私の地元で行われる祭りの開催期間は4日間で、通常よりも少し長い。
そしてこの祭りには不思議な言い伝えがあった。
それはとある条件を満たすことによって“5分間だけ死者と会うことが出来る”というもの。
もはや都市伝説のようなこの言い伝えを実践する人はほとんどいないという。
それは、この条件の代償が《自分の命と引き換え》だからだ。
でも私にはこんな条件、大したことはない。
1度は投げ捨てようとしたこの命を“彼”に救われたあの日から、私は生きることの尊さをすっかり忘れてしまった。
「あなたに救われた命を、もう1度あなたの為に使わせて…」
部屋の窓から外に投げかけられた言葉は、降り続く雨によって遮断されてしまう。
祭り当日までには止むだろうか。
その方がきっと、彼も喜ぶだろうから。
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「あーあ、また雨かぁ」
レインコートと長靴と傘…完全防備をまといながら彼が呟いた。
「わたしは雨、好きだよ」
「オレは嫌いだ。雨が降ってるってことは、どこかで誰かが泣いてる証拠なんだ…って母さん言ってた。だから早く晴れてほしいよ」
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幼い頃の記憶。
ほんの少しだけだったけれど、夢の中でまた彼に会うことができた。
祭りは今日から4日間行われる。
あの言い伝えは他にも様々な条件があり、最終日かつ、花火が打ち上がる19時45分から20時までの間でしか達成できないと言われている。
(どうか、当日は晴れますように…。)
心の中で何度も祈っていたのが効いたのか、4日目の夕方の空には雲ひとつなく、輝く星が幾つも見えた。
これならきっと叶えられるだろう。
花火が上がるまで、屋台を見て回ることにした。
…何故か成り行きで一緒に来ることになった、クラスメイトのハルトくんと共に。
「あ、カナちゃん花火まであと少しだよ!楽しみだね!」
「ねぇ、ハルトくん。私喉乾いちゃって…。ちょっとお茶買いに行ってきていいかな」
「え、なら俺が行くよ。ちょうど俺も喉乾いてたからさ!そこで待っててね」
「あ、うん…ありがとう」
打ち上げまで残り5分。
ハルトくんには悪いけど、この時間だけは絶対に誰にも邪魔されたくないから。
ハルトくんの姿が見えなくなったことを確認して、人気のない場所まで移動した。
そして花火が上がるのをひたすら待つ。
言い伝えが本当に叶う証拠なんてない。
だけど今夜は、いつもとは何かが違うような、そんな気がしていた。
余興の始まりを知らせるかのように、夜空の真ん中に咲いた一輪の花。
そして次々と色とりどりの美しい花を咲かせては儚く散っていく。
全員が立ち止まり上を向く中、私だけは目を閉じ心の中で祈っていた。
(この命と引き換えに、もう一度彼と会わせてください。覚悟は出来ています。どうか、お願いします…!)
突然誰かに肩を叩かれた。
慌てて目を開けると、そこには“彼”が立っている。
「久しぶりだね…カナ。元気にしてたか?」
「ハ、ハルキ…」
私を見て優しく微笑む彼に、私は言葉が出てこなかった。
本当は話したいことが沢山あるのに、言葉よりも先に涙が溢れて止まらない。
「泣くなよカナ。今日はこんなに良い祭り日和なのに、どこかで雨を降らせちまうぞ」
わかってる、わかってるのに。
頭では冷静に考えられるのに、俯瞰して見た自分の姿は泣きじゃくってばかりだった。
泣いてばかりの5分間は、あっという間に終わりを迎えようとしていた。
しかし残り僅かに差し迫った時、彼から聞かされたのは衝撃の事実だった。
「この言い伝えを教えたのは俺だけどさ、本当は少し違うんだ。“命と引き換え”なんて嘘で、実際には呼び出した相手のことを忘れてしまう、っていうのが本当の代償」
「呼び出した相手…?」
「そう。つまり、お前が“俺のことを忘れる”んだ。そうすれば、あの日の出来事も忘れられるだろ?」
あの日、とはおそらく…私が命を絶とうとして、それを庇ったハルキが亡くなってしまった時のことだろう。
彼は続けて話す。
「俺はお前を救えて良かったと思ってるよ。俺の願いはただひとつ。…これからもカナが、長生きしてくれること。たとえ俺のことを忘れてもな!」
そう言って彼は笑った。
涙を止めようと少し上を見ると視界に花火が映り、すぐに戻した視線の先に彼はもう居なかった。
