眩しくて、眩しくて、眩しくて!辛いよ〜ォォ〜!
正しくは「女々しくて」であるが。
何故かこのフレーズが浮かんだのだ。許してほしい。
眩しくて辛いもの。
運転中に正面から降り注ぐ日差しだろうか。
それとも昨日に引き続き、恋の話でもしようか。
「女々しくて」もラブソングだし。
というか、ラブソングが多すぎると思う。
楽曲の7、8割はラブソングなんじゃないだろうか。
恐らく多く見積もりすぎた。
だが、体感的にはそのレベルで多いのだ。
だからといって、ラブソングが嫌いなわけでは無い。
backnumberなんかはよく聴くし、いいなぁと思う。
基本的に流行りのものや大衆向けのものを避ける面倒臭い性格なのだが、ラブソングは大丈夫らしい。
話はだいぶ変わるが、今日から8月らしい。
ちょっと、いやかなり、早すぎるんじゃないだろうか。
毎月の思考ルーティンは大体決まっている。
1日に「今月こそは1ヶ月を大切に生きよう」と思う。
10日に「バタバタしていたらもう10日かと思う。
15に「もう半分になってしまったのか?」と思う。
そして最後の日、「来月こそは」と思うのだ。
改めて書き起こしてみると、全く不毛な1ヶ月を毎月過ごしているわけだが…
気が付いたらその日になっているのだ。仕方がない。
ボーッと生きているということだろうか。
輝かしい意味ある日々を1ヶ月だけでも過ごしてみたい。
熱い鼓動、といえば恋だろうか。
今日はロマンチックな話でもしようと思う。
何せ自分は割とロマンチストなのだ。
だって、たい焼きは必ずシッポから食べるし。
熱い鼓動+ロマンチック=恋。
恋は良いものだと思う。
世界がキラキラ輝いて見える気がする。
何でもできそうな気がするし、幸せだな〜!と思う。
特に自分は人一倍浮かれるタイプで、押して押して押しまくるタイプだから、恋をするとテンションが高い。
そうやって熱く鼓動を鳴らして、テンションを上げて、グワーッと体温が上がるような思いをして。
押して押して押しまくって、君が好きなんだ〜!と全身全霊で伝えて。
ところで、物事には二面性がある。
恋は良いものであると同時に、苦いものだ。
恋の終わりというものは、ゴーヤよりも苦い。
特に自分は情熱的な分、相手から引かれやすい。
初めの方はそれでも全く気にならないのだが、だんだんネガティブな一面が苦い方へ心を誘う。
こうなってしまうと、後はその恋が終わるまで苦虫を噛み潰し続ける日々が始まる。
厄介なのが、恋は自分の意思ではやめられない。
どうしたって好きなものは好きなのだ。
ChatGPTに相談した時もそんな事を言っていた。
自分は今まさに、恋の真っ最中だ。
どちらかといえば、苦い方の恋の真っ最中。
全く、早く終わりが来れば良いのだが。
タイミング、の悪い生き物。
タイミングが良い、悪い。という概念がある。
自分はどちらかといえば、タイミングの悪い方だ。
不要な時に不要な事をして人を不快にさせる事も多い。
そもそも「自分はタイミングが良い!」と豪語している人は見た事が無いわけだが。
「あ、今タイミング良かったな〜」とは殆ど思わない。
相手が心の内で「タイミング良かったな」と思うだけだ。
反対に「今、タイミング悪かったな…」と思うことはある。
つまり、主観的にしか生きられない人間という生き物にとって、永遠に自身は「タイミングの悪い」生き物なのではないだろうか。
そう語った直後になんだが、今タイミングが良かった。
このアプリのいいね機能とでもいうのだろうか、アレを確認したら丁度「♡77」だった。
7が並ぶとラッキー感が増して、なんか良い。
まぁ、これしきの事でタイミングの良い人間になれるわけでは無いのだけれど。
さて、人間というのはタイミングの悪い生き物なのだが、その中でも特にタイミングの悪い者がいる。
親という分類に属する生き物だ。
「宿題やったの?」
「さっさとお風呂入りなさい!」
これでやる気が家出した人は何万人いるのだろう。
