上の階に住むじいさんが死んだ。
夕食中に突然この事を伝えてきた母は、まるでニュースでよく見る赤の他人の出来事のように、軽々しい口調だった。
「え…3階の…?」
手から滑り落ちた箸を拾いながら恐る恐る問いかけると、
「そうよ。3階の泉さん」
淡々と答える母の視線はテレビに釘付けだ。
時折笑い声も聞こえてくる。
「…あのさ、死因って何だったの」
「あんた、そんなに泉さんのことが気になるの?」
「…そんなことない、けど。話したことくらいはあるから」
「ふーん…。一昨日の朝、救急車が来てたでしょ?そのまま病院に運ばれたけどポックリ逝っちゃったらしいの。お母さんも詳しくは知らないけど、肺が真っ白だったって。煙草吸いすぎたんじゃない?」
「…肺が白くなるのは、肺炎が原因じゃなかったっけ…?」
「あっそ、あの人いつも汚らしい格好してるからてっきり。…ごちそうさま。あんたも食べ終わったらさっさとお風呂入っちゃいなさい」
「…ああ、うん」
母は空になった食器を持ってキッチンへ向かう。
どことなく言葉の節々に嫌悪感が漂っていた。
(俺が泉さんと仲良かったことを話したら、余計に眉間の皺を増やすことになりそうだ…)
口から出そうになった言葉を飲み込み、頭の中だけでこれまでの思い出を懐かしむことにした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「おう、おかえり」
「…あ、泉さん。えっと…ただいま」
兄が亡くなってから日に日に両親の関係は悪化し、いつの間にか母子家庭になっていた。
夏場はゴキブリが絶えないような5階建てのボロいマンションに住んで早10年。
周りの住民とあまり馴染めずにいたが、ある日の学校帰りに泉さんが声をかけてくれたことで少しずつ交流するようになっていった。
とある日は、
「ほれ、これ食え」
「…せんべい?」
「知り合いから貰ったんだけどよ、ワシ歯がなくてなぁ!ハッハッハッ」
またとある日には、
「よう坊主、アイス食うぞ」
「泉さん、俺帰りに友達とアイス食ってきたんだけど…」
「なぁにぃ?いいから食え!ワシ1人じゃ食べ切れん」
「…いや、じゃあなんで2つ持ってんの…」
「溶ける前に食わなならんぞ、はよせぇ」
「…はいはい」
俺は荷物を置くと階段に腰掛けた。
アイスを受け取り、ひとくち齧ってからいつもじいさんが座っている椅子に目をやる。
「じいさん、その椅子って自前?」
「おうよ、座り心地良いぞ」
年季は入っているが、確かに座布団が敷かれ背もたれまで付いている椅子は快適そうだ。
「へぇ、俺にも座ら…」
「坊主にゃまだ早い。ワシが死んだら坊主が好きに使っていいぞ。まだまだ先やろうがのう」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ピピピッピピピッ
けたたましいアラーム音で意識が戻された。
いつの間にかカーテンの隙間から日差しが差し込んでいる。
「…もう朝か」
昨夜、風呂に入ったあたりからあまり記憶がない。
ぼうっとする頭のまま身支度を済ませ学校へ向かう。
キーンコーンカーンコーン
こんなに1日が早く過ぎたことは、今まであっただろうか。
1時間ごとに鳴るはずのチャイムも、下校を知らせる1回きりしかまともに聞こえなかった。
「…くん、タカハシくん!」
「…おっ!と…マツイさんか、どうしたの」
「それはこっちのセリフだよ。タカハシくん、どうしたの?今日ずっと元気無かったし、心ここに在らずって感じで心配したよ」
「あぁごめん、ちょっと色々あってさ…。今は上手く話せる気がしないんだ。また今度聞いてもらえる…?」
「もちろんだよ。話したいって思ってくれただけでも嬉しいから。私はいつまででも待つよ。…だから、早く元気になってね」
マツイさんが教室を出た後も、しばらくは教室に残っていた。
