白米おこめ

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4/25/2025, 9:33:51 PM

その昔、蛍は恋をした。

清らかで甘やかな、その川の流れに恋をした。


せせらぎの誘い声が聞こえる。
誰にも見つからないように、燈は灯さずに、
真っ暗な空を飛んでいる。
誘われるがままに、蛍はその川の流れへ口付けて、
ぽちゃんと水飛沫を一つ残して、沈んでいった。


「こっちに恋」「愛に来て」 白米おこめ

3/31/2025, 3:49:50 PM

「どこかできっと逢えるから」と、
寂しそうに、それでもこちらの目を見据えて、
今から死んでしまうだろう先輩は泣きながら笑っていた。
それがどうしても心の中を巣食って、離れなくて、
苦しくて嫌になって、俺は怪具に手を出した。

マッチをひとつ擦る。

「どこかできっと逢えるから」と、先輩が
泣きながら笑っている。こちらを見つめる目は
ぼやけていて、あぁ俺も泣いているんだと思った。
思い出すと泣きそうになって、俺は怪具に手を出した。

マッチをひとつ擦る。

「きっと逢えるから」と、誰かが笑っている。
姿も何もかもぼんやりしているけれど、
なぜだか大切な人だということは覚えていた。
あと少しが思い出せないような状況が辛くて、俺は。

マッチを擦る。

誰かと会う約束をしていたのを覚えている。
でも、誰なのかが思い出せない。何をするのかさえ。
だったら、いっそのこと。きっと、忘れてしまった方が。

マッチを擦る。

誰かが笑っている。
ただそれだけの記憶。

そんなもの、いるか?


だから、マッチを…

からん、と空っぽになったマッチ箱を振った。
自分の周りには踏みにじって消されたマッチが数本
落ちている。記憶にはないが、使い切るまで何度も
何度も消したのだろう。

性質上、強い思い出ほど記憶は抜けにくくなる。
こんなに使うなんて、よっぽど忘れたかったんだなと、
俺はぼんやりとした誰かの笑顔を頭に浮かべる。
マッチを見つめていると、脳内でぱち、と何かが弾けた。
頭の中で、ぼんやりとした誰かの口が動く。そういえば、
先程の記憶の中でも、何か喋ってるような気がした。

その唇を脳内で追えば、言っている言葉はすぐに分かった。
これだ、と思った。これが忘れたかった理由なのだと。

「またね!」 白米おこめ

3/23/2025, 3:39:19 PM

曇り空のグレーは、彼を思い出させた。
いつだって気怠そうな、彼の目の下にある隈のような色。
だから怖くて下を向いた。
空にまで自分の罪を責められているようでは、
いつか全てのものが敵になってしまいそうだったから。

澄んだ秋の水色も、夏の真っ青な強い青色も、
全て彼を想起させた。
自分の中の“あおい”は居ない。全て彼のものだった。
雨が降り出しそうな雲は、白くない。
白さを失った雲が、今日も無意味に漂っている。

「雲り」 白米おこめ

3/4/2025, 12:43:48 PM

手が透ける。私の願いと同じように。

君が透けていく。僕の願いとは裏腹に。

僕らはすれ違う。それこそ、透明だから。

助け合おうとして、透けあって、重なって、離れる。

「透明」 白米おこめ

2/28/2025, 12:02:57 PM

[こちらA-0027、応答せよ、こちらA-0027_]

意味のない問いかけだ。
「通信」と書かれた小さなボタンを押しながら、
ざらついた皿のようなマイクに向かって声を出す。
初めの方こそ背筋を伸ばし、それはそれは堅っ苦しい
雰囲気を醸し出しながら話していたが。
今となっては、朝ご飯のスペースフード片手に
済ます程度の事になっている。どうでもいいのだ。
これは、別に母星に向けたものではなく、
だだっ広い宇宙に向けての通信なのだから。
どうせ、自分の声なんて誰にも聞かれずにブラックホールの中へ、何でもない周波数として吸い込まれていくのだ。ゴミ箱へ語りかけているのと同じだ、といつしか悟ったのを覚えている。あれは航海して何日目だったか。

ゼリー状のスペースフードを飲み込む。今日はハンバーガー味だ。いかにも栄養補助食品ですという真面目そうな顔をしたパックから飛び出すジャンクな味は悪くなかった。悪くないだけで、本当のハンバーガーが食べたいところだけれど。

[あー、あー、ハンバーガーが食べたいです]

どうせ塵になる物なので、適当なストレス発散として通信ボタンを押しながら愚痴る。もしかしたら、どこかの星に届いて、隕石代わりにハンバーガーが降ってくるかも…なんて馬鹿みたいなことを考えて、空っぽになったパックを宙に放り投げた。

「…ん」

ぼおっとその軌道を目で追っていると、カツンと当たった通信ボタンの隣が青色に点滅していることに気づいた。

「こんなとこ光ってたっけ」

緊急脱出装置、ではないだろう。そういう危ないものは一枚カバーが付いているのがお決まりだ。自分みたいにテキトーな人間が操作室で寝こけて、うっかりボタンを押して射出!なんてシャレにならないだろうから。ということは、特に自分の身に危険が及ばない類のボタンだろう。

「どれどれ」

少し床を蹴って、天井付近の棚を開けて取り扱い説明書を引っ張り出そうと思ったが。扉の奥に見える取り扱い説明書は、自分がいつか見た時の記憶の2倍は分厚かった。この中からあのちっこいボタンの説明書きを探すのかと思ったら、途端に面倒くさくなって、えいっと天井を蹴ってまた床に舞い戻った。さながらプールのターンのようだ。航海してすぐの頃に、クロールだとか背泳ぎだとかは一通りもうやったからもうやらないけれど。

「うーん…いいや、押しちゃえ」

ポチッと。ボタンを押すと、大きすぎる操作室のスクリーンにウィンドウが大量に並んだ。なんだこれ。三角マークが見える辺り、全て動画らしい。どれもこれも0:02だとか短いものばっかりで、サムネイルは真っ暗だ。
一番古いのは、僕が宇宙に出て一日目の日付だった。
ちょっとの好奇心で、再生ボタンにカーソルを合わせる。

[あー…んんっ、…えー、こちらA-0027…]

ザザ、とノイズ混じりで聞こえてきたのは、思いっきり緊張している自分の声。時折カサ、という音が響いて、カンペを読み上げている事が丸わかりな音声だった。どこのカメラか、自分の姿もバッチリ映っている。背筋を伸ばして、堅っ苦しい雰囲気を醸し出しながら、カチコチと話している。

「…これって全部…」

適当な日付の動画を再生してみる。A-0027。僕の宇宙船の名前。僕の旅の名前。最新の日付は、もちろん今日だった。なんだか泣きそうになりながら、再生ボタンを押す。

[あー、あー、ハンバーガーが食べたいです]

ぶは、っと吹き出す。少し遅れて、涙が滲み出た。下になんて落ちてはくれない涙が、隠せもせずに宙に浮かぶ。
僕一人の船。誰も会えない船。
塵になったはずの周波数は、A-0027の、
僕の記録の中にずっと残っていた。
宙に浮いたままの空っぽのスペースフードの数ですら、
ここで過ごした僕の記録になっていたんだ。


「記録」 白米おこめ

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