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培地に気になる反応が起きていた。

原因を突き止める為、過去の論文や記録を遡り始めたのが午後8時。
ほんの数時間だけと決めたことも忘れて、僕は夢中で論文を読み続けていた。

いくつかの論文を読み終え、別の論文に手を伸ばした瞬間、喉が渇きを訴えてきた。
喉の奥に僅かなヒリヒリとした痛みもある。
コレを放置すると本格的に喉を痛めたり、最悪、風邪をひいてしまう可能性がある。

「一杯の水を飲みに行くのが億劫で風邪を引きました」なんて言ったら、助手の彼女は怒るだろう。
その上研究も休むことになったら、泣きっ面に蜂どころではない。

一杯の水を飲みに行く手間を惜しまなければ、全て回避出来る。論文を読むのはその後でも良いだろう。

僕は深い息を吐き、重たい首を上げた。

先程まで真っ暗な夜を映していたブラインドの奥が赤々と輝いている。

不意に受けた眩しさで、目がしょぼしょぼとする。
目を擦りつつ、研究室の壁にかけられた時計を見ると、時計の針は午前4時を指していた。

ブラインドを開けようとオフィスチェアから立つと、膝がバキッという鈍い音を立てた。

痛む膝を擦りつつブラインドの紐に手をかける。

グッと下に引っ張るとブラインドが上がり、外の景色が現れた。

曙色を帯びた東の空に、金色の太陽がある。
近くの里山には朝日が差し込み、風に揺れる広葉樹がキラキラとした輝きを放っている。
研究所の前にある道路は、里山の落とす紫がかった青の影に沈み、通らない車を待つまばらな街灯がポツリポツリと道を照らしている。
市街地から研究所へと続くこの道路は、研究所から数キロもしないうちに行き止まりとなっている。
その為、日中でも交通量は少なく、この時間に至っては皆無だ。

車や生活音がない為、窓越しでも鳥たちによる夜明けのコーラスが聞こえてくる。

窓の鍵を解錠し開くと、鳥たちの歌声が鮮明に響いた。

賑やかなコーラスに頬を緩めていると、清澄な朝の風が髪や頬を撫でていく。

今日も良い一日になりそうだ。

窓に手をかけそんな事を思っていると、朝日の温もりが手を包みこんだ。

東の空に輝く太陽が先程よりも高い位置にある。

地球は今日も真面目に運行しているようだ。

僕は小さく笑うと、水を飲みに給湯室へと向かった。

6/9/2024, 1:29:01 PM