やがて学校中が静まり返り、遠くからピアノの音色が聞こえてきた頃俺はようやく教室を後にした。
家の近くにあるコンビニに寄り、柔らかい饅頭を2つ購入する。
そしてマンションの部屋へ続く階段の脇にポツンと置かれている椅子に、初めて座った。
「…じいさん、これ。いつも貰ってばっかだから今日は俺が渡す番だよ。歯が無いって言ってたからとびきり柔らかい饅頭だ。フッ、コンビニで買うと意外と高いんだから、味わって食べてくれよ」
『 』
「…じいさん、肺が悪かったんだな。早速座らせてもらってるけど、この椅子なかなかの座り心地だよ。ちょっとじいさんの匂いもする。…正直言って少し臭い。ハハッ、冗談だよ。じいさんが俺に声を掛けてくれたのはちょうど1年前くらいだっけ?元々面識はあったけど、あんまり話すことなかったよな」
『 』
「俺いつもこんなに喋らないだろ?自分でも思ってるよ、今日が今までで1番話してるって。でも本当はもっとじいさんと色々話したかったな。俺の家族のことも、好きな子が出来たことも。…何もかもじいさんのおかげなんだ。あんたが俺に何度も声を掛けて、いつも元気な姿を見せてくれてたから。っ、だから俺は…油断、してたのかもしれない。じいさんに話したい事を後回しにして、この椅子に座るのももっと後のことだって…!うぅっ…」
『 』
目から大粒の涙が溢れた。
嗚咽が止まらず、目からも鼻からも液体は流れ続ける。
顔全体がびしゃびしゃになった。
やがて涙が渇き、落ち着いてから再び口を開く。
「……じいさん、俺気付いたことがあるよ。一生分の涙が流れたって10年くらい前に思ったことがあるんだ。だけど今日、その時と同じくらい…いや、それ以上かもしれない。こんな泣き顔を晒すつもりはなかったんだ。じいさんの前では、いつも自然と笑顔になれてたから」
『 』
「俺さ、母さんと父さんと、兄ちゃんの4人暮らしだったんだ。だけど兄ちゃんが死んで、親の仲が悪くなって。…いつの間にか離婚してた。だから父さんのこともあんまり覚えてないし、そもそも父さんがどういう立場の人間なのかもよく分かってなかった。そんな時じいさんが気に掛けてくれて他愛のない話をして。…俺、じいさんのことは本物の“じいちゃん”のように思ってたし、父さんのようにも思ってた。……一方的かもしれないけど、俺はじいさんのこと、“家族”だと思ってるよ。今までも、これから先もずっと。じいさんが俺のことどう思ってるのか知ることが出来ないのが…残念だけどね」
『 』
ここまで話した後、手で握りしめていた饅頭をひとつ開け、口に放り込んだ。
「ちょっと形おかしくなったけど、これじいさんの分な。椅子に置いとくから、あとでこっそり食べてくれ。またな、“じいちゃん”」
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その日の夜、夢を見た。
じいさんがいつもの椅子に座っており、俺があげた饅頭を食べている。
『こりゃあウマい!ワシが坊主くらいの時は、こんなもん無かったなぁ』
「そんなに好きならもっといっぱい買ってくるよ」
『いや、いいんだ。老いぼれジジイにはひとつで十分じゃ』
「ハハッ、自分で言うのかよ」
『のう……“ユウト”。ワシもお前さんの事は、家族と思うとるぞ。ジジイの椅子で良けりゃ、いつでも座りに来い』
「じ、じい、ちゃん…。俺、俺は…」
『ほれほれ、泣くな泣くな。ワシはそろそろ行かなならん』
「…行くって、どこに」
『久々に、婆さんの顔でも見に行こうかと思ってのう。散歩のついでじゃ』
そう言って笑うじいちゃんを見ていると、何となく分かってしまった。
たとえ夢の中であっても、もう2度と会えないということを。
『おう坊主、饅頭ウマかったぞ!御馳走さん!』
ほんの少し身体を傾け、こちらに向かってそう言うと、また背を向けた。
