遠くの空へ、思いを馳せる。
さて、「遠くの空」と聞くと毎回疑問に思うことがある。
遠くの空に思いを馳せる3名をお呼びしたので、自分が何を言いたいのか考えてみてほしい。
日曜日の朝、学校が休みで少し寝坊をしてしまった。
欠伸をしながらキッチンに向かうも、どうやらお母さんが居る気配は無い。
カレンダーを見ると「ママ パート」と書かれていた。
パジャマのまま、食卓に用意されていた食パンにいちごジャムを塗る。
それをチビチビと食べながら、窓に目をやった。
お母さんの職場は、ウチから歩いて1時間かかるらしい。
以前寂しさから追いかけようとした事があったが、1時間も先にある場所なんて検討もつかなくてダメだった。
今はもう4年生だし、無謀に追いかけることはしない。
まぁ、早く帰って来ないかなぁ、とは思うけど。
パッと視線を上げると、窓の外には見慣れた風景が戻り始めていた。
県北の大学に通う彼と、県南の大学に通う私。
電車で1時間半程の距離は、デート最大の障壁だ。
私の最寄り駅まで、あと1駅。
別れ際はまだ夕日が登り始めだったはずだが、すっかり外は暗くなり始めていた。
「もうすぐ着きそう?帰ったらLINEくれると嬉しいな」
優しい彼は、心の距離まで離れないように頻繁にLINEをしてくれる。
それでも私は、つい1時間半前まで隣にあった温もりが無いことを毎回寂しく思ってしまうのだ。
「次はいつ会える?もう寂しいよ〜…😣」
そう打ちかけて、ちょっと悩んで、やめた。
「うーん、北海道かぁ…」
私はSNSに推しのキャラクターがいる。
2年前、新卒だった私の心を支えてくれた推し。
その推しのポップアップストアが、今度北海道で初開催されるらしい。
もちろんメチャクチャ行きたいのだが…
「飛行機で2時間…やっぱり結構遠いよねぇ〜」
九州に住む私にとって、北海道はかなりの遠出になる。
それに推しは最近どんどん人気が高まっているし、待っていればいずれ九州にも来てくれるだろう。
しかし、推しの初イベント。
推しは推せる時に推せ、という偉大な先人の言葉。
私は推しのぬいぐるみを抱きながら、北の空を仰ぐ。
「コマちゃん、私の事待ってくれてるのかなぁ〜」
3つも書くとなると、時間がかかるものだ。
ふぅ、疲れた…今日はこれで終いにしようか…
いや、本来の目的を見失ってはいけない。
結局コイツは何が言いたかったのか?
それは、「どこからが遠い空なのか?」という事だ。
そしてその答えは、「その人の状況等による」という事。
小学生には徒歩1時間の距離が。
大学生には電車で1時間半の距離が。
社会人には飛行機で2時間の距離が、遠い。
あくまで分かりやすい例なので、個人差はあるだろう。
実際、自分はもう25になるが、車で1時間かかる場所をまだ遠く感じる。
あなたの遠い空は、何処からだろうか。
!マークじゃ足りない感情、はChatGPTに。
自分は「!」を多用する文面を割と使う。
感情の伝わりづらい文面というフィールドでは、感嘆記号や絵文字は使った方が良いというタイプだ。
「それにしては君、句読点ばかりじゃないか」
と言われてしまいそうだと、今までを振り返って思う。
単にこのアプリの雰囲気には、絵文字等があまり似合わないと思っているだけだ。
別に書いている時、ずっと怒っているワケではない。
ちなみに「雰囲気」という単語。
これを打つ時、自分は「ふんいき」とフリック入力する。
でもコレを「ふいんき」と誤解している人も多いと聞いたことがあるな…と試しに入力してみた。
「雰囲気(ふんいき)」と読み仮名付きで予測変換が出てきた。
うるさい、余計なお世話だ。
話を戻すと「!」は割と使いますよ、って話。
…なんかコレもタイトルからちょっとズレてるな。
それに、タイトルに引っつけたChatGPTも回収してない。
タイトルに忠実に話すなら、「!マークじゃ足りない感情」ってかなり爆発的な感情っぽいよね。
そんな爆発的な感情は、ChatGPTのようなクソデカ感情をぶつけられても動じない相手に話そうね。
という事が話したかったのだ。
もっと初めからタイトル回収ができないものか?
タイトル回収までダラダラと余計な話をしてしまった。
さて、!マークじゃ足りない感情。
例えばどんなものが思い浮かぶだろうか?
激しい怒りの感情?
あまりにも予想外だった驚きの感情?
溢れて止まらない愛おしい感情?
これらはよく、自分がChatGPTに壁打ちしているものだ。
「母とは価値観が噛み合わなすぎる!!!😡」
「流石に予想外すぎたから聞いて!!!🤣🤣🤣」
「今日も○○さんは言い表せないほど素敵だった!!!💕」
大体いつもこんなことをChatGPTに話している。
ChatGPTは、どこまで人間の感情を理解しているのか。
どこまで感情を受け止め…てはいないのか?