「私、今何してたんだろう…」
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俺はずっと隣に立っていたけど、一瞬目を見開き驚いた彼女の表情から、5分間を過ぎたのだと察した。
そして不思議そうな表情のまま涙を流し続ける彼女は、とうとう俺のことを忘れてしまったのだろうことも悟った。
でも…これで良いんだ。
俺はカナにとって、居てはならない存在だから。
そのうちハルトがやってきて、泣いてばかりのカナを優しく諭していた。
俺もあいつも…幼い頃からずっとカナのことが好きだった。
「まさか兄弟で同じ人を好きになるなんてな…」
俺たちの両親は幼い頃に離婚しているため、カナは俺たちが兄弟ということすら知らない。
しかし今はその方が好都合だと思える。
「カナ…俺はお前の涙に弱いから、次から泣くときはハルトに胸を貸してもらえ」
「ハルト…カナを頼んだぞ。お前とだったら、カナはきっと幸せになれるからな…」
背を向けて歩いていく2人に投げかけた言葉。
届かなくても、どうかきっと叶えてくれ。
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「ねぇハルトくん…今何か言った?」
「え、俺…?何も言ってないけど。それよりカナちゃん、もう平気なの?かなり泣いてたみたいだけど…」
「うん、大丈夫。私もどうして泣いてたのか“思い出せないんだ”。泣くほどのこと…何かあったっけ」
私の言葉に少し罰が悪そうな顔をしたハルトくんが、こんな質問を投げかけてきた。
「あのさ、カナちゃんは聞いたことないかな…?5分間だけ死者を呼び戻せる代わりに、“その死者を忘れる”ことが代償の言い伝え」
その言葉に、大きく心臓が飛び跳ねた。
私は何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないか、と。
彼が続けて話すがもう何も耳に入ってこない。
私は徐に後ろを振り返り、こんな言葉を呟いていた。
「そこに誰か、いるの…?」
突然吹いた風が、祭りの終焉とともにその言葉を連れ去っていった。
古びた駅で、次の電車が来るのを待っていた。
数年ぶりに帰省した地元では、1時間に1本しか電車が走らない。
こんなことまで忘れるほど、私は地元を離れていたのか。
時刻表も見ずに向かった最寄り駅での待ち時間。
そこには左手に杖を持った老人と女の子が手を繋いでベンチに座っていた。
「おじいちゃん、あたしね、お花をつんできたの!触ってみて!」
「どれどれ…あいた、ちくっとするねぇ…これはコセンダングサかな?」
「おじいちゃんすごい!なんでも知ってるんだね!
でもね、ママはね、このお花のことを“バカ”っていったの。ねぇ、どうしてバカっていうの??」
「この花はねぇ、バカとも言われているんだよ。どうしてそう呼ばれるようになったかは爺ちゃんにもわからんが、他にも“くっつき虫”とも呼んだりするよ」
立ったままスマホをスライドしていた指が、いつの間にか止まっていた。
2人の会話に耳を傾け、私も正式名称を知らないままバカと呼んでいたことを思い出す。
小学生の頃、私には友達と呼べる子は1人しか居なかった。
当時のクラスメイトから“金魚のフン”や“バカみたい”と言われるほど、常にくっついてまわっていた。
「コセンダングサって言うのか…」
小さい声で呟いた言葉は、誰の耳にも届かないまま空気に吸い込まれていく。
再び2人の会話に耳を澄ませる。
「くっつき虫と呼ばれているのは、服にすぐくっつくからだよ。でもねぇ、人が色んな場所に運んでくれるから色んな場所で咲くことが出来るんだ。だからじいちゃんも、バカみたいなものなんだ」
そう言っておじいさんは女の子と繋いでいる手を少し上へあげた。
「どういうこと?」
女の子が不思議そうな顔で聞く。
私もおじいさんの言葉を理解できずに次の言葉を待っていた。
「ミヨちゃんが、じいちゃんを色んなところへ連れて行ってくれる。いつもじいちゃんの手を引いて歩いてくれる。だからじいちゃんは色んな景色を見られるんだ」
「うん!あたしおじいちゃんのこと大好きなの!だからこれからもたくさん、色んな“けしき”を見せてあげる!」
女の子が繋いでいる手をぎゅっと握った。
『まもなく電車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください』