腰を曲げてとぼとぼと歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで、俺はずっとその場に立っていた。
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ピピピッピピピッ
今日もまた、アラームの音で目が覚める。
ぼんやりした頭でいつも通り身支度を済ませると、玄関の扉を開けた。
階段を降り、何気なく椅子に目を向ける。
「……!」
そこには、封を切られている饅頭の袋が置かれていた。
慌てて中身を確認する。
「…ハハッ、この汚い食べ方…。やっぱり来てくれてたのか。……じいちゃん」
青い空を見上げ、もう一度声をかける。
「そんなに好きならまた買ってきてやるよ。老いぼれジジイも、たまには食べたくなるだろ?」
制服の裾で目元を押さえ、いつもの通学路へ一歩踏み出した。
8作品のキャラクター紹介
趣味で執筆している小説に出てくるキャラクター達の、スピンオフのようなショートストーリーを書いてみようと思い始めました。
元々出そうと思っていたキャラクターとは別に、このアプリのテーマを通して生まれた子もいます。
そしてキャラクター達は身の周りの人たちや、時には自分自身が経験したことを書いていたりもします。
例えば1作目の『胸が高鳴る』というテーマでは、実際に過去の自分が未来の自分宛てに書いた手紙を元に生まれたストーリーです。
“床に手を当てて”というメッセージも本当に手紙に書いていました。
さて、一旦タイトル通りキャラクター達の簡単な紹介に移りたいと思います。
基本的には皆高校生で、学年は違えど同じ学校に通う生徒達の日常を描いています。
実は1作目と4作目の主人公は同一人物で20代になってからの様子を描いていますが、彼女も他作品に登場する高校達と同級生だったりします。
《 1〜8作品の主人公まとめ》
1、4の主人公(以下高2の生徒達と同い年)
ヤシロ マユミ(女)
2の主人公
キノシタ シュン(男)
サトウ サヤカ(女)
3の主人公(高2)
ウチカワ ケイ(女)
アイザワ マサヤ(男)
5の主人公(カナ、ハルト高2、ハルキ高3)
サエキ カナ(女)
カトウ ハルキ(男)(母方の苗字)
シライシ ハルト(男)(父方の苗字)
6の主人公(高2)
カミキ イオリ(女)
クロサキ カナタ(男)
7の主人公(高2)
ハセガワ コユキ(女)
キノシタ マナ(女)
8の主人公(高3)
タカハシ ユウト(男)
マツイ ミドリ(女)
【タイトル】
1、胸が高鳴る
2、夢が醒める前に
3、ふたりぼっち
4、バカみたい
5、1つだけ
6、君の目を見つめると
7、これからも、ずっと
8、あいまいな空
キャラクター達の名前ですが、実際には漢字も決まっています。
ただ、もしかするとこれから先どこかのアプリで執筆中のストーリーを掲載する可能性があるので、念のためカタカナのみの表記とさせていただきました。
キャラクター達の細かい設定は、またこのページを編集し追加で載せるかもしれません。
そして未確定な情報をもうひとつ。
7作目に登場するコユキ、マナ、そして『hiKari』(2作目の主人公サヤカ)にはモデルとなった人が実在します。
7作目ではhiKariの『夕焼けの色』をコユキとマナが文化祭で披露しました。
この2人のカバーverを今後動画投稿サイトに UPするかもしれません。
今は私生活に追われている為かなり後になるか、もしくは投稿自体やめてしまうかもしれませんが…今のところは前向きに考えているので、興味のある方は気長にお待ちいただけると嬉しいです。
↑こちらと並行して執筆中の小説のプロローグ(出来れば 1章くらいまで)もこのアプリでの投稿を考えていますので、ご縁がありましたら是非。(時期未定です)
