岐路に立つ。
人は、1日に何回岐路に立つのだろう。
ケンブリッジ大学Barbara Sahakian教授の研究によると、人は1日に35,000回選択するという。
この35,000という数字は、言語・食事・交通・体の動かし方・仕事・家事等の決断を含めた回数を指している。
何を話そうか。どんな言葉を使おうか。何を食べようか。どんな手段で目的地へ向かおうか。走るのか。歩くのか。優先順位の高いタスクは何か。買わなくてはいけないものは何か…。
確かに日常の選択肢を考え出したらきりがない。
普段あまり意識したことはないが、人は常に選択肢に囲まれている状態と言っても過言ではないかもしれない。
しかも、一つを決めても次の選択肢が待っている。その選択肢を決めてもまた選択肢が現れて…と選択肢の無限ループが起きている。
その上、選択→決定→行動という流れも都度するのだから、とんでもないことだ。
そんな状態なのだから、時に選択を失敗してしまうのは、しょうがないことなのかもしれない。
1日の終わりにクタクタになってしまうのもまた然りだ。
「生きているだけ偉い」という言葉があるが、全くもってその通りだと思う。
1日35,000もの岐路に立って生きているのだ。
十分、偉いではないか。
世界の終わりに君と
これまたリバイバルテーマだ。
正直に言うと、6月に入ってからずっとリバイバルテーマなのだが。
まぁそんな事は、今は置いておくとして。
問題は「世界の終わり」というテーマだ。
まず、リバイバル中の
「世界の終わりに君と」
それ以外記憶にあるのは
「明日世界が終わるなら」
…世界は何回終わるんだい?
もう、皆まで言わなくてもわかるだろう。
ネタが無いのだよ。
こういう時は…仕方ない。
彼らにお任せしよう。
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午後3時。
渋めに淹れたお茶といつもの絶品饅頭で一息入れていると、隣で一緒にお茶を啜っていた助手が話しかけてきた。
「博士は、明日世界が終わるなら誰と居たいですか?」
まったりとするお茶の時間になかなかミスマッチな話題だ。
「急にどうしたの?」
「昨日読んでいた小説がそういう内容だったので」
そういえば彼女は、以前も恋愛モノで盛り上がっていた事がある。
「君は影響を受けやすいタイプなんだね」
僕の言葉は彼女の耳には届かなかったのだろう。
「で、博士は誰と居たいですか?」
彼女は爛々とした目をしている。
どうやら興味の方が勝ってしまっているらしい。
適当な事を言って逃げるのも難しそうだ。
「世界の終わりに一緒に居たい人、ねぇ…」
僕は、左手に持った食べかけの饅頭を置く代わりに、右手に持っていたお茶を机の上に置いた。
空いた右手をそっと顎に添える。
誰が良いだろうか。
学生時代の友人は、それぞれ家庭を持っている。
世界の終わりには僕とではなく、自分の家族と居たいだろう。友人には友人の幸せがあって然るべきだ。
ならば血縁者である僕の両親とは、どうだろう。
世界の終わりの日に両親と──そこまで思った時、二人の声が脳内に響いた。
「結婚は?」「〇〇君のところは2人目だって」
過去、正月の帰省の度に言われた言葉だ。
耳にタコができそうだったので、正月帰省の回数を減らした。ここ数年はご無沙汰だ。
そんな両親に会ったら、世界の終わりまで独身であることを責められ、「孫の顔が見たかった」とか言われ続けるのだろう。
想像しただけでげんなりとしてきた。やめよう。
世界が終わってしまうならば、怒号が飛び交うような空間で最期を迎えるのは論外だし、胃が痛くなる空間も御免被りたい。
出来れば、お茶を飲んで美味しいお菓子をつまんで他愛もない話をする──この3時の休憩のような穏やかな最期が良い。
ならば、世界の終わりに一緒に居たい人は──。
「はーかーせ!」
思考に囚われていた視界が、彼女の顔を大きく映した。
そのあまりの近さに肩がビクッと震え、危うく持っていた饅頭を手から落とすところだった。
「わっ!ビックリした」
