もしも過去へと行けるなら、答えは決まっている。
リアリストというか、ニヒリストというか。
そんな自分はこういった「ありえない仮定の話」をされると「そんなの考えても無駄」と一蹴しがちだ。
だがこのテーマに関しては、日常でも考えることがある。
物凄くネガティブな理由だが。
もしも過去へと行けるなら。
行き先は父と母の若い頃と決めている。
目的は、父と母の結婚を阻止することだ。
前提として、これは過去に干渉できるパターンの話だ。
過去へ行くという話では、過去に干渉できるかできないかが論点のひとつとなるが…
今回は割愛させてもらう。
さて、過去に戻って結婚を阻止する計画。
この計画の真の目的は、自分という存在の抹消だ。
お察しの通り、ネガティブな性格なのである。
自分という存在は、迷惑こそかけるが…
人を助けたり、気付きを与えたり、役に立ったり。
そういったプラスな影響とは無縁な人生を送っている。
この「書く習慣」で書いた文章は、ある程度書き溜まったらTwitterやらでリンクを公開する予定だ。
しかし、その時に「そんなことないよ!君は充分素晴らしい人間だよ!」と言ってほしくてこんなことを書いているわけではない。
ネガティブな事を言うと、「そんなことは無い!」と言われがちだ。
まぁ自分も言ってしまいがちなのだが。
だから別に、言ってくる事自体は構わない。
が、特段心に響くということは無いよ、とは言っておく。
何故なら、「自分には価値が無い」というのは主観的事実だから。客観的事実では無いぞ。
久能整くんの言葉を借りるなら、「真実は人の数だけある」という事だ。
今まで自分にネガティブな言葉を言った友人たちにとっても、あの言葉は主観的事実だったのだろう。
だが自分は自己中心的な人間なので、それに対しても「何を言う。君は素晴らしい人間だ」と主観的事実で返す。
欲しい答えでは無かっただろうが、諦めてほしい。
まぁ、単に慰めてほしかっただけという事もあるが…
それならWinWinだし、これまで以上に言ってくれ。
話を戻すと、過去に戻れるならとにかく自分の存在を綺麗さっぱり最初から無かったことにしたいのだ。
そうすれば基本的には全て解決する。
ただ、これにはひとつだけ不完全な点がある。
妹たちまで巻き添えを食らうという点だ。
妹たちは勿論、妹たちに助けられた人たちにもこれは大変な痛手である。
だがそれでも、自分の存在が抹消できるなら…と思う。
悪いな、妹たちとその関係者。
自分からの一生に一度の願いだと思って、そのチャンスが来たら許してほしい。
True Love、とは。
True Love。訳すと「真実の愛」だそうだ。
「本命の恋人」を英訳する際にも使うらしい。
(本命じゃない恋人は?と調べたが、色々あったので割愛。)
真実の愛、って何だろうか。
無償の愛のことかと思ったが、無償と真実で分けられているのだから何かが違うのだろう。
True Loveとは、と銘打ったからには「真実の愛について考える会」を開いてもいいのだが…
間違いなく最後の〆は「分からん」的なものになる。
若造である自分に、真実の愛など分からないのだ。
そういったものは恐らく、長く生きた後で死ぬ直前に「今思えばアレが…」と気付くものなのだろうと思う。
つまり、今この話をするのは建設的ではない。
では、他に何を話すのか。
日本語訳を調べる前まで、True Loveを「オーソドックスな愛」だと思っていた話でもしようか。
自分は、フリーホラーゲームの実況を見る事がある。
そういったゲームは殆どがマルチエンディングという制度になっていて、そのひとつにTrue Endがある。
True Endとは正規ルートのエンディングの事で、自分はこのTrueを基準にしたわけだ。
自分は学生時代から、外国語が苦手だった。
苦手なものは遠ざける。だからTrueの意味すらも知らなかったのだ。
「True Endから考えると、正規、普通…オーソドックス」
といった感じでTrue Loveをオリジナル和訳した際、一番に思ったのは、
「なんか、サドマゾが関係しそうな言い回しだな」
最悪である。
True Loveが無知によって汚された歴史的瞬間だった。
「真実の愛」と訳さなかった理由は他にもある。
自分はジャニオタで、嵐が好きだ。花男も好きだ。
だから、自分にとって真実の愛の英訳は「One Love」が一番しっくりくるのだ。
2つほど脱線して話したい事がある。
①「ジャニオタ」について
自分は、「ジャニオタ」という呼称を改めるつもりは無い。
「ジャニーズ」と呼び続けるし、「Twitter」も健在だ。
老害上等。好きな呼び方で呼ばせてもらう。
②嵐のラストソングについて
嵐は活動再開後のツアーをもって解散するそうだ。
では、そんな嵐が最後の最後に歌う曲とは?