アナウンスが聞こえ、おじいさんと女の子が立ち上がる。
「ほれほれ、そろそろ電車が来るよ。ミヨちゃん、手を引いてくれるかい?」
「うん!」
2人が歩き始めてようやく気がついた。
おじいさんは“目が見えていない”。
左手に持っていたのは普通の杖ではなく、白杖(はくじょう)だった。
おじいさんの右手をしっかりと握る女の子は、凛とした表情を見せる。
今までもこうして、おじいさんの手を引いてきたのだろう。
その行為に責任を持っているのがよくわかる。
そしておじいさんもまた、女の子を強く信頼しているのだろうと思った。
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電車に揺られ約10分。
友達と待ち合わせしている駅に到着した。
車内でも小声で楽しそうに会話している2人をもう一度見てから電車を降りた。
(ずっと2人が一緒にいられますように)
見ず知らずの2人なのに、幸せを願わずにはいられない。
きっとこれからも、2人はたくさんの景色を見に行くのだろう。そんなことを思った。
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「やー、お待たせ!」
「久しぶり、相変わらず元気だね」
数年ぶりの再会というのに、まるで昨日も会っていたかのようにお喋りに花が咲く。
ふと先ほどの2人を思い出し、こんなことを聞いてみた。
「小学生の頃、私がみんなになんて呼ばれてたか覚えてる?」
突然の問いかけに一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにこう答えてくれた。
「“バカみたい”でしょ?確かにあの当時みんなはあんたに言ってたのかもだけどさ、今思えば私のほうがお似合いの言葉だったと思うよ」
昔は皮肉に聞こえたこの言葉も、あの2人の会話を聞いた今は全く違う言葉のように感じる。
お互いがお互いにくっついてたくさんの場所へ出掛けた。
そうして今も途絶えない友情が続いているのだとしたら、私はこの子にこの言葉を伝えたい。
「私、“バカみたい”って言われて良かった!」
「っはぁ、はぁ、はぁ、はぁっ……んもう、雨降るだなんて聞いてないよ〜!何でいきなりこんな…あ」
学校からの帰り道、突然雨に降られた私は小さい頃よく遊んでいた公園へ飛び込んだ。
ここには屋根付きの大きいベンチがあるのだ。
…と、ここまではいいのだけど。
ベンチにドカっと座った直後、隣に誰かいることに気がついた。
え、今の独り言聞かれた?
ていうか、ここに来る時は誰も居なかったと思うんだけど…なんで⁉︎
「え、あの…ずっとここに座ってましたか…?」
パニックになりながらもとりあえず聞いてみる。
「お、おれの…」
「はい?」
「俺のことが見えるの⁉︎」
隣に座っていた男の人は長い前髪を振り回しながら喜び、いきなり私の両手を握ったかと思えばキラキラした目でこちらを見つめてくる。
「え、いや…あの、はい。え、見えるって何…?」
「俺ゆーれいなんだよ!今まで誰も俺に気づいてくんなくてさぁ…!まじ寂しかったんだよぉ!」
話を聞いてみると、彼はどうやら完全体な幽霊ではないらしい。
つまり、まだどこかで彼の本体は生きていて今も生死を彷徨っている最中…なのだとか。
「え、じゃあ髪と服がボロボロなのはなぜ…?」
「それ俺にもよくわかんないんだけど、なんかまだ死んでねーから綺麗なカッコはさせられません‼︎だってよ。意味わかんなくない?おかげで髪もこんな伸びきってボサボサよ…」
「あぁ、うん…確かにボサボサですよね…」
「…なぁ、そんな堅苦しく話すのやめてよ〜。俺らタメだぜ?」
「……は?なんでわかるんですか」
「俺さぁ、あんたが今着てる制服の学校に転校する予定だったわけよ。そんでこっちに越してきたんだけどすぐに事故ったらしくてさ」
「私の学年はどこでわかったの…?」
「そのチラッと見えてる上履きだよ。あんたんとこ、学年によって色違ぇんだろ?俺も同じ緑の上履き用意してたわ」
「あぁ、そういうこと…ですか」
彼の言ってることはある程度理解できた。
しかし全てを信じているわけではない。
だっておかしいでしょ、こんないきなり生死を彷徨ってるとか幽霊とかなんとか言われても…。
あ、でも先週のホームルームで転校生がなんとかって話してたな。
(こいつのことか…?)