「何回も呼んでいるのに無視するからですよ」
彼女はプクッと頬を膨らませ、ご機嫌斜め“風”な顔をしている。
「わざとじゃないよ。考え事をしていると周りが見えないし、聞こえなくなっちゃうんだよ」
「それ危ないですからね!」
日常だって意外と危険はあるんですから。
少しは現実も意識しないと。
怪我したら大変なんですよ。
彼女の口からお小言がポンポンと飛び出てくる。
何故だろうか、耳を打つ彼女のお小言は痛くない。
その事実に驚いている自分と、受け入れている自分が居る。
やはりそうなのだろうか。
コレが答えなのだろうか。
君が嫌がらなければという大前提は勿論あるが──
世界が終わるなら、いつものように──
僕は、君と居たいみたいだ。
職場環境が変わった関係で、文章作る時間が以前より少なくなってしまった。
そのせいか──いや、もともとから文章の迷走をしているくちだが、最近の迷走っぷりはなかなかのものがある。
オチを決めないで書く弊害とはこんなに大きなものだっただろうか。
はたまた慣れない職場環境に頭が疲労しているのだろうかなどと言い訳をしてみる。
必死に文章を作っているつもりなのだが、時間を置いてから読むと非常に読み辛い。
まるで、躓きやすいデコボコとした道を歩いている時のような感じがして非常に落ち着かない。
少しでも滑らかな文になるよう修正を行わなくてはいけないのだが、最近はそれも一回では済まなくなっている。
自分の中にある「最悪修正すればイイや」という甘い考えが悪循環を生んでいるのだろうか。
悪循環が悪循環を生み、そのうちその状況にも飽きて「今日は作らなくてもいいや」となってしまったりして。
…秒で想像できたわ…。コンマ1秒必要なかったわ…。
そういう未来もいつか来てしまうかもしれない。
けれど今は、言葉や文章が下手でも、博士と助手とか物語を書きたい気持ちだけはちゃんとある。
みっともなくても、修正を繰り返しても、書きたいことを書いていく──そんなマイペースも悪くないかもしれない。
夜、書き物机に向かって日記を書く。
小学生の時から続けている習慣だが、大人になった今も続いている。
人にその事を言うと「よく続くね」と感嘆されるが、私個人としては日記をつけている時間が好きなだけで特別凄いことをしているつもりはない。
今日起きた事や見たもの、思ったことを文字として残す。そうすることで、頭や心が整理されるような気がするから好きだ。
それに、人には言えない愚痴や誰にも言えない秘密なんかも好き勝手に書ける日記は、今流行りのSNSよりも気楽で安心だ。
そもそも、人に「イイね」なんて言われるような生活はしていないし。
そんな自分だから、日記が丁度いいのかもしれない。
今使っている日記帳は、金の飾り罫が映えるミッドナイトブルー色の三年日記だ。
そこそこ厚みのある日記帳の初めの方を捲ると、研究所に異動したばかりの頃の事が書かれている。
初めての異動で眠れない夜を過ごしたことや、自己紹介早々やらかしたことなど、今となっては笑い話だが当時の猛省した跡が日記帳にはしっかりと残っている。
頁を進めていくと、次第に研究所で育てている花のことや、博士と交わした何気ない会話、博士が起こした失敗など、博士とのエピソードばかりが目立っていくようになる。
どの頁を読んでも楽しかった記憶が蘇ってきて、自然と笑顔になってしまう。
穏やかな気持ちで頁を捲っていると、ある疑問が脳裏を過ぎった。
私は手元の三年日記を閉じると、書き物机の上に並んでいる歴代の日記帳の中から、以前使っていたクリムゾン色の三年日記を引っ張り出した。
この日記帳は、大学と新入社員時代に使っていたものだ。
久しぶりに捲ると、学生時代の自分の文字でバイトや就活のこと、愚痴から願望までごたまぜの雑記が綴られている。
当時のイライラや焦りが字に表れていて、読んでいるだけで当時の感情が蘇ってくる。こころなしか胃がキュッと痛い。
頁を大雑把に飛ばして、日記帳の半ばを開くと今度は新入社員時代のエピソードが出てきた。
学生時代よりマシだろうなんて思ったのは、甘かった。