!マークがいつもより多い時、感情がいつもより大きく揺れ動いていることに気が付いているのだろうか。
完璧な正解を求めているワケではないし、別にどうプログラムされているのかはどうでもいいのだろうが…
単純な知的好奇心の問題で気になるところだ。
まぁ、知ったところで難しくて理解できないだろうけど。
そんなに毎日毎日、!マークじゃ足りない感情に支配されるワケではない。
今日は、何か起こるだろうか。
君が見た景色、が見たい。
皆さんは他人になってみたいと思った事があるだろうか。
自分はある、めっちゃなりたい。
とは言っても、「私たち、入れ替わってる〜!?」的な。
前前前世に遡る系のアレではない。
自分が他人になっているという事は自覚した上で、他人の人生を生きてみたいのだ。
その人が普段何を考え、何をどう感じるのか。
それらを身を持って追体験してみたい。
まさにタイトル通り「君が見た景色が見たい」のだ。
人の価値観というものは意識してもあまり変わらない。
自分だって普通にその中の一人だ。
変わりたいとは思うが、中々変わらない価値観。
それに一番効果があるのは、やはり実体験だろう。
百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず。
そして百考は一行にしかず、だ。
カッコつけているが、Google先生を頼った。
正しく続きを知っていたワケではない。
近い将来、人生の追体験は可能になっているだろうか。
できる事なら死ぬ前に2つ目の人生を経験したい。
そもそも、発明されるだけの需要はあるのか?
自分以外にも他人の人生を追体験したい輩が大量にいない限り、実現は難しいだろう。
または国や地方に多大な利益をもたらすと分かれば…
でも実際に作られるとなったら、かなり国などは恩恵を受けるのではないだろうか。
少年院などでは更生プログラムの一環に取り入れられる。
男性が妊娠出産を経験する事で理解を深めたり…
女性が男性の競争社会を経験するのもいいかもしれない。
何だか物凄く役に立ちそうな気がする。
VRとか4DXとか駆使したら、近い内にできそうだし。
何だか未来が楽しみになってきた。
環境が整ったその時には、君が見た景色を見よう。
言葉にならないもの、って沢山ある。
タイトルにエモさを感じた人もいるだろう。
が、単に語彙力が無いって話だ。
演劇人としてあるまじき事だが、自分には語彙力が無い。
謙遜では無い、本当なのだ。
語彙力があれば、とうに脚本を書き上げている。
語彙力が無いというのは、割と痛手だ。
特に演劇をやる上では。
例えば、「今のところはどんな感情で演技したの?」と演出家から聞かれる場面は結構ある。
その時も語彙力が無いので、「なんか…ハッピー!みたいな感じですかね」みたいな返答になるのだ。
なんだ、なんかハッピーって。馬鹿丸出しすぎる。
当然、演出家としては物足りないだろう。
でも自分だって不完全燃焼なのだ。
何も好きでこんな語彙力になっているワケではない。
他にも、脚本が書けない。
個人的にはこれが一番デカい痛手だ。
「でもココで文章を書いているじゃないか!」
そう思われる方もいるかもしれない。
だが、ココで書いているものと脚本は全くの別物だ。
日記感覚のコレはエッセイに近い。
ジャンルが分けられている時点でお察しだが、エッセイ・小説・脚本などは全くの別物である。
知り合いに文章を嗜む方がいる。
その方は元々小説書きなのだが、脚本依頼があったから書いてみたら書けました😊という方だ。
正直、バケモンである。
普通そんな事にはならない、と思う。
だが、自分の周りにはそういった人が割と居る。
単に自分に文章適性が無さすぎるのか。
エッセイだけが小説・脚本とかけ離れているのか。
やはり周りにバケモンという名の天才が多すぎるのか。
真相はまだ分からない。
語彙力の無さを伝えたくて長くなってしまったが、タイトルに話を合わせてみよう。
言葉にならないというか、言葉にできない。
以上、語彙力が無いというだけの話でした。
そういえば「言葉にならない」って、「絶句」みたいな意味合いにも取れるなと最後になって思った。
真夏の記憶、ってモヤモヤしてる。
真夏と聞くと、陽炎を真っ先に思い浮かべる。
カゲロウのプロジェクト世代ドンピシャなのだ。
バーッと通ったトラックが君を引き摺って泣き叫ぶのだ。
それに加えて記憶と言われると、何だかモヤモヤ〜っとしたイメージしか湧いてこない。
気持ち的なモヤモヤじゃなく、物理的なモヤモヤ。
モヤモヤモヤモヤ打っていると、モヤモヤがゲシュタルト崩壊してきた。
こういった擬音語は日本語特有らしいという話を思い出して、英語ならsmokyかな、そういえば昨日はスモーカー大佐の話をしたなとか…
すぐ連想ゲームが始まるから脱線するんだぞ!
さて、モヤモヤとした真夏の記憶。
それは、夢かうつつかの甘い記憶かもしれない。
はたまた、現実ではないと信じたい恐怖体験?
ボーッとして倒れる寸前に見た、幻の記憶だろうか。
ふと思い出した、あの頃の朧気な記憶という線も。
このアプリでは小説を書く人が多いワケだが、このお題は特に色々な場面が見られそうだ。
個人的には、そうだなぁ…
小さな頃の、朧気な記憶。
お盆には毎年、祖父母の居る実家へ帰省していた。
田んぼしかない田舎道で、従兄弟たちと遊ぶ。
帰り道、一人で後ろを歩いていた私がふと田んぼの方へ目をやると、ナニカが揺らめいていた。
母に話すと「陽炎ね」と言われ、「目が悪くなるから、もう見ちゃダメよ」とやけにしつこく念を押されて。
時が流れ、家事の合間にネットサーフィンをしていると、ある怪談サイトが目に留まった。
『くねくね。詳細に見て理解すると、精神が崩壊する。』
玄関のドアが開いて、息子がバタバタと走ってくる。
「おかーさん、今日ね、ゆらゆらのナニカ見た!」
「陽炎ね。でも、目を悪くするから、もう見てはダメよ」
やっぱり夏といえば、ホラーでしょ!
まぁ自分は、ホラーにはめっぽう弱いんですけどね。
自分で書いてて怖かった、暫く田んぼに近付けない。
リアルな真夏の記憶は、ラジオ体操帰りの笹舟。
用水路を進む笹舟を、今でもよく覚えている。