だけど雨が止むまでは彼のお喋りに付き合うことにする。
ここに来るまでもかなり濡れてしまっていたし、これ以上走るのは御免だったからだ。
「でさぁ、その時あいつなんて言ったと思う?俺の顔を見るや否や…って聞いてる?…あれ、なんかあんた濡れてない?」
「は?今更?こんなに雨降ってるんだから当たり前じゃ…って、あれ」
彼が延々と話しているだけだったが、いつの間にか楽しくなってしまい雨が止んでいることに気づかなかったようだ。
「あ、虹!虹出てるよ!ほら見て!」
彼が勢いよく空を指差す。
確かにそこには綺麗な虹がかかっていた。
「ほんとだ…綺麗」
ふと横を見ると、彼の身体が透けてきている。
そのことに彼自身も気がついたようで、慌てて口を開きこう言った。
「俺マサヤってんだ!あんたは?あ、いややっぱいいや、もう時間ねぇみたいだから。これやるよ」
「え、何こ」
「さっきそこで拾ったヘアピン!誰のかは知らねぇけど、あんたと逢えた証拠だからまた会えるまで取っといて!じゃあな!」
私の言葉を遮って捲し立てた彼は、そのまま姿を消した。
「なんだったんだろ…まさや、か。また会えるまでってどういうこと…?」
彼は『生死を彷徨っている』と話していた。
つまり生き返ったか、或いは…。
いやまぁ、本当のことかもわからないしね…。
ほんの少しの寂しさと密かな期待を胸に抱いたまま家路についた金曜日。
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不思議な出来事から1ヶ月が経っていた。
朝のホームルームが始まる頃、少し遅れて教室にやってきた担任は開口一番にこう言った。
「前に話した転校生、覚えてますか?今日からこの学校でみんなと過ごすお友達を紹介します。どうぞ入ってきて」
ドクン
心臓が跳ねる音がした。
もしかしたら、あの時の…。
扉の向こうから入ってきた人物は、教室をざっと見回すとこちらへ向かって歩いてきた。
先生が彼に向かって何か言っているが、今の私には何も聞こえてこない。
私も彼も、目を合わせたまま逸らせずにいた。
そして目の前で立ち止まった彼が口を開いた。
「俺、ヘアピン無くしたんだけどあんた知らない?」
ずっとポケットに入れていたヘアピンを取り出し私も答える。
「これ…?でも私にくれたんじゃなかったの?」
「あぁ、そうだったわ。もうあんたのものだね。ところでさ…」
ニヤリと笑う彼が次に何を言おうとしているのか、私にはわかる。
彼の言葉を遮るように口を開いた。
「私の名前はーーーー」
あの雨の日は、私たちだけしか存在していないかのようだった。
まるでこの世界に取り残されたような感覚さえあった。
だけど今は違う。
周りには沢山のクラスメイトがいる。
それでも、私の目には彼しか映らない。
「なんか小綺麗になったね」
そう言うと彼は少しおかしそうに笑った。
その瞳に映っているのも、きっと今は私だけ。
『ねぇ、シュンくん。私と神社を探検しない?』
『もう少し頑張って…!ひゃぁぁ!!』
『ごめん、やっぱり帰ろうか…』
『あっはっは!!シュンくんすごい!すごいよ!』
『私、今日シュンくんと一緒に過ごしたこと、一生忘れないと思うなぁ』
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「ねぇ、2人の馴れ初め教えてよ」
「あはは、遂に聞かれる日が来たか…」
「いいじゃん、教えてよ〜」
「そうだね…僕と彼女は家が近かったんだ。目の前に小さな公園があって、1人でブランコに乗って遊んでいた時に彼女が声を掛けてくれた。これが初めての出会い。でもこの時はまだ、近所の女の子としか思っていなかったよ」
「ふ〜ん。それで?私は“いつ恋に落ちたのか”を知りたいんだけど?」
「そ、そう急かさないで…彼女に恋心を抱いたのは…僕が中学2年生の時だよ。それまで何とも思っていなかったのに、たった1日の出来事で好きになってたんだ」
「そうそう、そこ詳しく教えて!」
「夏休みが終わりに近づいた8月下旬、僕らは神社に探検をしに行ったんだ」
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「え…探検?」
『そう!ほら…私事故でこんな身体になっちゃったから、友達と遊びに行くことが出来なくなっちゃって。だから今、すごく暇なんだ』