新社会人として意気込んでは失敗しているという、恥ずかしい内容ばかりが目に飛び込んでくる。
読んでいるだけなのに顔から火が出そうだ。
私は日記を持ちながら、乾いた笑いをもらした。
ああ、そうだった。
日記とはこういう面があるものだった。
日記に書かれた思い出は、楽しいものばかりではない。
当時の未熟な自分の七転八倒している姿を再度思い出して苦しむことにだってなるのだ。現にもう苦しい。
迂闊過ぎる自分を呪いたくなるが、これも自身で沸き起こった疑問を解決するため。
この日記帳を見れば、疑問は解決出来る。
問題は、読むことによって得られてしまう悶絶したくなるほどしんどい羞恥心だ。
過去から襲い来るこの感情を避けるには、極力内容を頭には入れず、単語を拾うことに徹することが唯一の攻略方法だろう。
私は喝を入れると、再びクリムゾン色の日記と向かい合った。
頁を捲るたびに内心ギャーギャー悲鳴を上げ、疲労困憊となった頃。
ようやく最終頁の最後の文字まで辿りついた。
私は、過去のものを葬り去る勢いでクリムゾン色の日記を閉じると、その勢いのまま元あった場所に日記を返した。
どうしてだか、日記帳が手元からなくなっただけで息がしやすい。
深く息を吐くと、ぐるぐる渦巻いていた不快なものが少し消えた。
多少体が軽くなったので、日記帳から得た単語を脳内で仕分け整理する。単語の束が出来た所で今度は分析をしていく。
その間私は、対象を冷静に分析する一介の研究者となっていた。
分析の結果。
新入社員時代でも営業所で起きたエピソードを書いていることはほとんど無く、(同僚とランチや飲み会に行った事などは書いてあったが)同僚と交わした何気ない会話だとか失敗話といった類は見当たらなかった。
日記帳に何十ページに渡り同じ人物のことが書いてあることもなかった。
他の日記帳を調べればもしかしたら、学生時代の友達や初恋の人のエピソードが出てくるかもしれないが、今はもう読む気になれない。
これ以上は危険と分析者の私が、言っている。
再検証は次回に持ち越すことにしよう。
分析を終えると再びどっと疲れが押し寄せてきた。
私は、書き物机にだらしなく頬をつけた。
歴代の日記帳達が視界に入ってくる。
この日記帳の分だけ過去の自分がいて、失敗や喜びがあった。
そう思うと、
「読んでいて楽しい日記なんて」
もしかしたら、今が一番幸せなのかもしれない。
目の端に映るミッドナイトブルーが輝いて見えた。
時計が午前二時を指した。
切りの良いところまで入力を済ませ、Ctrl+Sを押してソフトを閉じる。
音もなくソフトが閉じると、見慣れたデスクトップが滲んで見えた。
シパシパとした違和感は、眼精疲労によるものだろう。
電気代節約の為と電気を消してパソコン作業していたことが仇となったらしい。
眉間をグッと揉んで解すと、目の奥の方がジンと痛んだ。
これは、なかなかの疲労具合だ。
深夜まで残業して、電気代ケチって目を痛めました。なんて助手の彼女に知られたらただじゃすまないだろう。
「また怒られちゃうな」
彼女の怒った顔が脳裏に浮かんできて、思わず苦笑が漏れる。
「証拠隠滅は…今日は難しいか」
自分の家に帰って、翌朝何食わぬ顔をして出勤する──何時もの手口を使えば、お咎めは避けられるだろう。
しかし、目の奥の痛みを自覚してからというもの身体の怠さも自覚してしまい、家に帰る気力はもう無い。
「…しょうがない」
僕は深いため息をつくと、重たい体を引きずるようにして、研究所の二階にある仮眠室へと向かった。
仮眠室は、住居としても利用されていた時の名残りだ。
窓のない狭い空間に簡易ベッドがあるだけという非常にシンプルな作りをしている。
定期的に掃除をしているのでそこそこ小綺麗ではある。
重い足取りでようやくベッドまで辿り着くと、白衣のままベッドへダイブする。
白衣がしわくちゃになってしまうがこの際関係ない。
彼女に怒られるのは決まっているのだから。
軽い衝撃とボスンという気の抜けた音を聞いたのを最後に、僕は深い眠りへと落ちていった。