自分は間違いなく「One Love」だと思う。
百年先も愛を誓って去ってほしい。願望混じりの絶対だ。
失礼。話が脱線してしまった。
True Love、つまり真実の愛を知ることが出来るのは、長く人生を全うした者の特権だと思っている。
知的好奇心の為に長生きする。これもアリかもしれない。
星を追いかけて、も別に。
星を追いかけて。
素敵な響きだとは思うが、実際は星を追いかけたところで星を掴めるわけでも無いしなぁと思う。
恐らくこの言葉を小説やらに使用している方々は、「そういうことじゃないんだけど😅」と思うだろう。
知っている。雰囲気で使用していることくらい。
だが、このような比喩的というか…そんな表現を聞く度、捻くれ者の自分が「現実で考えてみろ」と顔を出す。
例えば自分は、洋楽よりも邦楽が好きだ。
歌詞が読めるので、言葉の面でも楽しめるからである。
最近だとbacknumberの
「僕は君のことが好きだけど(略)」の歌詞が特に好きだ。
それでもやはり、納得いかない歌詞はある。
「これから生み出す全てを捧げても構わない これにはあのクレオパトラでさえも ご納得いただけるクオリティの ご提供となるはずだったのにな」
この部分である。
世界三大美女であるクレオパトラが納得する人生…。
石油王しか歌えないじゃないか!とか思う。
難儀な性格である。
そんな事どうでもいいのに。めっちゃ素敵な歌詞なのに。
小説や歌詞を見聞きするのは好きなのだが、こういった表現には引っかかるのだ。
だからと言って、リアリストかと問われれば…
夏目漱石流の告白が好きだったりするし、ロマンチストなところも多くあるなぁと思う。
これだってよく考えれば、リアリストとロマンチストが混在していたって別にいいのだ。
ゼロヒャク思考がモヤモヤとさせているだけで。
この思考の癖も、難儀。
もっとピュアに、言葉を楽しみたいものだ。
今を生きる、の「今」の範囲について。
「今」とは、この一瞬一瞬のことだろうか?
それとも漠然とした「今」のことだろうか?
アンケートを取ってみたら、ちょうど半々くらいに分かれるのだろうか。
ちなみに自分は前者の派閥である。
人生とは、今この瞬間の積み重ね(瞬間の写真がパラパラ漫画のように連なったもの)であると考えているからだ。
何となく、前者は生き急いでいる感じがする。
後者は「人生という長い旅路」とか言っていそうだ。
自分は人なんていつ死ぬか分からないと思っているので、一概に人生を「長い」と言いたくはない。
我ながらネガティブというか、面倒な性格である。
多分、どちらが良いとか正しいとかは無い。
が、人間は…少なくとも自分は、自分に無いものを求め続ける生き物である為、後者に憧れる。
なんか、カッコイイ。
なんかカッコイイ、といえば、以前人から
「あなたは行動の根底に"カッコイイ"があるんだね」
と、指摘されたことがある。
指摘、と言うと嫌な感じに聞こえるだろうか。
嫌な感じに聞こえたのなら、狙い通り。
「他人軸な考え方だから改めた方が良いよ」
という続きがあるからだ。
その人は当時の自分の意中の相手であった。
だから「そうですよね」と返した。
これを書いている今も、その人は変わらず意中の相手であるのだが…
余計なお世話である。
これは指摘をされたその瞬間にも思ったことだ。
昔なら意中の相手の言うことは全て正しい!と、恋に盲目だった自分だが、少しは落ち着いたということだろうか。
話が脱線しすぎてしまった。
長い人生をゆったりとして「今」を生きてみたいものだ。