8月31日、午後5時。帰り道で、行き道。
丁度その時間は、観劇からの帰り道だった。
そして、仕事をしに行く途中でもあった。
つまり、帰り道であり行き道だったというワケだ。
観劇の場所では、色んな演劇関係者と会った。
地方の演劇界隈というのは狭い。
今日は丁度、演劇ユニットの発表をした日。
狭い界隈なので、つい数時間前に発表したばかりの演劇ユニットの情報が既に知れ渡っていた。
「演劇ユニット始めるんだって?」「頑張ってね!」
色々お声掛けいただけて嬉しい限りだった。
今日のことは忘れないだろう、恐らく、多分。
そしてそこからの帰り道、自分は焦っていた。
「17時前後にお伺いします」
と言っていた取引先へ遅れそうになっていたのだ。
赤信号で停まって、午後4時50分。
「すみません、もう少しかかりそうです」
と曖昧なLINEを送る。
「オッケー」
取引先は、割と時間にルーズでも怒らない人だ。
「○○はもっと気楽に構えた方がいいと思う笑」
などと、むしろもっと楽にしろと言うようなタイプ。
喧嘩っ早いところはあるが、根はいい人なのかも?
「根はいい人」と似た言葉に「悪い人じゃないんだけど」があると思う。
自分はあの言葉が結構嫌いである。
この言葉を言う時、大抵は悪口を言っている。
そして最後に「まぁ悪い人じゃないんだけどね」と言う。
どういう意図で言っているのかは知らないが…
それで全てチャラになると思うなよ!と思ってしまう。
そんな意味で言っているワケじゃないだろうけど。
母にも「そこまで考えてないよ」と言われたし。
あまり考えずに言う人が多いのだろうか…
それはそれでどうなんだ…と、また考える。
まぁ、そんな事はどうでもいいのだが。
来年の8月31日午後5時は、何をしているだろうか。
夏草、兵どもが夢の跡。
夏草、夏に草を引っつけた単純な単語。
単純な単語は、多くの場所で使われているイメージだが…
夏草って、「夏草や〜」の短歌でしか聞いた事がない。
他に使っているシーンはあるのだろうか…
いや、知らないだけであるんだろうけど…
というか、春草も秋草も冬草も聞かない。
全部雑草っぽいからだろうか。
○○草でよく聞くのは、猫草かな。
あの、猫ちゃんがむしゃむしゃ食べるやつ。
猫ちゃんを飼っているからか、よく見聞きする気がする。
猫を飼っていたら猫用の生活用品が目に付いたり、猫のグッズが目に入るとか…あるよね。
犬もハムスターも蛇もあると思う。
人が何となく集めちゃうものって興味深い。
動物に限って見ても癖が出る気がする。
例えば自分は、猫や龍、蛇のものを集めやすい。
飼っていたり、名前の一部に入っているからだろう。
そういえばこの間、演劇関係の知り合いが「クマちゃんのものは沢山持ってる」と話していた。
熊が好きなのだろうか…
いや、熊じゃなくクマちゃんが好きなんだろうな。
犬が好きだと言っていたあの人は、犬のグッズをついつい集めてしまうのだろうか。
苗字に猿の入るあの人は、猿のグッズに目が行きがちなのだろうか。
…ビックリするくらい話が逸れてしまった。
何の話だったっけ、とタイトルを見に行ってしまった。
夏草ね、はいはい。
夏草、夏草…やっぱり何も浮かばない。
コメント機能があれば有識者に教えてもらえるのに。
コメント機能が無いのが良い所なんだろうけど。
仕方が無いので、後で調べようと思う。
ChatGPTにでも聞こうかな。
○○草、ネットスラングみたいでなんかヤダな。
素足のままで、他人の家にあがる奴。
近年、素足で他人の家や公共施設(靴を脱がないといけないところ)に来る人が多い気がする。
自分自身はそれを特に気にするワケでは無いのだが、親から習わなかったんか?という気持ちにはなる。
え、習わないんか?ウチが特殊なんか?
