『はなればなれ』
「私と、別れてほしいの」
突然、彼女から言われたのは、別れの言葉だった。僕の心が、青に染まっていく。
「えっ、待って。どうして……どういう事なの?」
「……好きな人ができたの」
泣きじゃくりながら、彼女は言う。しかも、僕という恋人がいながら、その人と浮気していたという。
「そんな……僕よりも、好きな人が……?」
「ごめんなさい……もう、あなたと付き合えないの……」
涙をぽろぽろとこぼして、彼女は何度も謝る。そして、「さよなら」と一方的に言って、僕の元を去っていった。
――嫌だ。
離れ離れになるなんて、そんなの嫌だ。ずっとずっと、彼女と一緒にいたいのに。僕と彼女は、強い運命で繋がっているんだ。運命から逃れられるわけがない。
――君には、僕しかいないんだよ?
「いやああぁあぁあああぁ……!」
――なっ、何? 一体、何が起きてるの? 私の目の前で、大切な恋人が赤くて気持ち悪い塊になってしまって。顔も、腕も、脚も、どれも、恋人じゃなくなってしまったみたいで。分からない。頭がぐちゃぐちゃになってしまって、何にも記憶されない。
「大丈夫だよ」
塊の前に立つ男が、赤黒く染まった斧を持って、私に声をかけてくる。顔と服に返り血を浴びており、早々に逃げてしまいたかった。でも、目の前で恋人が赤い塊にされた恐怖で、声が出ない。身体も動かない。
「君の事は、僕が守ってあげる」
のそのそと、男が近づいてくる。その顔を見て、私は絶望の底に落ちた。彼は、かなり前に好きだと告白されて、恋人がいるからと断ったら、次の日からストーカーをしてきた男だ。
「こんな男と【浮気】した事、許してあげるから」
どうやら彼は私と付き合っている妄想をしているらしく、運悪く会った時は「僕達は運命で繋がってるんだよ」とか「結婚式はいつにしよっか」とか、気持ち悪い彼氏ヅラをしてくる。
「だから、一緒にいよう?」
「い、いや……!」
「安心してよ。君に近づこうとする奴は、僕がやっつけたんだから」
――ハナレバナレニナンテ、サセナイヨ。
『子猫』
俺は、黒猫。誰とも群れず、ただ一匹で過ごす、孤高の野良野郎だ。今日も俺は、夜に一匹だけで住宅街を歩く。夜の散歩は、俺の日課なのだ。
「……んっ? 何だ、この茶色いのは」
住宅街にある空き地に行くと、茶色くて四角いものが置いてあった。何か書いてあり、近づく。読むと、『ひろってください』とあった。
「……だれかいるの?」
突然、茶色いものから細い声が聞こえてきた。茶色いものの上に両手を添えて覗くと、毛並みが綺麗な白い子猫がいた。
「お前、捨てられたのか」
「なのかなぁ。きづいたら、ここにいたの〜。おにーさんは?」
「俺は野良猫だ。ここら辺をいつも歩いてる」
「へぇ。……ねぇ、ここにはいって」
白い子猫が小さい手で隙間をとんとんと叩き、俺を誘導してくる。
「断る。俺は群れるのは嫌いなんだ」
「やだぁ。はいってよ〜」
「断ると言っているだろ」
「や〜だぁ〜!」
俺が断っているのに、白い子猫はごねる。入れ入れと、結構しつこい。
「あー……ったく。分かったよ。入りゃいいんだろ?」
俺は面倒に思いながらも、中に入る。俺の身体と白い子猫の身体の面積を合わせると、中の隙間がほとんどなかった。
「おい、こんなんでいいのか?」
「いいよ〜。んふっ、おにーさん、あったかい〜」
すりすりと頬で俺の身体を撫でて、幸せそうにしている白い子猫。
「……お前、俺の身体で暖をとってるのか」
「だん? それ、なぁーに?」
「……あったまってんのか」
「えへへ。おにーさん、みたときからあったかそうだったから〜」
どうやら、俺は利用されたらしい。――ちくしょう、やられた。ガキのくせに、やりやがる。
「ねぇ。おにーさんについていってもい〜い?」
「やめろ」
「ど〜して? わたし、おにーさんとなかよくしたいよ〜」
「群れるのは嫌いだ。人間とも、同族とも」
どいつもこいつも、誰もが俺の事をいじめてくる。人間は小石を投げてくるし、他の猫は引っかく。俺は、嫌われ者なのだ。
「……おにーさん」
白い子猫が、俺に声をかける。何だと顔を向けると、白い子猫が俺にちゅっと触れるだけの口づけをしてきた。
「……んふふ。わたし、おにーさん、すき」
白い子猫は、そう言ってにへらと笑う。なっ、なんて事をするんだ、このガキは!
