に出会えるなんて珍しいな」
ペストマスクが喜んでいる。
顔は見えなくても、ウキウキとした身振りや喜色を帯びた声から上機嫌なのが伝わってくる。
「ここで会えたのも何かの縁だし、僕がこの街を案内するよ」
断る暇も与えずにペストマスクが袖をグイグイと引っ張ってくる。
何故ここにいるのか不明な今、このへんてこりんなペストマスクに付き合うのも悪くないだろう。
そんな事を考えていると、ペストマスクが袖をつかんだまま歩き出した。
ペストマスクはミニキャラのくせに力が強い。
引っ張られ、つんのめる形で石畳の暗い裏道を抜けると、日の当たる円形の大広場に出た。
大広場の中心では、噴水が涼し気な水音を周囲に響かせている。
まだ高い位置にある太陽の日差しを受けた水しぶきが
キラキラと輝き、まるで絵画の一場面のようだ。
広場を囲う建物は、どの建物もステンドグラスの窓を持ち、全体的に棘棘としている。
所謂ゴシック建築と言われるものだろう。
思わず歴史的な建築物という想像をしたが、ハズレのようだ。
どの建物もドア付近にショーウィンドウを持ち、プラプラと風に揺れる看板を掲げている。
意外だなと思いながら、ショーウィンドウを軽く流し見て驚いた。
ショーウィンドウの中に飾られているのは全て、本だ。
プラプラと揺れる看板の文字はよく読めないが、多分本屋と書いてあるのだろう。
ショーウィンドウの中に児童書を掲げたこじんまりとした本屋の隣に、一揃いの小説を慎ましやかに飾った本屋がある。その隣にはカラフルな漫画本でショーウィンドウを賑やかに飾った大型店があり…どこを見ても本屋、本屋、本屋。本屋がひしめき合っていた。
「ここは本屋通り。この街の住民は本が好きなんだ。目移りするくらいあるでしょ」
ペストマスクが自慢気に言ってくる。
「でもね、これでも昔より少ないんだ」
ペストマスクは少し寂しげな様子で、広場にある本屋を見渡した。
「昔はもっと多かったの?」
「昔は、さっき通った裏路地にも本屋があったんだよ。でも、こういうのってしょうがないことなんだよね。新しいものが増えたら、古いものは廃れてしまうんだ」
ここにある本屋達はもってほしいな…。
ペストマスクは寂しげに呟くと、首をふるふると振った。
「しんみりしちゃいけないね。”過客”の方をご案内中なのだから」
「さっきから言っている過客って何?」
「旅人のことだよ。色々な世界を旅する尊い人。過客に出会ったら丁重にもてなすよう教えられているんだ」
ペストマスクは誇らしげに胸を張ると、再び袖をぐいっと引っ張ってきた。
「街の全体が見える塔に連れて行ってあげる」
どうやらこの子は、丁重にもてなすの意味を知らないようだ。
────────────────────────
ペストマスクに引かれながら本屋通りを抜けると、緩やかな坂道が現れた。
それと同時に不思議な音楽が聞こえてきた。
「不思議な曲でしょう?」
ペストマスクの言葉に素直に頷くと、ペストマスクはうんうんと頷き言葉を続けた。
「民族的で、未来的で、懐古的。十数年前にこの街で流行った音楽なんだけど、また密かに流行り始めてるんだよ。僕はこの曲を聴くと、遠い昔から知っていたような、大切な何かを思い出せそうな気分になるんだ」
ペストマスクが言うように、その曲は次元を超えた何かを持っているように感じた。
その証拠に、歌声を聴くたびに心が震えてしょうがない。
物事は出会うべくして出会うと言うが、この広い世界で出会うべきものと出会える確率はどれくらいだろうか。
そして、出会ったものに心が打ち震える確率は一体どれくらいなのだろうか。
心から湧き上がってくる歓喜と敬虔な気持ちに感じ入っていると、「ほら、あそこを見て」ペストマスクが左方の遠くを指差した。
ペストマスクの指差す方を目で追うと、屋根の合間から小高い丘が見えた。
「夜になるとね、あそこ」
ペストマスクは、緑の丘の中央付近をぐるりと指した。