長くなってしまいましたが、このアプリと出逢い日々の楽しみがひとつ増えた事、とても感謝しています。
読んでくださっている方々とやり取りは出来なくても“もっと読みたい”と感じてくれている方がいるだけで書いて良かったと思えます。
お金では得られない大切なものを与えてくださってありがとうございます。
このアプリの益々の繁栄と、皆様に小さな幸せが舞い降りることを祈っています。
もしかしたらこのアプリを利用している『あなた』とどこかですれ違っているかもしれません。
もしこれからやってくる“未来”で知り合えたなら、きっと仲良くしてくださいね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
『ラーメン食い行かね?』
俺が落ち込んでいる時、いつもこうしてメシに誘ってくれた兄。
10も歳が離れているにも関わらず、どこに行く時もいつも一緒に連れて行ってくれた。
その中でも最も思い出深いのが近所のラーメン屋。
他愛ない話をしながら熱い麺を啜る。
そんな些細な日常の一コマが、俺は大好きだった。
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「なぁ、今日カラオケ行こうぜ」
掃除の時間だというのに、ろくに手を動かさず話しかけてくる男にため息をつきながらこう答える。
「いやだね」
「なぁんでだよぉ。お前本当つれないなー。そんなんじゃ彼女出来ねーぞ?」
「俺たち今受験生だぞ、遊んでる暇なんかないだろ…。それに彼女なんかいらねぇよ」
ガタンッ
突然大きな音を立てて机がひっくり返った。
「ご、ごめん!手が滑りました…ぁぁ」
机を運んでいたクラスメイトのマツイさんが手を滑らせたようで、床に散らばった教科書やプリントを必死に拾い集めている。
「マツイさん大丈夫?ごめん、女子に重たいもの持たせちまって。俺らで運んどくからマツイさんはホウキ片してくれる?」
「わ、わかった。ありがとう…」
マツイさんに声を掛け、掃除を全くしないコイツに目配せをする。
“お前も運べ”と。
渋々動き出したものの、すぐにこちらに向き直り質問を投げかけてきた。
「お前、好きな子とかいねぇの?」
「いない」
「まじかよ〜…あっ、じゃあ好きなタイプは?そんくらいあるだろ流石のお前にも」
「…女子かテメェは。考えたこともないんだよそういうの」
大切な人がいれば、いつか失った時の悲しみは大きくなる。
それは家族や友達や…きっと恋人にも当てはまるだろう。
だから俺は、そんな存在は極力作らない。
10年も前にそう決めたんだ。
「まぁまぁ、なんかあるだろ?教えてくれよー」
「お前なぁ…お前だって例外じゃないんだぞ」
「………は?」
しまった。
「…違う、そういうことじゃない、クソ…。タイプ、な。言えばいいんだろ。あー…そうだな……“一緒にメシを食いたいと思える子”かな。…多分」
「なんじゃそりゃ…聞いて損したわ」
「そうかい。それは残念だったな。ほら、手動かせよ」
「うーい」
話題が途切れ各々黙って机を運ぶ。
いつの間にかマツイさんも教室に戻ってきていて残りの机を運んでいた。
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結局カラオケの誘いは断った。
意味もなく教室に残り机に突っ伏した。
家にも昼間の教室にもないこの雰囲気を自分だけのものにしたかった。
だが、そんな時間も長くは続かない。
数冊本を抱えて誰かが教室に入ってきた。
「タ、タカハシくん…?」
「あれ、マツイさん。図書室行ってたの?」
「うん、読みたい本があって。タカハシくんは何してたの?」
「何も。色々考え事してただけ」
そういえば彼女とはあまり会話したことがなかったな。3年間同じクラスだったのに。
そんなことを考えていると、マツイさんが少し気まずそうに口を開いた。