少なくともウチでは、他人の家や靴を脱ぐ公共施設に素足であがってはならないと習って育った。
だから自分は基本的に夏でも靴下を履いている。
サンダルを履く時は、靴下をバッグに忍ばせている。
他の家では特に習わないのだろうか…
それとも、習ったけどやっていないのだろうか…
別に素足が泥まみれだとか、水虫だとか。
そういう事情が無いなら好きにすれば良いと本当に思う。
素足だから何があるとかも無いだろうし。
ただ、習ったのか習わなかったのか知りたいのだ。
「怒らないから正直に言いなさい」の本当のヤツ。
あと、お題に合わせて「素足」と言い続けているが、この話題は「裸足」が言いやすかったなぁと思う。
「素足」はなんかもっと、キレイな話で使えば良かった。
最後に「素足」をテーマに素敵な小説でも書くか。
ウチの高校は、プールの授業が無い。
水泳部はあるのだが、プールが若干遠い場所にあるのだ。
だから、この案もボツ。
昼寝のせいで目が冴えている僕は、一人夜中に考え事をしていた。
僕の右斜め前のその前に座る、あの子の事。
彼女は艶やかな黒髪と、涼し気な目元。
そして夏でも毎日、黒タイツを履くという特徴がある。
彼女の白い肌が、毎日黒タイツに守られている。
その不可侵領域が、気になって仕方ないのだ。
いつか、彼女の素足を見てみたい。
これ、「素足」じゃなくて「生足」か。
もう一歩だけ、前へ。
「もう一歩だけ、前へ。」
「もう少しだけ、前向きにね!」
以前からウザったいと思っていた言葉たちだ。
みんな口を揃えて、前前前前。
そういう宗教かと聞くと、当たり前の事だと言う。
…あぁ!ここにも前が居たのか、油断ならない。
そんな「前」が嫌いだった私は、さいごまで迷った。
前に進むか、後ろに下がるか。
悩みに悩んだ挙句、後ろに進む事にした。
自身の門出として進むのなら、やはり後ろに限る。
心地よい風が、祝福するように頬を撫でる。
「私は最期まで、前には進まない。」
そう呟いて、ビルの屋上から後ろに一歩進んだ。
さて、小説スタートという珍しいパターン。
しかし、いつも通り嫌な角度から書いた小説。
お楽しみいただけただろうか?
もう一歩だけ、前へ。
とてもポジティブな言葉に聞こえるが、ネガティブが得意な人種からすればウザったい言葉である。
ポジティブハラスメントだ、ポジハラ。
そういえば、ポジティブハラスメントという曲がある。
好きなボカロ曲の一つだ、是非聴いてほしい。
皆さんはポジティブとネガティブ、どちらだろうか。
何となく、小説を書いている人はネガティブな印象だ。
まぁ、とんでもない偏見なのだけれど。
オタクのイメージが強いからかもしれないな。
あと、たまに「ポジティブ」と「陽キャ」を混同している人を見かける気がする。
「俺、ポジティブだからさ〜。陽キャって言うのかな?」
とか言っている奴。
いや、ネガティブな陽キャも居るだろう。
ポジティブな陰キャも居るよ、お前みたいにな。
そもそも本物の陽キャは、陽キャとか陰キャとかの線引きを全く気にしていないのだ。
陽キャという言葉を使った時点で負けなんだよ。
お前も、そして自分もな。
陰キャが負けという価値観も、陰キャ特有だと思う。
だからまぁ、ポジティブ=陽キャで、ネガティブ=陰キャというのも言いたい事は分かるのだ。
必ずしもイコールじゃないから、言っているだけ。
そうだ、ただの面倒臭い奴なんだよ!
…今日も話が脱線してしまった。
だが、自分の独り言に♡を押してくれている君たちは、この脱線含めて好きなんじゃないかと踏んでいる。
時々、陰キャもポジティブに物事を捉えるのだ。
前だろうと後ろだろうと、一歩でも動くのは疲れるよな。
見知らぬ街、見知らぬ人。
見知らぬ街には、見知らぬ人が居る。
では、見知った街には見知った人が居るのか?
否、見知った街にも見知らぬ人が大勢居る。
無論、個人差は大きいだろう。
近所の人には必ず挨拶をする人や、人の顔を覚えるのが得意な人なら、見知った街には見知った人だ。
しかし昨今、そんな人は少なくなったのではないかと自分は考えている。
近所の人に挨拶をする人は減ったし、そもそも人に興味を示す人も減った気がする。
それに、見知った街って結構範囲が広い。
車で移動する範囲なら、見知った街のカテゴリに入る人が多いんじゃないだろうか。
自分は市内なら見知った街とするタイプだが、中心街なんかに行くと全然知らない人ばかりだと思う。
今日のお題を見て思ったのではなく、普段から「風景は見慣れてるのに人は知らないなぁ」と思うのだ。
うん、自分でも変な奴だと思う。
と、話が「見知った街」の事になってしまったが、本来のお題は「見知らぬ街」である。
見知らぬ街…旅行先とかだろうか。
そういえば「旅行先でたまたま知り合いに会った!」という話をチラホラ聞く。
ちなみに自分は、旅行先で知り合いにあった事は無い。
ここまで書いていてふと思った事がある。
単純に自分が人や外と交流を絶っている可能性があるな。
もしそうなら、ここまでの話は全部無駄なワケだが…
こういう人生しか歩んでいないのだ、仕方がない。
でも、ここまで読み進めてくれている人は、この話に共感する部分も多くあったんじゃないだろうか。
見知らぬ街、見知らぬ人。
我ながら小説向きのお題になったと思う。
周りの期待に応え周りの目を気にしてきた優等生が、ふとした衝撃で見知った街から逃げる。
逃げた見知らぬ街で見知らぬ人だらけの中に立ち、自分のちっぽけさに気が付く…
そんな感じの小説が書けそうだ、書かないけど。
今日は疲れたから書かないけれど。
まぁ、後日気が向いたら追記しているかもしれない。
見知らぬ街、旅行…久々に行きたいな…