愛だの恋だの
ヒト科の言うところの子孫繁栄に伴う感情は未だにわからない。
わからないが、この世界には確かにそういったもの達があるらしい。
それらはいつ、我が身に降りかかるのだろうか?
それとも一生降りかからず
「あぁ、そんなものがこの世界にはあったようだ。」と、思うだけに留まるのか。
明日の我が身など誰にもわからない。
わからない。わからない。
わからないだらけに囲まれて生きているのがヒト科の定めなのだろうか。
そこまで思い至ると、直ぐに「NO」の文字が現れた。
ふむ、「NO」と返してくるのか。
違うと言うならば、何故違うのだろうか。
暫し思考すると、机に置かれたままになっていた貰い物のチョコが目に入った。
あぁ。なるほど。
己の好き嫌いは理解しているな。
わからないだらけに囲まれようと
己を見失ってはならない。
好きなものは好き。苦手は苦手。
それこそが個性であり、
かけがえのない己というものだ。
どこか悟った気分で
Kissチョコを一つ口に放り込む。
やはり…。
自分の中で沸き起こる感情に
私は一人苦笑を漏らした。
言葉に思いを託し
音を編む
声よ奏でよ
この歌を
歌よ届け
この世界に
世界よ響け
1000年先も
勿忘草が道に落ちている。
勿忘草色と言われる薄い水色の花弁が美しい。
手に取ってみると
すっきりと伸びた茎の瑞々しさが伝わった。
葉に虫食いの跡もなく、病気の跡もない。
丹精込めて作られた花だ。
その証拠に茎の先は、人工的な断面をしている。
きっと誰ぞの花束から落ちたものだろう。
勿忘草の花言葉は
「真実の愛」
「私を忘れないで」
この花はどちらの意味を持っていたのだろうか。
愛とお別れ。
相反する意味を持つ花が儚げにほころんだ。
私はブランコ。
公園遊具の人気もの。
日差しも麗らかな午前中。
今日も私のもとへ子供がやってきた。
小さな子ね。
幼稚園生くらいかしら。
貴方、私には乗ったことある?
まず、座板に腰をかけて。
そう。上手。
チェーンはしっかり握って頂戴。
でも、繋ぎ目には気を付けて。
貴方の指細いから挟まっちゃいそう。
怪我をされたら私、困ってしまうの。
繋ぎ目じゃないところを持つとよろしくてよ。
ここから先は、貴方の親がいればいいのだけど。
あら、走ってきたわ。
ふふふ、大人を振り切ってやってきてくれたのね。
お母さん、お疲れ様。
この子準備万端よ。
だから、やさしく押してあげてね。
ぶーらん。ぶーらん。
小さな子を乗せて私は揺れる。
小さな子はキャーキャー、
可愛い声を上げて楽しそう。
お空の散歩をしているようでしょう?
後ろに行く時、足を後ろに下げて、前に行く時、足を伸ばすともっと、勢いをつけることができるけど、
それはもっと大きくなってから試してちょうだいね。
たっぷりと楽しんだ子供は上機嫌。
ずっと押し続けていたお母さん、お疲れ様。
また、遊びに来てちょうだいね。
小さな子がお母さんと手を取り合って帰ってしまうと
今度はランドセルを背負った子供がやってきた。
このくらいの年齢の子たちはハラハラしちゃうのよね。
ガッタン漕ぎやら、高いところから飛び降りるとか、思ってもみない遊びをするの。
スリルを求めるお年頃なのかしら。
怪我しないでちょうだいね。
でも、今日の子は何だかいつもの子たちと違う。
俯いて元気がなさそう。
どうしたの?何かあったの?