「タカハシくん、って…彼女いないんだね…あっ、ほら、掃除の時に話してたのが聞こえて…」
「あー、うん。俺さ、彼女どころか友達すらあんまり作りたくないんだ。…失うのが怖いから」
「え…?」
「あ…いや何でもない。今の忘れて」
「うん…わかった。でも…でもね、きっとタカハシくんともっと仲良くなりたいって思ってる人はいるよ。……私だって“例外じゃないし”…」
少しだけ沈黙が流れる。
彼女は本で顔を隠した。
それでも、その場から立ち去ることはない。
もしかしたらあの話を聞かれていたのかもしれない。
けれど今気になっているのは、マツイさんに過去の話をしようとした自分自身だ。
あいつに“お前も例外じゃない”と言ったことや、マツイさんに“兄の話をしようとした”こと。
つくづく自分自身の気の緩みに驚かされる。
黙り込んでいる俺を見兼ねてか、マツイさんが再び口を開いた。
「タカハシくん、良かったら一緒に帰らない?…天気悪いけど、もし雨降ってきても私傘持ってるし…」
「俺も持ってる」
「え、あ、あぁ…そっか」
今日の俺はやっぱりどこかおかしい。
失うのが怖いからと人付き合いを極力避けているくせに、彼女から言われた言葉や自らの口を突いて出た言葉の意味を知りたくなってしまった。
「じゃ、じゃあ私は帰るね…また明日」
「待って」
教室を出て行こうとする彼女を呼び止めた。
「俺も傘持ってるから、雨降ってきても平気だろ。だからさ…」
君に俺の過去を背負わせるつもりはない。
何かを得られると期待しているわけでもない。
だけど、その言葉の意味を確かめてみたくなった。
「…ラーメン、食い行かね?」
今日、何かが変わる。
そんな予感がした。
大好きな歌手【hiKari】がこの世を去ってから、もう10年近く経つ。
彼女が生涯でリリースしたのは、たった12曲。
私はどれも大好きだが特別目立った曲などは無く、カラオケで配信されているのは1曲のみ。
17年間生きてきて、未だにhiKariのファンだという人には出会えていない。
入れ替わり立ち替わり生き死にを繰り返すこの世界で、彼女を知っている人にすらもう出会うことは出来ないのではないか。
そうして肩を落としていた午後6時。
私以外誰もいない教室に、どこからかよく知る歌が聞こえてきた。
透き通った綺麗な声に、胸に突き刺さるくらい切ない感情が伝わってくる。
「hiKariの『夕焼けの色』…?」
曲名を呟き、歌声に導かれるように教室を飛び出した。
声の主は案外早くに見つかった。
2つ先の教室で歌っていたらしい。
そして今、興奮気味の私が彼女に名前を聞くところだ。
「あ、あなたの名前は…⁉︎」
「私は2年3組のキノシタ マナ。あなたは?」
「あ、わっ私は1組の…ハセガワ コユキ」
自分から突撃したのに、あまりにも冷静すぎる彼女を前にたじろいでしまう。
だけど私達にはhiKariという共通点がある。
お互いに“キノシタさん”、“ハセガワさん”の堅苦しい呼び方から“マナ”、“コユキ”に変わるまで時間はかからなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「じゃあマナはお母さんの影響でhiKariが好きになったんだ?」
「そうだよ、ずっと家で聴いてたから。特に『夕焼けの色』は1番耳に馴染んでる」
「私も!私もその曲が1番好きなんだ。私は家族にhiKariを好きな人は居ないけど…マナは今もお母さんと一緒に聴いてるの?」
「ううん、ママはもう何年も前に亡くなってるから。でも今も1番好きな歌手だよ」
「そ、そうなんだ…。あ、私もね、大好きすぎてピアノで弾けるようになりたいから密かに練習してるんだ」
聞かない方が良かったかな…と思いながら慌てて話を逸らした私の言葉に、マナは目を輝かせてこう言った。
「コユキ、ピアノ弾けるの?だったら私と一緒に文化祭出ない?
