『秋風』
「お姉ちゃん。外、めっちゃ寒い」
「分かってる、妹よ。あたしも寒いと思ってる」
昨日の天気予報が、あたし達姉妹に嘘をついた。今日から秋風が吹いて涼しくなっていくとイケメン気象予報士が言っていたのに、いざ外に出たら、秋風とは思えないくらいの寒さだったのだ。元号が令和になってから、気温にバグが生じてる気がする。
「お姉ちゃん……私、もう図書館に行きたくないんだけど」
「何を言ってんの。ここで返さなかったら、あんたは絶対忘れるでしょ」
普段からズボラな妹は、部屋を散らかしたり、私から借りた物を返さなかったりと、将来は住む家をごみ屋敷にしそうである。それだから、お母さんもあたしも、妹に結構厳しく言っている。結果は何も変わらないが。
「やーだぁー! さーむーいー! あのイケメン気象予報士、騙しやがってぇー!」
「お口が悪いよ、あんた。ほら、さっさと行くよ」
妹を引っ張って、さっさと図書館へと行く。ちなみに、妹だけで済む話なのにあたしも一緒について行く理由は、妹が面倒くささから逃げるのを防ぐ為である。
「お姉ちゃーん。コンビニ寄ろうよー」
「図書館の用事が終わってからね」
「やだぁー。肉まん食べたい〜。缶のコーンスープでもいーよぉー」
「終わってからだっての!」
コンビニに逃げようとする妹を無理やり引っ張って、何とか図書館へ。せっせと本の返却を済ませ、借りる事をせずに図書館を出た。風の温度はさらに冷えており、秋風と言われたら嘘でしょと言うレベルである。
「お姉ちゃん、終わったでしょ。コンビニ行こうよ」
「全く。あんた、本当に食いしん坊なんだから……あっ、ちょーどいいとこに珍しいのあるじゃん」
帰り道、今の時代には珍しい焼き芋屋さんを発見。あたしは焼き芋を二個買い、一個を妹に渡した。お行儀が少々悪いが、家まで食べ歩きである。
「焼き芋なんて久々かも。さて、ほっかほかのうちに〜」
「はふ、はふっ……! あちちっ……!」
「……あんたねぇ。少しは落ち着いて食べなさいよ。焼き芋は逃げないよ」
「分かってるけどさぁ……はふ、ふっ……ん〜美味しい〜!」
鮮やかな黄色から、しっとりした甘味。同じさつまいもを使ったスイートポテトよりもほっこりする。
「こうやって焼き芋を食べ歩くの、良いね」
「まぁ、たまにはいーかな。お姉ちゃん、また今度お願いね」
「なんであたしが買うの! 今度はあんたが奢りなさい!」
「やーだぁー!」
焼き芋を頬張りながら、あたし達は秋風が吹く家路を歩く。頬は少し冷えたけど、心はぽかぽかになるのだった。
『また会いましょう』
突然ですが。私はもうすぐ、この世を去ります。死神さんが、私に残りの寿命を教えてくれたのです。ファンタジーみたいな話ですが、本当です。事実、私の後ろには、黒いローブを身に纏った死神さんがいます。
「いやぁー。人間界って、毎日面白い事ばかりで飽きないねぇー」
私が想像していたのは、骸骨の顔に不気味な笑い、鋭い鎌を持った、闇属性が似合う死神さんでした。しかし、私の前に現れたのは、ツヤツヤもちもちのお肌に太陽みたいな笑顔、そして鎌を持っていないという――明らかに光属性と言う方が正しい死神さんだったのです。
「死神さん。私の寿命は、いつまででしたっけ」
「寿命ー? えっとねー、今夜十時までだよー」
のんきに私の寿命を教えてくれる死神さん。初めて出会った時もこのゆるさで私に余命宣告をしており、そのおかげなのか、死ぬ恐怖を全く感じませんでした。命が消えるというのに、するりと受容しているのです。
「ねぇねぇ。今夜には天に行くけど、やり残した事とかないー?」
「ないですね。もう、後悔はありません」
「そうなんだぁー。僕が今まで見てきた人達、皆そう言うんだよねぇ。なんでだろー?」
無自覚なのか、死神さんはそう言いました。もし死神さんが暗かったら、私の死に対する受け入れ方が大きく変わった事でしょう。
「……おっと、一旦戻らなきゃー。死神も色々忙しいんだよぉー」
時計を見てから、笑顔で死神事情を話す死神さん。楽しそうな死神さんが、私にはとても可愛らしく見えております。
「それじゃあねぇ。また会いましょうー」
「……ええ。また会いましょう」
死神さんは私から離れる時、必ず「また会いましょう」と言います。死神さんいわく、お迎えの人の様子を細かく見る為に毎日顔を出すからとの事でした。私は、死神さんの「また会いましょう」という台詞に、優しいあたたかみを感じているのです。
――夜の九時五十五分。私は、自宅のベッドの上でぼんやりしていました。残り五分で、私は命が消えます。
