部屋の片隅に立つ、
貴方のそばに近づく度に心臓が高鳴っていく。
Andante, Andantino, Allegro, Presto.
一歩ずつ、一歩ずつ。
目が合わせられず、ただ貴方の顔をちらりと見ては
目を外して、忙しなくその視界を泳がせて。
まるで自分の眼がレンズになったようだった。
眼の中で動画が流れているような、流れる映像の“枠”が
ないことの違和感だけがずっと残るような。
信じられなくて、夢のようで、よく分からない。
握った手は細く、冷たく、大きくて。
私の着けている指輪が彼の手の肉と私の手の肉で挟まれた、
その感覚だけが現実にあった。
それ以外は全て、幻のようだった。
手を離してすり抜けていくその感覚一つですら、
霧のようだった。
それは部屋の片隅であった話。
内緒話のような触れ合い。ささやかで小さなFermate.
部屋の片隅から離れていく。
andante,and.
「部屋の片隅で」 白米おこめ(遅刻)
geschmackvoll!
つんのめって逆さまに落っこちた後。
頭上に広がる蒼の中で、
鰯の群れは優雅に泳いでいた。
横を見れば、沢山のガラスのその奥に
私を見つめる人の姿が見える。
通過列車のような速度で、断続的に見える目。
数十メートルの水槽の中に投げ入れられた鰯。
群れから逸れた鰯。可哀想な鰯。
昼放課は餌やりの時間。
空の鰯の群れにもなれず、
冷たいコンクリートに食べられる迄。
「逆さま」 白米おこめ
“日記をつける”というと、
夢日記と、現実の日記の二つがある。
でも、両方つけている人っているんだろうか。
面倒くさいからかもしれないけど、
無意識に人は「どちらが大切なのか」を
考えて、どちらかを切り捨てているのかもしれない。
このアプリは、夢をかける現実の日記。
なんて良いものを手に入れたんでしょうね、私たちは。
「夢と現実」 白米おこめ
通勤時に見た、ふたり並んで登校する高校生に
学生時代の自分と彼女の姿を空目した。
君と並んで歩いた時間。
しがらみから解放されて、ただの人となって、
好きな事だけを話せる時間。
駅から学校まで、行きで15分。
帰りは、ちょっとゆっくり歩いて20分。
幸せな時間を挙げるとしたら、
多分こういう時間なんだろうな、と今になって思う。
たまに走って、息を切らしながら乗り込んだり。
目の前で電車を逃して、
駅のベンチでまた次の電車を待つまで喋ったり。
…話し足りないから、早足でも間に合うような電車を
わざと見送ったりして。
いつだって私達は、遮断機が降りる音を聴きながら
電車の音にかき消されないように話していた。
反対方向の電車に乗る君が、電車が来てから、
向こうのホームに行くまでのその数分。
その時間が、数分なのに、惜しい。
今の私にはもう、二度とない時間。
だから、今朝見た学生達のように、
私達がまたあの時に戻れたのならば。
私はきっと、彼女の袖を引っ張って、
最後の電車を乗り過ごすんだ。
もう二度とない時間を、もう少しだけ、温めるために。
「さよならは言わないで」 白米おこめ(遅刻)
むぎゅ。
眩しさに目をつむる音。
眩しさに抱きしめられる音。
そうやって光に包まれている時、
後ろからは影がそっと自分の背中を支えてくれている。
目が灼かれないように、
闇がそっと目の中の色を消してくれている。
光と闇。真逆のようでいて、隣り合う存在。
どちらか一方だけでは成り立たない。存在しえない。
その確約された存在の狭間で、私達は生きている。
産まれたその時から、分娩室のライトに照らされて、
母の胎に影を落としている。
そうやって生きて、死して尚、ろうそくの光に照らされて、
骨壷や墓標からずっと影を落とし続ける。
光だけでは影を生み出せず、影だけでは光を生み出せない。
狭間に何かが、
私達がいるからこそ光と闇は共存できるのだ。
光と闇。それと私たちは、共依存である。
光と闇の狭間で、私たちは存在を維持している。
「光と闇の狭間」 白米おこめ(加筆)