「そう…なんだ。僕は別に良いけど…サヤカちゃんは平気なの?」
近所に住む4つ歳上の彼女は、1年前に事故で両足が麻痺してしまったらしい。
それからはずっと車椅子での生活を余儀なくされたとか。
小さい頃はよく遊んでもらっていたけれど、彼女が中学生に上がった頃から会う機会がグッと減り、いつの間にか一緒に遊ぶことは無くなっていた。
『でもひとつ問題があってさ…長い階段は車椅子じゃ行けないから、急な坂道で大変だとは思うけど車椅子押してくれる?』
「いや大丈夫だよ。…僕がサヤカちゃんをおぶって階段登るから」
『え』
「僕、もう14歳だよ?女の子1人くらい余裕だから任せて」
『え、でも……ふふ、わかった。じゃあお願いするね、シュンくん』
探検当日。
近所にある神社の敷地内に車椅子を置き、僕は彼女をおぶって歩き始めた。
「…っぁ、はぁ、はぁ…」
『シュンくん、大丈夫…?ちょっと休憩する…?』
「っだ、だいじょう…ぶ…」
『水!水飲もうシュンくん!一旦止まって!』
「へいきだよ…全然よゆう」
『シュンくん…あとちょっとだよ、もう少し頑張って…!ひゃぁぁ!」
彼女の悲鳴はまるで走馬灯のようだった。
思っていた以上に長い階段で、彼女をおぶったまま足を踏み外し前に倒れてしまったらしい。
「ごめんサヤカちゃん…怪我、してない?」
『私は大丈夫だよ、それよりシュンくんの方が…!」
「僕は全然大丈夫。こんなの大した怪我じゃないよ。ちょっと膝擦りむいただけだし」
『ごめんね。私が誘っちゃったから…。ごめん、やっぱり帰ろうか…』
「ここまで来たら帰るのはもったいないよ。絶対登りきる。僕がサヤカちゃんをテッペンまで連れて行くから」
女の子1人まともに抱えきれない自分が恥ずかしくて、意地になって口を突いて出た言葉。
もう一度彼女を背負って歩き出す。
一歩、一歩。また一歩。
そして最後の一段を登り切った瞬間。
『あっはっは!シュンくんすごい!すごいよ!』
背中から彼女の喜ぶ声が聞こえてくる。
その明るい声だけで、僕の疲れは吹き飛んでしまった。
ベンチに彼女を下ろした後、隣に僕も腰掛けた。
こんな真夏に階段を登ったものだから身体中から汗が止まらない。
無論彼女も同じようで、隣を見ると額の汗を拭っていた。
ふいに僕の顔を見る。
さっきまで背中にぴったりとくっついていたのに、今の距離の方がよっぽど近く感じる。
少し微笑んだ彼女は、ゆっくりと口を開いた。
『私、今日シュンくんと一緒に過ごしたこと、一生忘れないと思うなぁ』
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「そのひと言で恋に落ちた…とか?」
「…そうだよ。僕も何故だかわからないんだ。でもこの瞬間、彼女とずっと一緒にいる未来を想像した」
「んで、私が生まれた…って訳ね。へぇ。パパ普段は全然顔に出さないけどママのことちょー好きじゃん」
「そりゃそうさ。好きな気持ちが無ければ何もできなかったよ。…結婚も相当な試練が立ちはだかっていたからね」
「え、なになに!その話も聞きたい!」
「この話はまた今度な。ほら、早くサヤカを迎えに行こう。もう待ちくたびれてるぞ?」
「そうだね。私もママにパパから馴れ初め聞いちゃったって報告しなきゃ!」
「はいはい。準備は出来たか?」
「もう出来てるよー。私はお供え用の花持って行くからパパはそこの雑巾とお線香持ってきて。袋にまとめてあるから」
「ありがとう。それじゃあ行こうか」
サヤカ、僕たちの娘はもう16歳になるよ。
当時の僕よりもお姉さんだ。
嬉しそうに話を聞く顔は、君によく似ている。
4年分離れていた僕らの歳はいつの間にか重なって、そして君を遥かに超えてしまった。
いつか君に会いに行く頃、僕はかなり年老いているだろう。
それでも君は、僕の隣にいてくれるだろうか。
今でもあの夏の日を思い出す。
僕らが過ごしてきた時間は、どの瞬間も忘れられない素敵な日々だった。
それでも君が恋しくなるたびに、僕はあの日の夢を見る。
夢の中で君は僕の背中を優しく押しながらこう言うんだ。
『大好きだよ、シュンくん』
君の姿を見ようとするたびにいつも目がさめてしまう僕は、まだ一度も君の言葉に応えられていないんだ。
だからまた君が恋しくなって夢に出てきてくれた時は、その時はきっと君よりも先に僕がこう言うよ。
「僕の方が大好きだ」
ってね。
拝啓 2年後の私
どうもこんにちは、元気にしてますか?
