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夜、書き物机に向かって日記を書く。
小学生の時から続けている習慣だが、大人になった今も続いている。
人にその事を言うと「よく続くね」と感嘆されるが、私個人としては日記をつけている時間が好きなだけで特別凄いことをしているつもりはない。

今日起きた事や見たもの、思ったことを文字として残す。そうすることで、頭や心が整理されるような気がするから好きだ。
それに、人には言えない愚痴や誰にも言えない秘密なんかも好き勝手に書ける日記は、今流行りのSNSよりも気楽で安心だ。

そもそも、人に「イイね」なんて言われるような生活はしていないし。

そんな自分だから、日記が丁度いいのかもしれない。

今使っている日記帳は、金の飾り罫が映えるミッドナイトブルー色の三年日記だ。

そこそこ厚みのある日記帳の初めの方を捲ると、研究所に異動したばかりの頃の事が書かれている。

初めての異動で眠れない夜を過ごしたことや、自己紹介早々やらかしたことなど、今となっては笑い話だが当時の猛省した跡が日記帳にはしっかりと残っている。

頁を進めていくと、次第に研究所で育てている花のことや、博士と交わした何気ない会話、博士が起こした失敗など、博士とのエピソードばかりが目立っていくようになる。

どの頁を読んでも楽しかった記憶が蘇ってきて、自然と笑顔になってしまう。

穏やかな気持ちで頁を捲っていると、ある疑問が脳裏を過ぎった。

私は手元の三年日記を閉じると、書き物机の上に並んでいる歴代の日記帳の中から、以前使っていたクリムゾン色の三年日記を引っ張り出した。

この日記帳は、大学と新入社員時代に使っていたものだ。
久しぶりに捲ると、学生時代の自分の文字でバイトや就活のこと、愚痴から願望までごたまぜの雑記が綴られている。
当時のイライラや焦りが字に表れていて、読んでいるだけで当時の感情が蘇ってくる。こころなしか胃がキュッと痛い。
頁を大雑把に飛ばして、日記帳の半ばを開くと今度は新入社員時代のエピソードが出てきた。
学生時代よりマシだろうなんて思ったのは、甘かった。
新社会人として意気込んでは失敗しているという、恥ずかしい内容ばかりが目に飛び込んでくる。
読んでいるだけなのに顔から火が出そうだ。

私は日記を持ちながら、乾いた笑いをもらした。

ああ、そうだった。
日記とはこういう面があるものだった。
日記に書かれた思い出は、楽しいものばかりではない。
当時の未熟な自分の七転八倒している姿を再度思い出して苦しむことにだってなるのだ。現にもう苦しい。

迂闊過ぎる自分を呪いたくなるが、これも自身で沸き起こった疑問を解決するため。
この日記帳を見れば、疑問は解決出来る。
問題は、読むことによって得られてしまう悶絶したくなるほどしんどい羞恥心だ。
過去から襲い来るこの感情を避けるには、極力内容を頭には入れず、単語を拾うことに徹することが唯一の攻略方法だろう。

私は喝を入れると、再びクリムゾン色の日記と向かい合った。

頁を捲るたびに内心ギャーギャー悲鳴を上げ、疲労困憊となった頃。
ようやく最終頁の最後の文字まで辿りついた。
私は、過去のものを葬り去る勢いでクリムゾン色の日記を閉じると、その勢いのまま元あった場所に日記を返した。

どうしてだか、日記帳が手元からなくなっただけで息がしやすい。
深く息を吐くと、ぐるぐる渦巻いていた不快なものが少し消えた。

多少体が軽くなったので、日記帳から得た単語を脳内で仕分け整理する。単語の束が出来た所で今度は分析をしていく。
その間私は、対象を冷静に分析する一介の研究者となっていた。

分析の結果。

新入社員時代でも営業所で起きたエピソードを書いていることはほとんど無く、(同僚とランチや飲み会に行った事などは書いてあったが)同僚と交わした何気ない会話だとか失敗話といった類は見当たらなかった。
日記帳に何十ページに渡り同じ人物のことが書いてあることもなかった。

他の日記帳を調べればもしかしたら、学生時代の友達や初恋の人のエピソードが出てくるかもしれないが、今はもう読む気になれない。

これ以上は危険と分析者の私が、言っている。
再検証は次回に持ち越すことにしよう。

分析を終えると再びどっと疲れが押し寄せてきた。

私は、書き物机にだらしなく頬をつけた。
歴代の日記帳達が視界に入ってくる。
この日記帳の分だけ過去の自分がいて、失敗や喜びがあった。
そう思うと、

「読んでいて楽しい日記なんて」

もしかしたら、今が一番幸せなのかもしれない。

目の端に映るミッドナイトブルーが輝いて見えた。

6/5/2024, 1:50:06 PM