あぁ。ため息なんてついちゃって。
ちょっと私を漕いでご覧なさいよ。
貴方の抱える問題を解決する事はできないけれど、
もしかしたら少しは気が晴れるかもしれないわよ。
あら?私の思い、伝わったのかしら。
勢いをつけると、グンッと力を込めて漕ぎ始めてくれた。
お上手、お上手。
もっと力を入れて漕いでごらんなさい。
貴方のモヤモヤを晴らしちゃいましょう。
ほら上を見て、今日は青空よ。
清々しい青が貴方を見守っているわ。
大丈夫。貴方は一人じゃない。
一人じゃないのよ。
ランドセルを背負った子は、来たときよりも軽い足取りで私の元を去った。
また、いらっしゃい。
私はここで待っているから。
日が傾き夜がやってきた。
コンビニの袋を片手に
スーツ姿の大人がやってきた。
座板に着くなり、コンビニの袋から缶ビールを取り出す。プシュリと音が鳴った。
ビールを一口飲むなり深いため息。
お仕事お疲れ様。
お疲れのようね。
お酒、零さないようにしてちょうだいね。
私、小さい子も乗せるから。
貴方もお悩みがありそうね。
人って不思議。
小さい時は無邪気なのに、年を取れば取るほど何事かに悩まされて、深いため息ばかりついている。
人生ってそんなに大変なの?
私にはわからないわ。
わからないけれど、
わからないものをわからないなりに受け入れれば
見えてくるものがある。
それこそが大切じゃない。
初めから拒否してしまっては何もわからないまま。
だから、私はどんな人も受け入れたい。
知りたがりなのかしら?
でも、それが私なの。
ねぇ、腰をおろしてばかりでなく
少しは私を漕いでみない?
懐かしい記憶を思い出させてあげる。
それは、小さくとも愛おしい記憶。
今の貴方が忘れてしまった大切な記憶。
貴方が貴方らしくあれるように
貴方に還る手助けをしてあげる。
さあ、私を漕いで?
────────────────────────
私はブランコ。
沢山の時を知る
公園遊具の人気もの。
どんな人も受け入れ、見守るわ。
だって、それが私なのだから。
言葉を旅する。
こう書くとワールドワイドな世界観を思い浮かべる人が多いだろうが、何ということはない。
自分の中で生まれる言葉を今一度見つめ直す事を指している。
毎夜毎夜、言葉と向き合う習慣は
初めは一人で行っていた。
一人真面目にお題に向き合い言葉を選び、文章を作る。
一見シンプルで簡単に見えることだが、
これがなかなか難しい。
言葉が出てこないということがしばしばあった。
言葉が出てきてもしっくりとこない。
言葉のボキャブラリーが昔より明らかに足りないのだ。
一体、どこに落としてきてしまったのだろうか。
それすらもわからない。
忘却の彼方に葬り去られてしまったのかもしれない。
かつては選び放題だった言葉が選べないというのはもどかしく苦しい。昔のようにはいかないのだと悄気げる日々が続いた。
それでも、昔は昔、今は今でしかない。
取り敢えず言葉と向き合う。
それだけを考えて、毎夜毎夜書いていた。
習慣化すれば言葉が出てくる。なーんて、うまい話はなく、言葉が出てこないのは相変わらずだ。
それでも、お題に向き合うことが習慣化してくると、不思議なキャラクター達が頭の中で見え隠れし始めた。
気になりつつも言葉と向き合っていると、
彼らは私の手助けをしてくれているようだった。
大抵はヒントのような単語をフラッシュ暗算のようにパッと見せるだけだが、四角いカードのように見えるその光景に書かれた文字は、お題と良くリンクしている。
ヒントを元にお題に取り組む事が増えると、手助けしてくれているのは一人ではなく複数人であることがわかった。
私は、ヒントをくれる事のお返しとして、彼らの物語を紡ぐようになった。
彼らと、頭の中で又は文字を通して、語り合うことが多くなると、彼らの姿も見えてきた。
個性的な彼らを言葉で捉えていくのは、楽しい。
いつからか私は一人ではなく、彼らと共に言葉と向き合うようになっていた。
初めは一人ではじめた言葉の旅だったが
彼らという仲間を得て、賑やかな旅路へと変化した。
彼らとの旅路の果てに
何も得られなくても、
言葉の旅が無意味だったとしても
彼らと共に賑やかに、時に真面目に
言葉を旅したことはきっと忘れない。