私だって、もう幼い子供じゃない。今までも、何度もお別れは体験してきたし、「またね」という言葉も口にしてきた。けれど、今日は。
「……またね」
入道雲の立ち上る、音のない真夏。私は涙をこらえて、黒い縁取りの中で笑うおばあちゃんの写真を抱いてそう呟いた。
バスを降りると、響き渡るのは蝉時雨。
「やっぱ田舎だねぇ……」
畦道脇のバス停の椅子に荷物を置いて、私は周りを見回す。うん、まだ青い田んぼに、緑の山々、その向こうには白い入道雲が浮かぶ青い空。
「ま、街の方よりは涼しいよね」
確か、バス停の近くに小さな川があったはず。そこを通る風が、汗ばんだ肌を冷やしてゆく。
「しっかしまあ、変わらないもんだね……」
最近はもう、夏ぐらいにしか実家に帰ってきていないけれども、この風景は幼い頃から変わらないまま。
「さて。じゃあ、家に向かいますか」
誰にともなく、そう呟く。ここからは歩いて七分ぐらい。そこまでたいした距離じゃない。
そして、私は目を細めながら空を見上げた。
「ただいま、夏」
夏の日差しを受ける堤防の上、私たちは空を眺めていた。聞こえるのは蝉の声と小さな波音。
「暑いね……」
私の言葉に、彼女はこくん、と頷く。
「このままじゃラムネも炭酸抜けちゃいそうだし……」
またもや、こくんと頷く彼女。
「……イルカが……!」
その言葉に、彼女はぐん、と首を私の視線の先に向ける。
「……もういない……」
しょぼん、と表情を変える彼女。
「……あんた、あんまり喋らないけど本当に感情表現が分かりやすいよね」
そう言うと、彼女は首を傾げて『何が?』と言うような顔をする。それに、私は思わず笑みを浮かべる。
手元には、いつの間にか気の抜けてぬるくなったラムネ。そして隣には、無口な君。その間を、ふっと風が通り過ぎていった。
空を見上げた。夏の光が眩しくて、私は空に手を伸ばした。
「……」
堤防の上に座り直して、私は海を見やる。聞こえてくるのは潮騒と、海鳥と蝉の混声合唱だけ。
「……夏だね」
誰にともなく私は独りごちる。時刻は午後二時十八分、七月三十一日。うん、完全に夏の盛りだ。
見つめる先に広がる海、その向こうの青空。どこまでも、青く広がる世界はあまりにも大きくて。
私は、一言すらの言葉も失くしていた。
虹のはじまりを探して、私たちは走り出す。
きっかけは、他愛もない一言だった。それは、見上げた空に、虹の架かった午後三時。
「虹って、どこから始まってるんだろうね」
その言葉に、私たちはふと黙り込んだ。それはそうだ、知っているはずのことでも、それを本当に見たことはないのだから。
「じゃあ、探してみようか」
そして、私たちは虹を追いかけた。道路の向こう、路地を抜け、高台の公園を過ぎて、隣の街まで。やがていつしか陽は落ちて、虹も姿を消していた。そこに残ったのは、私たちの笑い声だけ。
虹のはじまりは、どこにも見つけられなかったけれど、きっと、私はこの冒険を忘れることはないだろう。