3時のおやつ休憩中、ふと思い立って博士に質問をしてみた。
「博士って、誰よりもずっと努力してきたものとかありますか?」
私の質問に、丁度お饅頭を口に運ぼうとしていた博士の手が止まった。
暫し空中に視線を漂わせ、お饅頭を持っていない方の手を顎に添えている。
顎に手を添える仕草は、博士が考え事をしている時の癖だ。
一体どんな言葉が返ってくるだろうとワクワクしていると、博士と目があった。
「僕はそういう物はないかも。努力というより好奇心や興味で今まできちゃったから」
だから、本来の専攻と違うことを今しているのかもね、そう言うと博士は眉をハの字にしながら苦笑した。
「博士って人と比較するとかしたりしますか?」
研究の時には比較は大切だろうけど、人に対しても行っているのだろうか。
つい好奇心で聞いてみたが、
博士は淡々と「しないかな」と一言言ってお饅頭をパクリと食べた。
誰よりもずっと努力してきたもの。
君は面白い質問をするね。
誰よりも、ずっと努力してきたと僕は言えない。
君に語った通り、好奇心で今日まで来てしまったから。
それに、この世界は広い。
努力する人というのは数え切れないほど沢山いるだろうし、そもそも努力しなくても出来てしまう天才だっている。人それぞれ違うから、比較するのって難しいことだと思うな。
人との比較か。
人と比較して得られるものって、何だろうね?
物事に対して新しい視点は得られるかもしれない。
けれど、それが必ずしも自分に合うとは限らないとも僕は思っている。
物事のヒントは、対象から離れた意外なところにあったりするからね。
それを自力で見つけるのが、人生の目標の一つであり楽しみなのかもしれない。
少なくとも僕はそうかも。
だからこそ、広い視野で、自分の尺度だけで物事を見ないように気をつけているんだ。
なんて、説教臭いし恥ずかしいから君には言えないけれどね。
これからも、ずっと…。
…。
最初に思い浮かぶのは、
これからも、ずっと=未来永劫
無限かつ不変の状態。
どうもこの例では、シニカルな性が騒ぐので
所謂、希望的観測または願望としておくのが自分には丁度良いのかもしれない。
一方で
これからも=今後も
ずっと=継続的に
と解釈することも出来る。
この場合、後続の言葉の自由度が上がり、不変のみではなく可変も可能となる。
整理すると
【これからも、ずっと変わらずにある】未来永劫
【これからも、ずっと変わらずにありたい】不変願望
【これからも、ずっと変わり続ける】可変
【これからも、ずっと変わり続けたい】可変願望
この様な形だろうか。
上記は、停滞と流転にも分けられる。
万物流転の観点からすると、
未来永劫は人々の願望でしかないのかもしれない。
ともすると、
上記の言葉の主成分は願望で成り立っていることになる。
これからも、ずっと
この言葉に人々は願いを託しているようだ。
研究所の花壇に植えられた花々が、斜陽の下揺れている。
腕時計を見れば、針は午後5時半過ぎを指していた。
日の入りと終業時刻まで残り30分程だ。
手についた泥を払い、花壇に植えられた花々を見渡す。
赤いチューリップ、アントシアニン類+カロチノイド。
オレンジ色のチューリップ、こちらもアントシアニン類+カロチノイド。
黄色の金魚草、フラボン類。
紫色のパンジー、アントシアニン類。
まだ、若葉を出すばかりなのは
赤紫色のオシロイバナ、ベタシアニン類。
黄色のオシロイバナ、ベタキサンチン類。
緑色のアジサイ、クロロフィル。
白いユリ、フラボノイド。
春から秋にかけて花壇は彩り豊かな一角になる。
本来自分の専攻は、花の色素についてだ。
だというのに、研究の為に花を育てる延長線で肥料やら病気の為の薬やらを作っていたらそっちがメインになってしまった。
人生とは本当わからないものである。