「……っ、俺は出る」
なんか心がバグでも起きたかのように熱くなり、すぐに外へ逃げた。そうしたら、白い子猫がとことこと歩いて、ついてきた。
「なんでついてくるんだ」
「おにーさんといっしょにいくの〜」
「やめろ。俺は行かない。戻れ」
「やだ。だいすきなおにーさんと、いっしょがいい〜」
何を言っても、白い子猫は戻らない。結局、白い子猫は俺のそばから離れずに、野良の道を選んだ。
「……いやぁ。あの時が懐かしいね」
「そんなの、忘れた」
「もう。相変わらず冷たいなぁ〜」
「うるさい」
「んふふ。私はずっと、あなたを愛してるよ〜」
「……俺もだ」
『秋風』
「お姉ちゃん。外、めっちゃ寒い」
「分かってる、妹よ。あたしも寒いと思ってる」
昨日の天気予報が、あたし達姉妹に嘘をついた。今日から秋風が吹いて涼しくなっていくとイケメン気象予報士が言っていたのに、いざ外に出たら、秋風とは思えないくらいの寒さだったのだ。元号が令和になってから、気温にバグが生じてる気がする。
「お姉ちゃん……私、もう図書館に行きたくないんだけど」
「何を言ってんの。ここで返さなかったら、あんたは絶対忘れるでしょ」
普段からズボラな妹は、部屋を散らかしたり、私から借りた物を返さなかったりと、将来は住む家をごみ屋敷にしそうである。それだから、お母さんもあたしも、妹に結構厳しく言っている。結果は何も変わらないが。
「やーだぁー! さーむーいー! あのイケメン気象予報士、騙しやがってぇー!」
「お口が悪いよ、あんた。ほら、さっさと行くよ」
妹を引っ張って、さっさと図書館へと行く。ちなみに、妹だけで済む話なのにあたしも一緒について行く理由は、妹が面倒くささから逃げるのを防ぐ為である。
「お姉ちゃーん。コンビニ寄ろうよー」
「図書館の用事が終わってからね」
「やだぁー。肉まん食べたい〜。缶のコーンスープでもいーよぉー」
「終わってからだっての!」
コンビニに逃げようとする妹を無理やり引っ張って、何とか図書館へ。せっせと本の返却を済ませ、借りる事をせずに図書館を出た。風の温度はさらに冷えており、秋風と言われたら嘘でしょと言うレベルである。
「お姉ちゃん、終わったでしょ。コンビニ行こうよ」
「全く。あんた、本当に食いしん坊なんだから……あっ、ちょーどいいとこに珍しいのあるじゃん」
帰り道、今の時代には珍しい焼き芋屋さんを発見。あたしは焼き芋を二個買い、一個を妹に渡した。お行儀が少々悪いが、家まで食べ歩きである。
「焼き芋なんて久々かも。さて、ほっかほかのうちに〜」
「はふ、はふっ……! あちちっ……!」
「……あんたねぇ。少しは落ち着いて食べなさいよ。焼き芋は逃げないよ」
「分かってるけどさぁ……はふ、ふっ……ん〜美味しい〜!」
鮮やかな黄色から、しっとりした甘味。同じさつまいもを使ったスイートポテトよりもほっこりする。
「こうやって焼き芋を食べ歩くの、良いね」
「まぁ、たまにはいーかな。お姉ちゃん、また今度お願いね」
「なんであたしが買うの! 今度はあんたが奢りなさい!」
「やーだぁー!」
焼き芋を頬張りながら、あたし達は秋風が吹く家路を歩く。頬は少し冷えたけど、心はぽかぽかになるのだった。
『また会いましょう』