「あの辺りで、この音楽を作ったアーティストのホログラム演奏が見られるんだよ。あっ、因みにホログラム演奏っていうのは、実際に本人がいるわけじゃなくて、立体映像のことなんだ。何処の誰がホログラムを流しているのか誰も知らないし、その事を追及する住民はこの街にはいない。皆、一度彼の曲を聴くと酔いしれちゃうからね。彼の音楽が聴けることに異論なんてないのさ。その証拠に、好きな曲を僕たちで選ぶことは出来ないけれど、文句を言っている人は一人も見たことがないよ。彼が歌う姿を貴方にも観てもらいたいな。彼が歌うとね、金星が一等輝くんだ。オーロラが出ている時は、歌声に合わせて赤や緑に変わるんだよ」
ペストマスクは興奮した様子で捲し立てると、丘を指さしていた手を引っ込め、自身の胸元をギュッと握りしめた。
まるで、そうでもしないと心臓が飛び出してしまうと言わんばかりに黒いコートを掴む手は白くなっている。
「僕、彼の歌っている姿が好きだ。夜空に向かって歌う姿は、まるで遠い存在に向けて祈っているみたいに見えるんだ。彼の歌う歌詞は難しいけれど、旋律に身を委ねていると歌詞の根底に隠された深い優しさに気付けるんだ。僕はその優しさに触れてどんなに心が満たされたか知れないよ」
ペストマスクはホーっと長い息を吐くと、コートから手を離した。
握りしめられていた黒いコートは、クチャクチャになってしまっているが、ペストマスクの意識はアーティストのことでいっぱいらしい。
コートのシワを伸ばすこともせず、今は見えないホログラムのアーティストを幻視するかのように丘を見つめている。
「彼は世界に向けて、音楽という形で愛を届けているんだろうね」
ペストマスクの言う、夜空へ向けて祈りを捧げるように歌うアーティストの事を想った。
彼が空へ歌声を響かせると金星が光を放ち、その側では天女の羽衣のようなオーロラが鮮やかな色でそよぎ始める。
金、緑、青、赤、ピンク、紫。
豊かな色彩の中心にいるアーティストは、自身の中にある愛で世界を満たしていた。
幻想的な想像に浸っていると、ペストマスクの声が現実へと意識を引き戻した。
「昔はね、吟遊詩人がこの街のために歌を作ってくれていた時もあるんだよ」
ペストマスクは遠くの丘から目を離すことなく、大切な秘密を明かすかの様にひっそりと言葉を続けた。
まだ終わらない(´・ω・`)
続きはまた今度
街
休日の朝は、トーストが焼けるまでの間に手帳の整理をしている。
お気に入りのペンを片手に、終了したタスクには消し込み線を入れ、今後のタスクについては、諸注意や気付いたことを書き込んでいく。
仕事の効率化と共に頭の整理にもなるので、手帳に向き合う時間は大切だ。
異動する前は、スケジュールのタスク欄がみっちりあるとうんざりしていた。タイムスケジュールを書き込んで管理してもその通りに進むことは稀で、リスケにリスケを重ねたページはグチャグチャだった。
今思えば、慣れない環境、慣れない仕事に手一杯で心の余裕がなかったのだと思う。
実際、その手帳を使っていた時はケアレスミスばかり起こしていた。
今は、手帳のタスク欄が賑やかになってくるとほくそ笑んでしまう。
タスクの分だけ博士の力になれるし、頼ってもらえていると思うと純粋に嬉しい。
仕事というのは誰かの為になる。
それは、ユーザーやエンドユーザーだけでなく、協力会社や自社の人間もその中に含まれる。
顔も知らぬ人の為を思うのは、あまり実感がわかなかった私だが、かつて憧れた人の為になる今は、その喜びを人一倍噛み締めている。
鼻歌を歌いながら手帳のページを捲ると、手帳にありがちな、やりたいことリストの頁が出てきた。
こちらは先のToDoリストとは違い、将来の願望や願い事を書くリストだ。
仕事上のやりたい事はそれなりに埋まっているが、プライベートにおけるやりたいことの項目は埋まっていない。
一応、「恋人を作る」や「いつかは結婚したい」等、一般的な願いを書いているが、取り立てて今すぐ叶えたいとは思っていない。
願望の程度としても、叶えば良いなぁであり、絶対叶えたいとまでいかない。
そういえばいつだったかの三時の休憩中に博士に言われたことがある。
「君は何かやりたいと思うことはないの?」
いつも僕を手伝ってくれるけれど、研究したいことがあるならしても良いんだよ?
