空を見上げた。ほんの少し欠けた月が、そこには浮かんでいた。
「疲れた……」
家への帰り道、私はそうひとりごちる。体力的にも疲れているし、何よりも、精神的にも少し。
「あんなの聴いたからにはね……」
それは駅前で響く、曇りもない真っ直ぐな音楽。それは、色んなものを言い訳に何もしていない自分を愧じるには十分なものだった。
雲一つない空に、月が煌々と輝く。きっと、明日も晴れるのだろう。私の思いとは、全く違って。
それは小さな頃のことでした。私の家には、大きな姿見があったことを今もよく覚えています。
ある夜中、ご不浄から部屋へと戻るときでした。
「……?」
何かの気配に周りを見渡せば、その向こうで姿見が薄らと光っていました。
「あれ……?」
私は、思わずその姿見に歩み寄っていました。そして、映った自分の顔に右手を触れたとき、私の意識は遠のきました。
「代わろうね」
そんな言葉が、聞こえた気がして。
次の朝、私はその姿見の前で倒れていたそうです。けれども、あのとき、姿見に写った私も、私へと右手を私に伸ばしていました。
果たして、あの姿見に写ったのは何だったのか。そして、もしもあの言葉が本当のものだとすれば。
この 私は、本当に私なのでしょうか。
さくり、さくりと音を立てて、シャベルを地面に突き立てる。何を掘っているのか、それさえも分からないまま、私は土を掘り続けていた。
やがて、かちりと音を立てて、シャベルの先端が何かに当たる。きっと、それが私の探しているものだったのだろう。丁寧に、私はその回りの土を少しずつどけていく。
「え……」
やがて、現れたのは白い骨。そして、文字の消えかかった、見覚えのある名札。
「私の……名前だ……」
だとすれば。
私が探していたのは、私自身だったのか。
何気ない日常。授業中、隠れて同級生と内緒話をして、先生に怒られたり。
休み時間には、他愛もない話や、好きな人の話で盛り上がって。
放課後には、部室で何でもない話に花を咲かせたり。
あれから何年経ったのだろう。それでも、今も私は夢にみる。そんな、何でもない日常を過ごせる毎日を。
好きな色を、と問われたならば、何色でもない透明で。
「むぅ……」
放課後。私は一人、画用紙に向かってうんうんと唸っていた。別に悩むことじゃない、ただ好きなものを好きな色で描くだけ。けれども、それが私にはとても難しいことだった。
「好きな色で、かぁ」
好きな色。それならば、私は『透明』だ。けれど、何色もない訳じゃない。いろんな色に変わるけど、『透明』ということも変わらない、そんな色が、私は大好きだ。
けれど、誰にも分かってもらえることじゃないことは、私にも分かる。きっと、世間一般大多数は、鮮やかに色付いてこその『色』なんだろう。
だから、私は。
なにもないこの空気の中を、青く透き通る空を、緑の葉を透かして輝く光を、薄く、淡く、目の前の画用紙に色付けた。