「こーんばんはー」
ひょっこりと現れたのは、死神さん。お迎えに来てくれたようです。
「そろそろ、僕と一緒に行こっかー」
死神さんに手を引っ張られ、魂の私は天に向かいます。さっきまで身体が重たかったのに、今はとても身軽になりました。
「死神さん」
「んー? なーにー?」
「……また、会いましょう」
天に昇ればもう会えないと分かっているのに、私は優しくてあたたかみのある言葉を口にしました。そうすれば、死神さんは一瞬目を丸くしてから、すぐに満面の笑みを浮かべました。
「うんっ! また、会いましょうー!」
全く変わらない、死神さんの優しい笑顔。次の人生は、死神さんみたいなあたたかい人に会いたいです――。
『スリル』
中年の僕はもう、生きるのがしんどくなってきた。ブラック会社の仕事は理不尽な事ばかりで、家に帰れば一人ぼっち。生きたくない、消えてしまいたい――そう思った僕は、出勤を黙って放棄して、砂浜に立っていた。そして、海へ海へと、足を進めていく。生きる意味がないし、このまま、ゆっくり沈んでしまおう――。
「おーい! そこのお兄さぁーん!」
海に飛び込もうとした時、遠くから誰かが僕を呼んだ。派手な格好をしており、ギャルっぽい見た目の女性である。
「ねぇねぇ、お兄さん。これからあたしと楽しいとこに行かな〜い?」
「……いえ、行かないです」
女性を無視して、僕は海へ。すると、女性が僕の腕をグッと掴んできた。
「ほら、お兄さん! はっちゃけられるとこ、あたし知ってるから! 海よりもいーとこっ! ほら、こっち行こ!」
女性にグイグイ引っ張られ、僕はそのまま車の助手席に突っ込まれる。出ようと思ったところで彼女は素早く運転席に乗り込み、すぐに運転開始。完全に逃げられなくされた。
「あ、あのっ……降ろしてください……」
「だーめー。お兄さんといーとこに行きたいもーん」
「なんで、僕なんかと……」
「なんでって。フィーリングで決めた事に、理由とかあるー?」
女性は楽しそうに言い、しばらく車を走らせる。その後、到着した先は、どこかの山奥だった。
「ちょっと。なんでこんなところに……」
「んふふ。まぁまぁ、こっちこっちー」
女性に引っ張られて連れてこられたのは、古くて長い吊り橋。普通に乗ったら、崩れてボロボロにしてしまいそうだ。恐怖で僕が唾をごきゅりと飲み込むと、女性は僕の腕をがしっと掴んできた。
「な、何のつもりですか……!」
「お兄さん。あたしがちゃーんと腕を掴んでるから、逃げちゃやだよ?」
女性はそう言うと、僕を吊り橋へと連れて行った。足を踏むだけでギシリと不穏な音が鳴る吊り橋は、僕に血の気を引く恐怖に陥れた。
「い、いやっ! ちょっと、待ってって!」
「このくらいでビビらないでよ〜。ほら、ほらぁ〜!」
「待って、ちょっと! 揺らさないで!」
女性はケタケタと楽しそうに吊り橋を揺らす。揺れると不穏な音が余計に聞こえてきて、さらに怖くなる。一方の女性は、完全に僕のリアクションを楽しんでいるようだ。しばらくは彼女に振り回されながら渡り、到着した頃には、僕の魂は抜けかかった状態になった。
「どーよ。吊り橋って、結構スリル満点じゃなーい?」
「スリルを通り越して、死にかけたから! 揺らすなんて何を考えてるの!」
「えっ、怖かったぁ? ……んははっ。お兄さん、海にダイブしようとしてたのに、吊り橋から落ちるの、怖かったの?」
女性に言われ、僕はハッとする。そうだ、僕は人生が苦しくなったから、消えようとしていた。それなのに、どうして吊り橋に怯えていたのだろう。吊り橋から落ちれば、すーっと消える事が出来るのに。
「……お兄さん。心がまだスリルを感じているのなら、生きたい気持ちが残ってんだよ」
女性はニカッと笑い、渡ったその先へと僕を引っ張る。そこでは滝が勢いよく流れており、景色としては良いものだった。滝が、僕の黒ずんだ心を洗い流すようだ。
「綺麗だ……」
語彙力のない僕から出る感想は、小並なもの。それでも、女性は「でっしょー!」と喜んでくれた。
「あたしね。心が疲れた時は、いつもここに来るの。途中のスリルを乗り越えた先にある、絶景の景色! 最高じゃない?」
「スリルはいらないけど……景色は、良いかな」
「んふふ。お兄さん、まだ時間ある? あたし、他にもいーとこ知ってるんだよね。一緒に出かけよーよ!」
「……スリルがないところがいいな」
僕がそう言うと、彼女は「え〜っ!」と驚きつつも、笑顔を見せた。スリルは嫌だけど、生きる意味を見つけてくれた事には、感謝している。
――今も、ずっと。