そう続けた博士は、気遣わしげな表情をしていた。
私は若干苛立ちながら「個人的に研究したいとか、そういうのは特にないんです」とキッパリ言い放った。
博士はしょげた様子で小さく「そう」とだけ返すと、背中を丸めて温くなったお茶を啜っていた。
あの時、博士に言えず飲み込んだ言葉がある。
やりたいことは、もうやっています。
貴方の役に立つことが、私のやりたいことなんです。
──なんて、本人に言えるわけがない。
博士の鈍感。
そう心の中で野次ると、記憶の中の博士はますます小さくなってしまった。
培地に気になる反応が起きていた。
原因を突き止める為、過去の論文や記録を遡り始めたのが午後8時。
ほんの数時間だけと決めたことも忘れて、僕は夢中で論文を読み続けていた。
いくつかの論文を読み終え、別の論文に手を伸ばした瞬間、喉が渇きを訴えてきた。
喉の奥に僅かなヒリヒリとした痛みもある。
コレを放置すると本格的に喉を痛めたり、最悪、風邪をひいてしまう可能性がある。
「一杯の水を飲みに行くのが億劫で風邪を引きました」なんて言ったら、助手の彼女は怒るだろう。
その上研究も休むことになったら、泣きっ面に蜂どころではない。
一杯の水を飲みに行く手間を惜しまなければ、全て回避出来る。論文を読むのはその後でも良いだろう。
僕は深い息を吐き、重たい首を上げた。
先程まで真っ暗な夜を映していたブラインドの奥が赤々と輝いている。
不意に受けた眩しさで、目がしょぼしょぼとする。
目を擦りつつ、研究室の壁にかけられた時計を見ると、時計の針は午前4時を指していた。
ブラインドを開けようとオフィスチェアから立つと、膝がバキッという鈍い音を立てた。
痛む膝を擦りつつブラインドの紐に手をかける。
グッと下に引っ張るとブラインドが上がり、外の景色が現れた。
曙色を帯びた東の空に、金色の太陽がある。
近くの里山には朝日が差し込み、風に揺れる広葉樹がキラキラとした輝きを放っている。
研究所の前にある道路は、里山の落とす紫がかった青の影に沈み、通らない車を待つまばらな街灯がポツリポツリと道を照らしている。
市街地から研究所へと続くこの道路は、研究所から数キロもしないうちに行き止まりとなっている。
その為、日中でも交通量は少なく、この時間に至っては皆無だ。
車や生活音がない為、窓越しでも鳥たちによる夜明けのコーラスが聞こえてくる。
窓の鍵を解錠し開くと、鳥たちの歌声が鮮明に響いた。
賑やかなコーラスに頬を緩めていると、清澄な朝の風が髪や頬を撫でていく。
今日も良い一日になりそうだ。
窓に手をかけそんな事を思っていると、朝日の温もりが手を包みこんだ。
東の空に輝く太陽が先程よりも高い位置にある。
地球は今日も真面目に運行しているようだ。
僕は小さく笑うと、水を飲みに給湯室へと向かった。
岐路に立つ。
人は、1日に何回岐路に立つのだろう。
ケンブリッジ大学Barbara Sahakian教授の研究によると、人は1日に35,000回選択するという。
この35,000という数字は、言語・食事・交通・体の動かし方・仕事・家事等の決断を含めた回数を指している。
何を話そうか。どんな言葉を使おうか。何を食べようか。どんな手段で目的地へ向かおうか。走るのか。歩くのか。優先順位の高いタスクは何か。買わなくてはいけないものは何か…。
確かに日常の選択肢を考え出したらきりがない。
普段あまり意識したことはないが、人は常に選択肢に囲まれている状態と言っても過言ではないかもしれない。
しかも、一つを決めても次の選択肢が待っている。その選択肢を決めてもまた選択肢が現れて…と選択肢の無限ループが起きている。
その上、選択→決定→行動という流れも都度するのだから、とんでもないことだ。
そんな状態なのだから、時に選択を失敗してしまうのは、しょうがないことなのかもしれない。
1日の終わりにクタクタになってしまうのもまた然りだ。
「生きているだけ偉い」という言葉があるが、全くもってその通りだと思う。
1日35,000もの岐路に立って生きているのだ。
十分、偉いではないか。
世界の終わりに君と
これまたリバイバルテーマだ。
正直に言うと、6月に入ってからずっとリバイバルテーマなのだが。
まぁそんな事は、今は置いておくとして。
問題は「世界の終わり」というテーマだ。
まず、リバイバル中の
「世界の終わりに君と」
それ以外記憶にあるのは
「明日世界が終わるなら」
…世界は何回終わるんだい?
