泡になりたい、ワケじゃない。
「泡になりたい」という文字列を見て、初めに思い浮かんだのは人魚姫だった。
泡といえば、でお馴染みのプリンセスである。
だが、よく考えれば「泡になりたい」ワケじゃない。
むしろ、「泡になりたくなかった」のだ。
人魚姫は悲劇のプリンセスとしても有名だ。
人間の王子に恋焦がれ、声を奪われ、勘違いされ、最期は王子と結ばれないばかりか、泡になって消える。
改めて整理すると、酷な人生(魚生?)である。
巷では「人魚姫は可哀想だ!」という声が多数あるらしく、ハッピーエンドになった世界線の話も見られる。
ディズニー版の人魚姫なんかは、その代表例だろう。
でも、個人的には原作版の方が幸せなのでは?と思う。
俯瞰ではなく人魚姫目線で見ると、だ。
全てを捨てても構わないと思うほどの恋をして。
実際に声を捨ててまで王子に会いに来た健気なワタシ。
それでも想いは届かず、挙句勘違いまでされて。
このままでは消え去る運命の可哀想なワタシ。
そんなワタシを心の底から心配してくれた姉たち。
それでもワタシは、愛する人を殺すなんて…
それならいっそ、と愛する人を想って消えたワタシ。
誇張して書いたが、何が言いたいか伝わっただろうか?
そう、アレだ。
「悲劇のヒロインなワタシ」である。
偏見だが、若い女の子は悲劇のヒロインに憧れている。
悲劇のヒロインである自分に、酔いたい時期がある。
…ココじゃなかったら炎上してそうだ。
でも、やはり大抵はそうなんじゃないか?と思う。
特に人魚姫が幸せだったろうと思う肝の部分は、最後には死んでしまうという設定だ。
正直、死ねば全て終わりである。
実際はどうか知らないが、多分天国も地獄も無い。
その仮説でいけば、人魚姫は悲劇のヒロインとして、愛する人の身代わりになったような形で終わる。
その後には何も、例えば後悔なんかも無い。
めっちゃ名誉(笑)じゃないか。
自分だって死に方を選べるなら、愛する人の身代わりになって死にたい。
そう考えると…
「泡になりたい」もあながち間違いじゃないの、かも?
ただいま、夏。の「ただいま」。
このお題が通知された時、自分は「?」と思った。
ただいま、夏?ただいま、ただ…あぁ!
「只今、夏。」か!
そう、「ただいま」「おかえり」の方かと思ったのだ。
通りで変だと思った、理解できて良かった。
このタイトルに違和感を持った人はどれくらいだろう。
日本語には、同音異義語があるからややこしい。
だが、同音異義語があるから面白いのだ。
そもそもこのお題も、自分は「只今」の方がしっくり来て納得したが、「ただいま」の可能性だってある。
運営はそれも狙っているのだろうか?深読みか?
まぁ、どっちでもいいのだけれど。
「只今、夏。」はまさにこの時期、夏真っ盛りですね!という話をするのに最適だ。
焦がすくらいの日差しに、陽炎揺らめくコンクリート。
冷房の効いた家を出た瞬間から、俺のHPがじわじわと削られていくのが分かる。
回復薬としてつい5分前に買ったコーラは、既に若干のぬるさを宿し始めていた。
ポタリ、と落ちた汗もすぐに蒸発して見えなくなる。
只今、夏、真っ盛り。
みたいな小説だって書けちゃうかもしれない。
「ただいま、夏。」はちょっとエモい感じの夏の話をするのにピッタリだろう。
じいちゃんの家は、退屈だ。
ゲームも無いし、漫画も無いし、近くに公園も無い。
何より、今年からじいちゃんも居ない。
ヨーヨーとお喋りが得意だったじいちゃん。
代わりにお母さんと遊ぼうと思ってたのに、「忙しいから」とアイスを渡されて縁側に追いやられた。
玄関がカラカラカラと開いて、お墓に行ってたばあちゃんたちが帰ってきた時。
ひとりだけ「ただいまァ」と陽気な声が聞こえた。
玄関に走っても、姿は見えない。
でもボクは、「おかえりぃ」とヨーヨーを取り出した。
なーんて小説が書けちゃったりするかもしれない。
ちょこちょこ、小説や会話劇をこれから挟もうと思う。
エッセイ風が好きで♡をくれていた人には申し訳ない気もするが、元々脚本を書く目的で始めたんだし。
ちなみに「只今、夏。」の方は、あるキャラクターを思い浮かべながら書いたのだけど、伝わっただろうか。
伝わる人には伝わるかもしれないな、知らんけど。
それにしても最近は、アツがナツい。
ぬるい炭酸と無口な君、小説にピッタリのお題だ。
例えば、夕暮れ時に隣同士で座っている2人。
2人の間に特別な会話は無くて、特に君は無口だった。
何度目か分からない沈黙が訪れる。
僕がふと君を見て、カシュッとすっかり気の抜けたぬるい炭酸を飲み干す。
「不味いなぁ」という呟きに、勿論返事は無かった。
みたいな?