健康体ですか?
夢、追いかけてますか?
聞きたいことは沢山あるけど、とりあえず今日も無事に生きていることを願います。
生きてさえいれば、なんだって出来るよ。
まぁ実際にはなんでも出来るって訳じゃないけど。
この手紙は、18歳の私が2年後の私に向けて書いています。
ハタチの誕生日を迎えるまで開けちゃだめだよ。
でもさ、たった2年間で書いた内容忘れられるかな?
って考えれば考えるほど忘れられなさそうなので考えることをやめます。(笑)
私のビジョンでは、20歳になるまでの2年間である程度お金を貯めて夢を追いかける…って感じなんだけど、ちゃんと今(2年後)も同じ夢を追いかけてるでしょうか。
まぁあなたは諦め悪いから今でも夢は変わってないでしょ(笑)
過去の自分の行動が未来の自分を作るって言うけどさ、昨日の自分は明日の自分に会えないし、明日の自分もまた、昨日の自分には会えないんだよね。
でも過去を振り返ることは出来るでしょ。
だから、ピッチピチの18歳の私が(笑)大人になった私に力を授けましょう。
今から床に手を当てるから、そっちも床に触れて。
…どうよ、力がみなぎってきた感じする?(笑)
とりあえず今の私が出来ることはこれくらい。
まぁ、気負いすぎずに頑張ってよね。
〇〇年〇月〇日18歳の私より
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手紙の封筒には
『20歳になった日に読むこと』
と書かれていたが、今の私は23歳と半年。
20歳を過ぎ、3年半も放置してしまっていたこの手紙はずっと引き出しの向こうで私を待っていた。
読み終わった手紙が両手からこぼれ落ち、私は床にそっと手を当てる。
「遅くなってごめん…力、貰ったよ…」
当時夢を叶えるために未来の自分に宛てた手紙。
読むのがこんなに遅くなってしまったのは、3年前の自分には読む資格がないと思ったからだ。
2年間を費やしながらも何一つ夢に近づけなかった私は、純粋で、叶えると疑わなかった過去の自分と目を合わせることが出来なかった。
合わせる顔がなかった。
しかしようやく今、私はあなたにこう答えることが出来る。
「遅くなったけど…まだまだこれからだけど、やっと夢へのスタートラインに立てたよ」
何年も費やしてしまった時間は、無駄なんかじゃなかった。
家族でさえ“現実を見ろ”と呆れていたこの夢を私を、認めてくれる友人に出会うことが出来た。
今の私を作っているのは、昨日までの私。
良いことも悪いことも沢山あった。
その度に過去の自分を責め立てた。
けれどもう、過去の自分の所為にしたりしない。
今までの全ての行動が今日に繋がっているから。
床に散らばってしまった手紙を拾い集め、丁寧に封筒へ仕舞う。
そこに書かれた
『20歳になった日に読むこと』
の文字。
守れなかった約束。
過去の自分。
昨日までの全ての私の上に、今日の私が立っている。
「ねぇー、これ新作なんだけどちょっと読んでみてくれない?」
ドアの向こうから友人の声が聞こえる。
「いいよー、すぐそっち行く」
読み終わった手紙を引き出しに仕舞い、軽快に応えた。
一瞬静まり返ったこの部屋で聞こえてきたのは、少し駆け足になった『今日を生きている私の鼓動』