そもそも自分は、大学の研究者になって色素の応用を研究する予定だった。品種改良や自然染色を活かした製品の開発などを夢見ていた。けれど、恩師に嵌められて、気づけば企業の研究員になっていた。
本来思い描いていた未来とは違う道を進んでいるというのに…。
小さな研究所で本来の研究とは違う仕事に向き合うのが苦でなく、寧ろ楽しいとすら思っているのだから、最早つける薬はないようだ。
企業から求められる仕事に応えて、花の色素の研究もこっそり進めて。企業の名前に隠れて自分の名前は出さず、陰ながら環境にも人にも優しいものを提供し、研究を還元し続ける──なんて自分にあった生き方だろうか。
研究所の主は、風に揺れる花々に穏やかな目を向け微笑むと、遠く沈む夕日を静かに眺めた。
君の目を見つめると…。
うーん(゜゜)
物語…。
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今日も今日とて屋上に入り浸る。
隣にいる彼女は、ぼんやりと手すりに肘をつき何かを見ている。
グラウンドで練習する野球部でも見ているのだろうか。或いは、ゴチャゴチャと姦しい街並みに何か気になるものでも見つけたのだろうか。或いは、空の向こうに思いを馳せたりしているのだろうか。
彼女は一体、何を見ているのだろう。
眼鏡の奥に隠された彼女の目を横からジッと見つめる。
長いまつ毛の影が落ちる瞳には、黒曜石のような冷たい光がある。
物事の核心を捉えるその瞳は、世界をどの様に写しているのだろうか。
綺麗なものはより綺麗に映るのだろうか。
醜いものはより醜く見えるのだろうか。
それらを見て彼女は一体何を思うのだろうか。
そんな事を思っていると、彼女がこちらを向いた。
視線が空中でかち合う。
彼女は一瞬キョトンとした後、悠然とした笑みを浮かべた。
「ねぇ、知ってる?犬や猫の目をジッと見つめることは喧嘩を売っていることと同義なのよ」
気の短い──私もまた然り。
そう言った彼女の声や口元は朗らかだが、肝心の目は本気だ。
絶対零度の瞳に動揺する俺が写っている。
ありえないことだが、彼女の目を見ていると、研ぎ澄まされた刃が喉元に突きつけられているような気がする。
蛇に睨まれた蛙とはこの事だろうか。
四面楚歌って気もしてきた。
「ごめんっ」
「冗談よ」
そう言って彼女はカラカラと笑ったが、あの目は本気だった──と思う。
あれが、演技だとしたら…。
多分、女優になれんじゃねぇかな?
本を片手に星空を眺める。
本の知識曰く、
北斗七星の長い柄のカーブを延長した先にある赤い星──うしかい座のアルクトゥルスから更に延長した先にある一等星──おとめ座のスピカ──この2つの星を結んで出来る曲線を「春の大曲線」というらしい。
夏の大三角、秋の四辺形、冬の大三角は知っていたが、春は大曲線なのか。
そんな事を思いながら、本の通りに星をなぞってみる。
この緩やかな曲線を元に春の星座を探すようだが、春の星座は、あまりパッとしない。
おおぐま座。こぐま座。うしかい座。りょうけん座。おとめ座。しし座。かに座。かんむり座。かみのけ座。やまねこ座。こじし座。うみへび座。からす座。コップ座。ろくぶんぎ座。ケンタウルス座。おおかみ座。
おとめ座、しし座、かに座など黄道十二宮で有名どころではあるが、コップ座やら、かみのけ座やらは日常の話題に上がらないと思うのだが…。
本に書かれた神話を読んでみたが、
春の星座にある黄道十二宮のおとめ座を除く残り2つは、へルクルスによって退治されて出来た星座とある。
それ以外の春の星座──ケンタウルス座、うみへび座等にも、へルクルス大暴れの後があるらしい。
英雄大暴れの神話を語る星空の下。
小市民を自覚している自分としては、
神話時代に生まれなくて良かったとその幸運に感謝したくなるのだった。