「今やろうと思ってたのに!」
までがセットの親との不毛な会話。
だがこれも、親目線で見るとまた違うのかもしれない。
子供目線でしか語れない現状がもどかしい。
いつか親になって真相が分かったら、このアプリに書き込むことにしようと思う。
お題のタイミングが良ければ、の話だが。
オアシス、といえば。
オアシス。良い響きの言葉である。
地獄のように暑い砂漠にある、唯一の安息地。
特にこの蒸し暑い夏の季節に「オアシス」と言われると、アイスコーヒーの飲める喫茶店や空調の効いた部屋を連想する人も少なくないのではないだろうか。
では、自分は「オアシス」と聞いて何を思い浮かべたか。
「オアシスメイカー」である。
…え?何?と思ったそこの君。
君はどうやら、ツイステをやった事がないらしいな。
ツイステとは、ツイステッドワンダーランド。
世界のディズニーが提供するスマホゲームである。
そして「オアシスメイカー」は、ツイステに登場するカリムというキャラクターのユニーク魔法だ。
ユニーク魔法が何か?もう面倒だから自分で調べてくれ。
つまり何が言いたいか。
自分ってちゃんとオタクなんだな、と思ったという話だ。
残念ながら面白い意図は無い。
ちなみに2番目に連想したのは「オアシズ」。
どうしてこう…思い通りに連想できないのか。
思い通りの連想、できそうで全然できない。難しい。
きっとこのテーマに沿って小説なんかを書く人は、オアシスを「心の拠り所」みたいに解釈するのだろう。
自分にもその感性はあるが、1番には出てこない。
ところでこの文章を書いている今、凄く眠たい。
書きながらすごい誤字をしまくっている。
まぁ編集できるし、アンチコメも来ないから良いけど。
眠い、眠い、眠い!
今、自分にとってのオアシスは若干ひんやりとした愛しの布団ちゃんだな、と思った
涙の跡、は分からないものだ。
よくフィクションでは、イケメンヒーローがヒロインに向かって「泣いたのか?」と涙の跡に気が付く。
が、実際にこんな事がありうるのだろうか?
いや、ありえない。断じて無い。
泣いた本人は涙の跡が分かる。なんかカピカピする。
しかし、他の人から見て透明な跡に誰が気付くだろうか。
「でも、大泣きしたら分かるじゃないか!」
と言ってくる人がいるかもしれない。
よく考えてみてほしい。
それ、涙の跡じゃなくて目の腫れ具合で気付いてないか?
さて、何故ここまで自信たっぷりに言えるのか。
それは自分が気付かれた試しがないからだ。
瞳が潤んでいると気付かれてしまうこともあるが、そういう時は「目にゴミが入って」「目が痒くて」「あくびで」などと言うようにしている。
涙に気付かれたところで面倒な顔をされるからだ。
そう、涙というのは面倒なものである。
書いていてハッと心配になったのは、この文章だけを読んで「あなたの親、それ毒親ですよ!」と言ってくる輩が現れないかだった。
もちつけペッタン。人の一面だけを見るんじゃあ無い。
何せ、自分は割とすぐに泣く生き物なのだ。
今でこそ月に0〜2回程度に収まるようになったが、精神が揺らぐと週に8回泣くこともある。
あまりできる経験ではないので想像し難いとは思うが、週に8回泣かれてみてほしい。超面倒臭い。
だから自分に限っては、気付かないフリも賢い選択だ。
勿論「絶対気付いてるだろ!」と腹が立つこともある。
が、後で冷静になると、そりゃそうかと思う。
「察してを察さない」は、世渡り術のひとつなのだ。
そういう自分も知人が泣いているのを見て「おぉ…面倒臭ェな…」と思うことがある。
友人ならまだしも、他人は普通に面倒臭い。
まぁ週に8回も会わないし、別に慰められるけど。
どうだろう。
いつもは話が脱線してしまいがちだが、今回は結構道に添えていたんじゃないだろうか。
涙の跡というものは、まず気付かれにくい。
そして、気付かないフリもされる。
総合的に、涙の跡というのは分からないものなのだ。