舞輝薇

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『ラーメン食い行かね?』

俺が落ち込んでいる時、いつもこうしてメシに誘ってくれた兄。
10も歳が離れているにも関わらず、どこに行く時もいつも一緒に連れて行ってくれた。

その中でも最も思い出深いのが近所のラーメン屋。
他愛ない話をしながら熱い麺を啜る。
そんな些細な日常の一コマが、俺は大好きだった。
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「なぁ、今日カラオケ行こうぜ」

掃除の時間だというのに、ろくに手を動かさず話しかけてくる男にため息をつきながらこう答える。

「いやだね」

「なぁんでだよぉ。お前本当つれないなー。そんなんじゃ彼女出来ねーぞ?」

「俺たち今受験生だぞ、遊んでる暇なんかないだろ…。それに彼女なんかいらねぇよ」

ガタンッ

突然大きな音を立てて机がひっくり返った。

「ご、ごめん!手が滑りました…ぁぁ」

机を運んでいたクラスメイトのマツイさんが手を滑らせたようで、床に散らばった教科書やプリントを必死に拾い集めている。

「マツイさん大丈夫?ごめん、女子に重たいもの持たせちまって。俺らで運んどくからマツイさんはホウキ片してくれる?」

「わ、わかった。ありがとう…」

マツイさんに声を掛け、掃除を全くしないコイツに目配せをする。
“お前も運べ”と。
渋々動き出したものの、すぐにこちらに向き直り質問を投げかけてきた。

「お前、好きな子とかいねぇの?」

「いない」

「まじかよ〜…あっ、じゃあ好きなタイプは?そんくらいあるだろ流石のお前にも」

「…女子かテメェは。考えたこともないんだよそういうの」

大切な人がいれば、いつか失った時の悲しみは大きくなる。
それは家族や友達や…きっと恋人にも当てはまるだろう。
だから俺は、そんな存在は極力作らない。
10年も前にそう決めたんだ。

「まぁまぁ、なんかあるだろ?教えてくれよー」

「お前なぁ…お前だって例外じゃないんだぞ」

「………は?」

しまった。

「…違う、そういうことじゃない、クソ…。タイプ、な。言えばいいんだろ。あー…そうだな……“一緒にメシを食いたいと思える子”かな。…多分」

「なんじゃそりゃ…聞いて損したわ」

「そうかい。それは残念だったな。ほら、手動かせよ」

「うーい」

話題が途切れ各々黙って机を運ぶ。
いつの間にかマツイさんも教室に戻ってきていて残りの机を運んでいた。
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結局カラオケの誘いは断った。
意味もなく教室に残り机に突っ伏した。
家にも昼間の教室にもないこの雰囲気を自分だけのものにしたかった。

だが、そんな時間も長くは続かない。
数冊本を抱えて誰かが教室に入ってきた。

「タ、タカハシくん…?」

「あれ、マツイさん。図書室行ってたの?」

「うん、読みたい本があって。タカハシくんは何してたの?」

「何も。色々考え事してただけ」

そういえば彼女とはあまり会話したことがなかったな。3年間同じクラスだったのに。
そんなことを考えていると、マツイさんが少し気まずそうに口を開いた。

「タカハシくん、って…彼女いないんだね…あっ、ほら、掃除の時に話してたのが聞こえて…」

「あー、うん。俺さ、彼女どころか友達すらあんまり作りたくないんだ。…失うのが怖いから」

「え…?」

「あ…いや何でもない。今の忘れて」

「うん…わかった。でも…でもね、きっとタカハシくんともっと仲良くなりたいって思ってる人はいるよ。……私だって“例外じゃないし”…」

少しだけ沈黙が流れる。
彼女は本で顔を隠した。
それでも、その場から立ち去ることはない。

もしかしたらあの話を聞かれていたのかもしれない。
けれど今気になっているのは、マツイさんに過去の話をしようとした自分自身だ。

あいつに“お前も例外じゃない”と言ったことや、マツイさんに“兄の話をしようとした”こと。
つくづく自分自身の気の緩みに驚かされる。

黙り込んでいる俺を見兼ねてか、マツイさんが再び口を開いた。

「タカハシくん、良かったら一緒に帰らない?…天気悪いけど、もし雨降ってきても私傘持ってるし…」

「俺も持ってる」

「え、あ、あぁ…そっか」

今日の俺はやっぱりどこかおかしい。
失うのが怖いからと人付き合いを極力避けているくせに、彼女から言われた言葉や自らの口を突いて出た言葉の意味を知りたくなってしまった。

「じゃ、じゃあ私は帰るね…また明日」
「待って」

教室を出て行こうとする彼女を呼び止めた。

「俺も傘持ってるから、雨降ってきても平気だろ。だからさ…」

君に俺の過去を背負わせるつもりはない。
何かを得られると期待しているわけでもない。
だけど、その言葉の意味を確かめてみたくなった。

「…ラーメン、食い行かね?」

今日、何かが変わる。
そんな予感がした。

6/14/2024, 1:52:00 PM