突然ですが。私はもうすぐ、この世を去ります。死神さんが、私に残りの寿命を教えてくれたのです。ファンタジーみたいな話ですが、本当です。事実、私の後ろには、黒いローブを身に纏った死神さんがいます。
「いやぁー。人間界って、毎日面白い事ばかりで飽きないねぇー」
私が想像していたのは、骸骨の顔に不気味な笑い、鋭い鎌を持った、闇属性が似合う死神さんでした。しかし、私の前に現れたのは、ツヤツヤもちもちのお肌に太陽みたいな笑顔、そして鎌を持っていないという――明らかに光属性と言う方が正しい死神さんだったのです。
「死神さん。私の寿命は、いつまででしたっけ」
「寿命ー? えっとねー、今夜十時までだよー」
のんきに私の寿命を教えてくれる死神さん。初めて出会った時もこのゆるさで私に余命宣告をしており、そのおかげなのか、死ぬ恐怖を全く感じませんでした。命が消えるというのに、するりと受容しているのです。
「ねぇねぇ。今夜には天に行くけど、やり残した事とかないー?」
「ないですね。もう、後悔はありません」
「そうなんだぁー。僕が今まで見てきた人達、皆そう言うんだよねぇ。なんでだろー?」
無自覚なのか、死神さんはそう言いました。もし死神さんが暗かったら、私の死に対する受け入れ方が大きく変わった事でしょう。
「……おっと、一旦戻らなきゃー。死神も色々忙しいんだよぉー」
時計を見てから、笑顔で死神事情を話す死神さん。楽しそうな死神さんが、私にはとても可愛らしく見えております。
「それじゃあねぇ。また会いましょうー」
「……ええ。また会いましょう」
死神さんは私から離れる時、必ず「また会いましょう」と言います。死神さんいわく、お迎えの人の様子を細かく見る為に毎日顔を出すからとの事でした。私は、死神さんの「また会いましょう」という台詞に、優しいあたたかみを感じているのです。
――夜の九時五十五分。私は、自宅のベッドの上でぼんやりしていました。残り五分で、私は命が消えます。
「こーんばんはー」
ひょっこりと現れたのは、死神さん。お迎えに来てくれたようです。
「そろそろ、僕と一緒に行こっかー」
死神さんに手を引っ張られ、魂の私は天に向かいます。さっきまで身体が重たかったのに、今はとても身軽になりました。
「死神さん」
「んー? なーにー?」
「……また、会いましょう」
天に昇ればもう会えないと分かっているのに、私は優しくてあたたかみのある言葉を口にしました。そうすれば、死神さんは一瞬目を丸くしてから、すぐに満面の笑みを浮かべました。
「うんっ! また、会いましょうー!」
全く変わらない、死神さんの優しい笑顔。次の人生は、死神さんみたいなあたたかい人に会いたいです――。
『スリル』
中年の僕はもう、生きるのがしんどくなってきた。ブラック会社の仕事は理不尽な事ばかりで、家に帰れば一人ぼっち。生きたくない、消えてしまいたい――そう思った僕は、出勤を黙って放棄して、砂浜に立っていた。そして、海へ海へと、足を進めていく。生きる意味がないし、このまま、ゆっくり沈んでしまおう――。
「おーい! そこのお兄さぁーん!」
海に飛び込もうとした時、遠くから誰かが僕を呼んだ。派手な格好をしており、ギャルっぽい見た目の女性である。