『飛べない翼』
僕には、翼がある。白くて、汚れのない、綺麗な翼。この美しい翼で、青空を羽ばたきたい。それが、僕の夢だ。でも、僕の翼は、まだ飛べない。どんなにバサバサしても、出来るのはジャンプのみ。そんな僕は――。
「よう。少し近くで休ませてくれ」
飛び越えられない木の柵の隙間から声が聞こえて、覗くと、黒い翼が見える。白い翼になったばかりの僕にとっては、未知の存在だった。
「君は……誰?」
「ん? お前、俺を知らないのか? ……ははぁ。お前、大人になりたてか」
「……どうして分かるの」
「そりゃ、俺は歳を重ねてんだ。見りゃあ分かる」
黒い翼の彼は座り、隙間から鋭い瞳で僕を覗いてきた。一方の僕は、そんな鋭さから程遠い丸み。
「……君、かっこいいね」
「ほう? お前、社交辞令ってもんが言えるのか」
「シャコージレイ? ……よく分からないけど、僕は本当にかっこいいって思ってるよ?」
「……あぁ、そうかい」
黒い翼の彼は、そっと木の柵に近づく。僕も、同じように近づいた。
「ねぇ。君は、空を飛べる?」
僕が尋ねると、黒い翼の彼は「飛べる」と即答した。僕は、嬉しくなった。
「ねぇ、ねぇ。空ってどんな感じなの?」
「空? いたって普通だ」
「普通ってどんなの? 僕に分かりやすく教えてよ」
「分かりやすくと言われても、本当にそうでしかねぇ。お前がそこにいても感じる通り。空は青い、風は気持ちいい。それだけだ」
少し面倒そうに、黒い翼の彼は言う。――もしかして、僕が思っているより、空ってつまらないもの?
「……お前は、空を飛びたいのか?」
今度は、黒い翼の彼が僕に尋ねてきた。僕の答えは、「飛びたい」の即答だ。
「……君は、僕が空を飛べると思う?」
「……さぁな」
「ちょっと、何その曖昧な返答」
「そうとしか言えねぇよ、俺は」
黒い翼の彼はそう言った後、僕から少し離れて、翼を羽ばたかせた。僕が急いで待ってと声をかけるが、彼はやめない。そんな中で、黒い翼の彼が口を開いた。
「……お前に教えてやる。翼は、飛ぶ為だけにあるんじゃねぇぞ」
「へっ? ど、どういう事?」
「それだけ覚えておけ。じゃあな、若者!」
黒い翼の彼は、そのまま飛び立った。彼がいた場所には、黒い羽根がはらりと落ちていた。
いつみても綺麗な青空。そんな空間を見つめるのは、白い翼が綺麗な、いつもの僕。でも、僕の翼は、飛ぶ為のものではない。『守る』為の翼なのだ。飛べない翼――僕は、そんな翼を持つ、白いにわとりである。
『ススキ』
俺が久々に実家に帰ると、いたのは親父一人だけだった。やかんでお湯を沸かしながら、テーブルに並んだ和菓子達をのんきそうに見ている。
「……お前か。全く、ただいまの一言くらい言わないか」
「言ったよ。てか、お袋はどうしたの」
「近所の奥様連中とお買い物。お留守番の俺は、一人でおやつの時間だ。お前もどうだ」
「断っても出すだろ。いただくよ」
俺がそう言うと、親父は「そこで待ってろ」と、縁側の方を指した。縁側から見える庭はススキがたくさん生えており、風でそよそよと揺らいでいる。
「庭、ススキだらけになってるじゃん。手入れとかしないの?」
「俺も母さんも年だ、腰が痛くなる。あと、ススキだけが生えている庭も悪くないだろう」
「その感性は分からないけど……まぁ、いいか」
二枚の座布団を敷いてから縁側に座り、ススキを眺める。俺に見られていても、ススキは細い身体を揺らしたまま、何もしてこない。どうぞご覧くださいと言わんばかりの様子である。
「……待たせたな」
親父が持ってきたのは、湯のみに入った熱い緑茶二つと、皿に置かれた醤油団子八本だった。
「団子、ずいぶん多くない?」
「四本じゃ、すぐに終わるだろ。だから二パック開けた」
親父は俺が用意した座布団に座った後、醤油団子を一口食べて、緑茶を飲んだ。俺も醤油団子を手に取り、ぱくりと頬張る。甘辛い醤油のたれが美味である。
「……ススキを見ながら息子と縁側で団子と茶を嗜むの、悪くないな」
「ススキ、関係ある?」
「風情があるだろう」
「ある、のか……?」
「お前も歳を重ねれば分かる。ほら、お茶が冷めるぞ」
親父に促されたので、緑茶を口に含ませた。舌に刺すくらい熱いが、香りは良い。
「親父、お茶が熱い」
「その熱さも良いだろ」
親父は、口元をゆるませた。
今日も俺は縁側に座り、熱い緑茶と醤油団子を嗜みながら、風に揺れるススキを眺める。
――親父。俺はようやっと、分かった気がするよ。
緑茶をすすり、ほぅとひと息。親父の写真が、老けた俺の隣で微笑んでいるのだった。