コユキがピアノを弾いて、私が歌う。どうかな?」
「いいよ!さっき聴こえてきたマナの歌声、hiKariと似てるわけじゃないのに…なんて言えばいいんだろ、なんかこう…胸にグッとくる歌い方がhiKariに似てた」
と、ここまで言って自分の言動を悔やみ、慌てて訂正する。
「ごめん違う!マナの歌声にhiKariの影を見てるわけじゃないんだ。マナにはマナの良さがあって…だから、つまり……」
「あっはっは!いいよ、そんなに慌てなくても。コユキが言いたいことは何となくわかったから。ありがとね」
その後私達は連絡先を交換し、その日を境に頻繁に会うようになった。
放課後は先生に許可を取り、音楽室を貸し切って練習する毎日。
約2ヶ月かけて私のピアノの技術がマナの歌声に追いついてきた頃、いよいよ文化祭の幕が上がろうとしていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ねぇコユキ、今日パパが見に来てるの。うちの高校、1日目だけは一般開放してるでしょ?だから見に来てよって誘ったんだけど、良かったら一緒に声掛けに行かない?」
「もちろん行こ行こ!マナのお父さんって、どんな感じの人?」
「普通にそこら辺にいるおじさんだよ。会えばわかるって」
マナに手を引かれるがまま向かった先には、若い男性が1人。
こちらに気付いたようで片手を上げ笑顔で話しかけてきた。
「やぁ、マナ。彼女がいつも話しているお友達だね。コユキちゃん、だったかな?マナがいつもお世話になってます」
「えっ、あ、はい、いえ…。あ、あの、マナちゃんのお父さん、ですか」
「そうだよ。僕がマナの父です。そんなに堅苦しくしなくて大丈夫だからね」
「……はい」
突然話しかけられて固まってしまった私に変わり、マナが間に入る。
「パパ、コユキがピアノ弾いてくれるんだよ。曲は『夕焼けの色』。パパもこの曲が1番好きでしょ?楽しみにしててね」
「あぁ、とても楽しみだ。初めてだね。“サヤカ”の歌を外で歌うのは。おっと、hiKariだったね」
………ん?
「あ、そっか、コユキには言ってなかったね。hiKariって、私のママなんだ。本名はサヤカ」
えええええええええええ⁉︎
声にならない声が脳内で響き渡る。
え、ということは…
「え、じゃあ家で聴いてたっていうのはもしかして…な、生歌を…⁉︎」
「あ、突っ込むところそこなんだ。そうだよ、毎日家で聴いてた。目の前で歌ってくれたから。MVに出てるhiKari、いつも椅子に座ってたでしょ?ママ、学生の頃に事故で両足麻痺してるから」
「あ、だからメディアには1度も出てこなかったのか…。色々聞きたいことはあるけど、でも生歌聴けるって羨ましい気持ちが勝っちゃって…!えええ、ええ…」
もう言葉にもならない。
驚きを隠せない。
そんな私を見て笑う2人は、なんだかすごく楽しそうだ。
最初はただ、マナのお父さんが若くてかっこよくて、おじさんとは程遠いじゃん…なんて思って驚いていたのに。
まさかこんなにも大きな爆弾を抱えていたとは。
でも、マナを見れば見るほど思うことがある。
「hiKariによく似てるね。笑った顔」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マナのお父さんとの挨拶を済ませ、私達はステージ裏で待機していた。
いよいよ次は私達の番だ。
「それでは登場していただきましょう!曲目はhiKariの『夕焼けの色』です」
司会者の言葉を合図に、ステージへ上がる。
マナと目配せをし、静かになった体育館にピアノの音を響かせる。
まさかマナのお母さんがhiKariだったなんて。
正直驚いたが、同時にマナの中にhiKariが生きているのだと知れて嬉しい気持ちもある。
人が1番最初に忘れるとされている声が、唯一彼女を現世に留まらせているものだと、そう思っていた。
だけどその“声”があったからこそ、私はマナと出会うことが出来たんだ。
その事実は、これからも変わらない。
もしかしたら今この場には、私達以外hiKariを知っている人はいないかもしれない。
でもそれでいい。
マナの歌声と、私の演奏でこの会場にいる全ての人に“hiKari”を知らしめてやろう。
きっと今、私達の想いはひとつだ。
大好きな歌がある。