「ねぇねぇ、お兄さん。これからあたしと楽しいとこに行かな〜い?」
「……いえ、行かないです」
女性を無視して、僕は海へ。すると、女性が僕の腕をグッと掴んできた。
「ほら、お兄さん! はっちゃけられるとこ、あたし知ってるから! 海よりもいーとこっ! ほら、こっち行こ!」
女性にグイグイ引っ張られ、僕はそのまま車の助手席に突っ込まれる。出ようと思ったところで彼女は素早く運転席に乗り込み、すぐに運転開始。完全に逃げられなくされた。
「あ、あのっ……降ろしてください……」
「だーめー。お兄さんといーとこに行きたいもーん」
「なんで、僕なんかと……」
「なんでって。フィーリングで決めた事に、理由とかあるー?」
女性は楽しそうに言い、しばらく車を走らせる。その後、到着した先は、どこかの山奥だった。
「ちょっと。なんでこんなところに……」
「んふふ。まぁまぁ、こっちこっちー」
女性に引っ張られて連れてこられたのは、古くて長い吊り橋。普通に乗ったら、崩れてボロボロにしてしまいそうだ。恐怖で僕が唾をごきゅりと飲み込むと、女性は僕の腕をがしっと掴んできた。
「な、何のつもりですか……!」
「お兄さん。あたしがちゃーんと腕を掴んでるから、逃げちゃやだよ?」
女性はそう言うと、僕を吊り橋へと連れて行った。足を踏むだけでギシリと不穏な音が鳴る吊り橋は、僕に血の気を引く恐怖に陥れた。
「い、いやっ! ちょっと、待ってって!」
「このくらいでビビらないでよ〜。ほら、ほらぁ〜!」
「待って、ちょっと! 揺らさないで!」
女性はケタケタと楽しそうに吊り橋を揺らす。揺れると不穏な音が余計に聞こえてきて、さらに怖くなる。一方の女性は、完全に僕のリアクションを楽しんでいるようだ。しばらくは彼女に振り回されながら渡り、到着した頃には、僕の魂は抜けかかった状態になった。
「どーよ。吊り橋って、結構スリル満点じゃなーい?」
「スリルを通り越して、死にかけたから! 揺らすなんて何を考えてるの!」
「えっ、怖かったぁ? ……んははっ。お兄さん、海にダイブしようとしてたのに、吊り橋から落ちるの、怖かったの?」
女性に言われ、僕はハッとする。そうだ、僕は人生が苦しくなったから、消えようとしていた。それなのに、どうして吊り橋に怯えていたのだろう。吊り橋から落ちれば、すーっと消える事が出来るのに。
「……お兄さん。心がまだスリルを感じているのなら、生きたい気持ちが残ってんだよ」
女性はニカッと笑い、渡ったその先へと僕を引っ張る。そこでは滝が勢いよく流れており、景色としては良いものだった。滝が、僕の黒ずんだ心を洗い流すようだ。
「綺麗だ……」
語彙力のない僕から出る感想は、小並なもの。それでも、女性は「でっしょー!」と喜んでくれた。
「あたしね。心が疲れた時は、いつもここに来るの。途中のスリルを乗り越えた先にある、絶景の景色! 最高じゃない?」
「スリルはいらないけど……景色は、良いかな」
「んふふ。お兄さん、まだ時間ある? あたし、他にもいーとこ知ってるんだよね。一緒に出かけよーよ!」
「……スリルがないところがいいな」
僕がそう言うと、彼女は「え〜っ!」と驚きつつも、笑顔を見せた。スリルは嫌だけど、生きる意味を見つけてくれた事には、感謝している。
――今も、ずっと。