金曜日の真夜中に、私は色々食べたくなる。
冷蔵庫を開けると、卵と牛乳だけが入っていた。
今夜だけは食欲に負けて、プリンを作ろうと思う。
まずはカラメル。
砂糖をマグカップに入れてレンジで2分。
取り出してみると、マグマみたいにぶくぶくと沸き立つ茶色い液体。
これがカラメルになる。
水を入れてちょっと固まるまで待つ。
次は卵部分を作る。
そしたら、ボウルに卵と砂糖と牛乳を入れて混ぜ混ぜ。
マグカップに入れてレンジで1分半。
取り出すとふっくらしている。
ラップをして冷蔵庫で一時間冷やすとできあがり。
お皿にマグカップを逆さまにしてプッチンしていく。
このプリンが落ちて来る音がたまらんのよ。
いただきます。
最近は柔らかいプリンが多いけど、私はこの、昔ながらのかたいプリンが好きなのだ。
毎週お疲れ様。
気がつくと、私は神殿のような場所にいた。
和風というよりは洋風に近い、世界史の教科書に出てきたみたいなものに似ている。
ガラスをふんだんに使用し、自然光を取り込むのに使われている。
柱一つ板一枚を取っても質の高さが滲み出ていた。
柱には小さくだが、なにかが彫られている。
文字のようなものに思えるが、少なくとも私の知り得るものではなかった。
そのとき、目覚まし時計がけたたましく鳴り響き、私は一気に覚醒した。
時間はAM7:00。
いつもの朝だ。
昨日の夢の続きだった。
目は覚めたものの、手のひらには、あの彫り跡をなぞった指の感覚が気持ち悪いくらい鮮明に残っていた。
私は橋月亜矢乃。
普通の女子高生だ。
普通じゃないことと言えば、たまにあの生々しいほど鮮やかな異世界の夢を見ることくらい。
冷静になることが、現実を見ることが、億劫だった。
朝、京王線の駅。
ただ、飲み込まれて吐き出されるためだけに集まって来る、人の群れ。
僕はそれを無感動に見つめる。
どこかから財布を落とした女の子が泣いている声が聴こえ、その声に、ただ『かわいそう』とだけ思った。
手には、飲みかけの缶と読みかけの本。
人が集まる場所ほど、憂鬱で、孤独だ。
僕は電車の空いた席に、気だるい眠気を守るようにして座る。
自分を閉じることに、慣れ切ってしまっていた。
他人と関わるのは、気が滅入る。
善意にも悪意にも、触れたくない。
でも、たまにそうあることに、どうしようもなく虚しさをおぼえて、涙が溢れる。
そんなことがあった後は、決まって自己矛盾に呆れてしまう。
心地よい車内の振動が、眠気を誘う。
僕は薄い膜の向こう側にあるかのような世界をただ眺めていた。
誰でもいい。
名前を読んで欲しい。
ここにいるという、実感が欲しい。
僕は、選民思想に浸ることもできず、全てを拒絶するような力も持たず、孤独だった。
梅雨は大嫌いだ。
じめじめするし、髪がまとまらないし、濡れるし、傘の荷物増えるし。
「え?そう?僕は梅雨好きだけどな」
「なんで?」
「朝、満員電車に乗ってるとき、いつもならなんとなく憂鬱な気分だけど、雨が降っていると、大変なのはみんな同じだから、許せる気がする。
まぁ、僕は雨好きだから一駅分は歩いちゃうんだけどね」
その日から、わたしは雨が好きになった。
ある日、君が相合い傘をしているのを見てしまった。
相手は知らない娘。
ちがうクラスの人かも。
見たこともない顔をして笑う君と、濡れないように君の肩に必要以上にくっつく、ボブ髪の娘。
雨粒がコンクリートを塗り潰すように、嫉妬の波が広がっていくのがわかった。
やっぱり、梅雨なんて大嫌いだ。
俺は、中学の頃いわゆる不良で、自分の命も、他人の命も、愛おしいと感じたことは無かった。
あいつを連れ帰ろうと思ったのは、せめて、今までの分、他の命を大切にしたい、そんな気持ちからだったのかもしれない。
溶けそうなほど暑い真夏の炎天下。
俺は、大学からの帰り道、いつも通る公園の前で、不思議なものを見つけた。
「うわ、なんだ?これ」
ソイツは、眠るみたいに地面に横たわっていた。
一見植物のようにも見える細っこい身体。
教育番組のキャラクターみたいにチープな目ん玉がふたつくっついただけの顔(たぶん)。
猫とも狐ともつかない中途半端な大きさの耳(らしきもの)。
照り返しの強いアスファルトの上でステーキのように焼かれているわけのわからないソイツを、しかし俺は
助けた。
謎の使命感にかられていたのだ。
クーラーをつけ、お皿の上にソイツを寝かせて、水をジャージャーとかけた。
するとソイツは、ピコリと起き上がり、俺の方をキラキラした目で見つめた。
こうしてみると結構可愛いかもしれない。
俺は夏休みをずっとソイツと過ごした。
一緒に過ごすうちに色々とわかってきたこともある。食事は水だけでいいこと、なんとなくどこかで会ったような雰囲気があること、なぜか地震をとても怖がること・・・
ある日、ニュースで南海トラフについて報道されていた。
地震に関することがテレビでやるたびに、ソイツは、じっとテレビに見入っていた。
俺はそのたびに、言い知れぬ不安感を抱いた。
ソイツがやってきて結構経ったある日、もう季節は巡って、春になっていた。
その日、おかしなことが起きた。
俺は起きたら、なぜか実家にいた。
正確には実家のベッドだ。
カレンダーは2011年。
俺は飛び起きて下の階におりると、目を疑った。
母さんと父さんが並んで朝食を食べている。
俺はもしかしたら、まだ夢を見ているのかもしれない。
姉の柚葉は、なぜかいつもはいるのに、食卓にはいなかった。
その日の午後、俺はすべてを思い出した。
急に地響きのようなものが聴こえ、家が縦に横に揺れた。
まるで、巨人に家を振り回されているかのようだった。
揺れが収まった後、俺は姉はどうしたのかをようやく思い出した。
姉はこの日、旅サークルの仲間と宮城県を訪れており、そのまま東日本大地震に巻き込まれて死んだんだった・・・
父さんと母さんが荒れていた俺を心配するなか、姉だけは、俺のことを信用して、『あの子は大丈夫』と笑っていてくれた。
喧嘩して傷だらけで帰ってくると、遅めの夕飯を作ってくれることもあった。
姉貴の作る夕飯はいつも決まって春巻きだった。
そんな心の支えだった姉がいなくなってしまったこともあり、俺はなんとなく、喧嘩とか、そういうものに意味を見出せなくなっていった。
それどころでは無かったからだ。
さよならを言えなかった。
それどころか、俺は、感謝すら照れて、伝えられなかった。
そのとき、遠くで風鈴が揺れるような澄んだ音が聴こえたような気がして、振り向くと俺は、自室にいつの間にか立っていた。
俺はすぐさま、狭い1LDKの家の中を探したが、ソイツの姿は、もうどこにも無かった。
代わりに俺が、見つけたのは、狭いキッチンにラップをかけて残された春巻きだった。
俺はそれを見て、涙と言葉がどちらともなく溢れ出すのを止められなかった。
「ほんとに、ごめん・・・。ありがとう・・・」