書いていて思ったことがある。
小説の技法なのか何なのかはよく知らないが、たまにこういう一人称だけで人物を表すものを見る。
自分は割と、こういう感じも好きだ。
なぜ好きなのか、ちょっと考えてみた。
まず、自分は本は好きだけど、読むのは億劫なタイプだ。
だから手軽に読める短編や、ビジュアルブックが好き。
「君」や「僕」だけで人物が構成される小説は、ほぼ間違いなく短編に分類されるだろう。
何十ページも「君」と「僕」で間が持つとは思えない。
だから多分、好きなのだ。
今、頭の中では好きな惣菜発表ドラゴンが流れている。
好きな小説発表ドラゴンが〜♪
好きな小説を発表します〜♪
SS、お洒落コメディ、意外なオチ、一人称だけで人物を表現するや〜つ♪
正式名称が〜 分からない小説も好き好き大好き〜♪
そんなこと言ってる暇があるなら調べろってな。
調べた、というかChatGPTに聞いてみた。
以下、回答。
特別な“ひとつの名称”があるわけじゃないけど、
「一人称 × 余白 × 無名性 × モノローグ」っていう複数の技法が掛け算されてるスタイルなんだ。
へぇ〜、そうなんだ。
ということは、好きな小説発表ドラゴンで正式名称が分からない場所に分類したのは間違っちゃいなかったのだ。
いつもの事ながら、だいぶお題から逸れてしまった。
ついつい、捻くれた回答をしたくなってしまう。
悪癖だって?自分もそう思うよ。
…ぬるい炭酸って、不味いですよね。
波にさらわれた手紙、って何?
メッセージボトルの事だろうか。
いやでも、アレはさらわれたというより、さらわせた…?
(平仮名で書くと「さわらせた」みたいでキモイな。)
さらわれたメッセージボトル。
ロマンチックにも、コメディチックにも聞こえる。
誰にも届けるつもりは無かった、胸の内。
うっかり手を滑らせて、波にさらわれた心の声。
誰かに届くだろうか、海の藻屑となるだろうか。
これはロマンチックバージョン。
浜辺に落ちていた誰かからのメッセージボトル。
無人島に流れ着いた今、久々の他人の言葉だと歓喜する。
その拍子にうっかり手を滑らせて、波にさらわれた言葉。
流れゆくビンを、僕はただ呆然と見つめていた。
これはコメディバージョン。
書きながら思った。
これ、実は同じメッセージボトルなら面白いな。
色んな人の手元に届くも、開けられないメッセージボトル。
様々な人が様々な思いを持ちながら、メッセージボトルと接触するも、その封が破られることは無い。
最後は最初の差出人の元に偶然戻って来る。
「誰かの心の声が落ちているが、私は拾わない。
私は私のことで精一杯だから、今は拾えない。またね。」
とでも締めて、舞台上にメッセージボトルだけが残る。
我ながら、ちょっとエモいんじゃないだろうか。
タイトルを「波にさらわれた手紙」にしようかな。
8月、君に会いたい。
どうしてこうも恋愛チックなお題が続くのか。
絶賛下り坂の身としては、怒りすら湧いてくる。
「君」が意中の相手とは明示されていないのだから、恋にお前が振り回されているだけだと言われてしまえば…返す言葉もないのだが。
いや、でも、八割方は恋愛の話になると思うけれど。
さて、「8月、君に会いたい。」との事だが…
「君」が意中の相手ならば、8月に限らずとも会いたい。
自分は情熱的だが、淡白だ。
毎日愛を伝えたいが、会うのは月に2回程度で良い。
人と会うというのは…特に良く見られたい相手と会うというのは、気疲れするのである。
良いと思う服を着て、直前まで髪のセットを気にして。
メイクをしない自分でこれなのだから、メイクまでする人たちは更に疲れるのではないだろうか。
そういえばこの間、ちょっとした用事で意中の相手と会う日があった。
時間にして数分程度会うだけの、ちょっとした用事。
それでも自分はお洒落をして、髪も整えて、お気に入りの香水をふって出掛けた。
敢えて何も気にしていない風を装って部屋着という手もあったが、それをしなかった。
特に自分の場合はお洒落着が特徴的だから、というのもあるのだが…その話はまた別の機会にしよう。
そして数分会った。
もちろん、相手は特に何も言ってこなかった。
それでも、会えて嬉しかった。
お洒落をしておいて良かったと思った。
本当に気疲れするが、それでも嬉しいと思ってしまうのだから、恋とは厄介なものだなと思う。
8月も、君に会いたい。