だけどどうしてもタイトルが思い出せない。
曲の歌詞もあやふやで、抜け落ちた部分は適当に誤魔化しながら歌っていた。
顔も名前も思い出せないけれど、初恋の彼が歌っていた曲。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は春が好きじゃありません。
大嫌いな夏がやってくるまでの恐怖のカウントダウンと捉えてしまうからです。
でも桜は好き。
散ってしまう時は悲しくなるけれど、花びらが風と一緒に舞って、真っ黒な地面をピンク一面に染め上げてしまうあの感動はこの季節でしか味わえない…と気付いたからです。
だから本当は春も嫌いだけど、少し格上げして“好きじゃない”に留まってるというわけです。
クラス替えから1週間。
仲の良い友達と離れてしまい、いわゆるボッチというものを謳歌している私。
“謳歌”してるんです、とっても。
だけどこうして脳内でお喋りしてないと《たまに》寂しさが込み上げてくるから、今日も私は頭の中で色んな自分と会話します。
そういえば彼と出会った季節も春だったなぁ…なんて思いながら、あの曲を口ずさんでいると。
ガタンッ
突然後ろの席の男の子が立ち上がって…。
顔を真っ赤にしながら教室を出て行きました。
「変なの…」
一瞬静まり返ったものの、クラスメイトの1人が声を発したことでまた賑やかさを取り戻したようです。
『変なの』
これは彼に向けた言葉でしょうに、あっという間に別の話題に切り替わっていました。
きっと彼は、クラスメイトから気に留められていない。
そしてそれは、私も同じ。
(長い前髪とメガネで隠れている目元を見てみたい。)
ふとそんなことを思った私は、彼の後を追いかけてみることにしました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お昼休みが残り10分に差し掛かったところで、屋上へ続く階段に腰掛けている彼を見つけました。
「クロサキくん、大丈夫ですか?
突然走って出て行ったから少し気になって…」
もし彼がまた走って逃げてしまったら…などと考えていたのに、彼の姿を見るなり早々に声を掛けてしまった私。
ですが驚いた顔をしながらも、彼はこう答えてくれました。
「君が、さっき歌ってた曲……。どこで知ったの?」
意外な質問です。
まさか聞かれていたなんて。
でも正直に答えるべきでしょう、恥ずかしいけれど今こそ彼と向き合う時です。
「あれは…初恋の男の子が、歌っていたんです。曲名も歌詞も忘れてしまったけれど、歌い続けていればまたどこかで会える気がして…」
そこまで答えて、ふと彼の顔を見ると。
なんとメガネを外していました。
そこには初恋の彼と同じ、青みがかった瞳がありました。
彼は日本とどこかの国のハーフだったと記憶しています。
そんな彼と同じ瞳を持つクロサキくん。
これは単なる偶然でしょうか。
それとも………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「わぁ!おめめ青くてキレイ!!」
突然僕の顔を覗き込んできて、大きな声で叫んだ女の子。
この辺りは子供は住んでないって、お父さん言ってたのに…。
「…うそつき」
「嘘じゃないもん!本当にキレイだから言ったんだよ!」
「あっ、ごめん…今のは君に言ったんじゃなくて…」
少しムスッとした顔の女の子は、僕の言葉ですぐに笑顔になった。
それから成り行きで夕方まで一緒に遊んで、別れ際に歌と呼べるかわからないくらい短い曲をプレゼントした。
そんなたった1日の出来事。
あれからもう何年経っただろうか。
あの子は元気にしてるかな。
などと考えていた時、突然クラスメイトの女子があの曲を歌い出すものだから慌てて教室を飛び出してしまった。
そして今、目の前には当時と変わらぬ表情の“あの子”が立っている。
彼女は言った。
“初恋の男の子が歌っていた”と。
ならば僕も、過去を打ち明けてくれた彼女にきちんと向き合うべきだろう。
眼鏡を外し、彼女の瞳をしっかり捉える。
「その曲のタイトル、僕知ってるんだ」
驚きを隠せない彼女の目に映る僕は、いつになく楽しげだ。
こう答えたらもっと驚くだろうか。
「意味は“初めての恋”。この曲を送った相手に抱いた感情だよ」
揺れる視線の先で、もう少しだけ君を独占していたい。