もう、皆まで言わなくてもわかるだろう。
ネタが無いのだよ。
こういう時は…仕方ない。
彼らにお任せしよう。
────────────────────────
午後3時。
渋めに淹れたお茶といつもの絶品饅頭で一息入れていると、隣で一緒にお茶を啜っていた助手が話しかけてきた。
「博士は、明日世界が終わるなら誰と居たいですか?」
まったりとするお茶の時間になかなかミスマッチな話題だ。
「急にどうしたの?」
「昨日読んでいた小説がそういう内容だったので」
そういえば彼女は、以前も恋愛モノで盛り上がっていた事がある。
「君は影響を受けやすいタイプなんだね」
僕の言葉は彼女の耳には届かなかったのだろう。
「で、博士は誰と居たいですか?」
彼女は爛々とした目をしている。
どうやら興味の方が勝ってしまっているらしい。
適当な事を言って逃げるのも難しそうだ。
「世界の終わりに一緒に居たい人、ねぇ…」
僕は、左手に持った食べかけの饅頭を置く代わりに、右手に持っていたお茶を机の上に置いた。
空いた右手をそっと顎に添える。
誰が良いだろうか。
学生時代の友人は、それぞれ家庭を持っている。
世界の終わりには僕とではなく、自分の家族と居たいだろう。友人には友人の幸せがあって然るべきだ。
ならば血縁者である僕の両親とは、どうだろう。
世界の終わりの日に両親と──そこまで思った時、二人の声が脳内に響いた。
「結婚は?」「〇〇君のところは2人目だって」
過去、正月の帰省の度に言われた言葉だ。
耳にタコができそうだったので、正月帰省の回数を減らした。ここ数年はご無沙汰だ。
そんな両親に会ったら、世界の終わりまで独身であることを責められ、「孫の顔が見たかった」とか言われ続けるのだろう。
想像しただけでげんなりとしてきた。やめよう。
世界が終わってしまうならば、怒号が飛び交うような空間で最期を迎えるのは論外だし、胃が痛くなる空間も御免被りたい。
出来れば、お茶を飲んで美味しいお菓子をつまんで他愛もない話をする──この3時の休憩のような穏やかな最期が良い。
ならば、世界の終わりに一緒に居たい人は──。
「はーかーせ!」
思考に囚われていた視界が、彼女の顔を大きく映した。
そのあまりの近さに肩がビクッと震え、危うく持っていた饅頭を手から落とすところだった。
「わっ!ビックリした」
「何回も呼んでいるのに無視するからですよ」
彼女はプクッと頬を膨らませ、ご機嫌斜め“風”な顔をしている。
「わざとじゃないよ。考え事をしていると周りが見えないし、聞こえなくなっちゃうんだよ」
「それ危ないですからね!」
日常だって意外と危険はあるんですから。
少しは現実も意識しないと。
怪我したら大変なんですよ。
彼女の口からお小言がポンポンと飛び出てくる。
何故だろうか、耳を打つ彼女のお小言は痛くない。
その事実に驚いている自分と、受け入れている自分が居る。
やはりそうなのだろうか。
コレが答えなのだろうか。
君が嫌がらなければという大前提は勿論あるが──
世界が終わるなら、いつものように──
僕は、君と居たいみたいだ。