元気かな
俺の実家は江戸時代から続く老舗の温泉旅館なのだが、新館と旧館をつなぐ渡り廊下の途中に「呪いの市松人形」が飾ってある。
もともとは何の曰くもない代物だったのだが、小さいころの俺がその人形を不気味がって、窓から投げ捨ててしまったことが発端だった。
その人形は、何度捨てても何度捨てても戻ってきた。朝、穴を掘って埋めたとする。すると、夕方には元あった場所に土まみれで髪がボサボサの人形が置かれているというわけだ。
俺も家族もたいそう怯えたものだが、最終的にはすべて「あいつ」のいたずらだったということが判明し一件落着した。
さて、こうして実家に帰るのは十年ぶりで、「呪いの人形」は昔と同じ場所に健在だった。
ふと、懐かしく思う。「あいつ」は今もここにいるだろうか……いや、いたとしても、もう俺には……。
——元気かな?
人形から声が聞こえた。俺は驚きのあまり素っ頓狂な声をあげて、人形がのっていた棚ごと横に蹴り倒した。すると、倒れた棚の扉が開き、中からおかっぱ頭の「あいつ」が昔と同じ姿でニヤニヤしながら現れた。
うるせぇ俺は元気だ、と答えると、当館名物「幸運の座敷童子」は、ケタケタと笑いながら駆けていき、廊下の突き当たりですぅっと姿を消した。
フラワー
目を覚ますと、花畑の中だった。
絵本のように青い空。淡い色の花々が地平の彼方まで咲き広がっている。
「先輩?」
振り返ると後輩が立っていた。吹奏楽部の後輩だ。トロンボーン。
「あーやっぱり! よかったー、知ってる人いて。てか、うちら死にましたよね?」
彼女は固まっているわたしの隣に腰を下ろした。
「あれ、覚えてないですか? 卒業式の最中に体育館の天井が崩壊して、演奏中のうちらのところに直撃したんですよ」
「そ、そんなことある?」
「あったんです」
彼女は手元の花を雑草みたいに引っこ抜きながら喋り続けた。
「ここって、天国なんですかね? お花畑だし。でも、天国にお花畑って、いつ誰が言い出したんですかね? 何教?」
「いや、知らないけど」
わたしも手持ち無沙汰だったので、とりとめのない話に適当な相槌を打ちながら、花冠を作った。後輩の頭にのせてみる。かわいい。
「似合います?」
「ミッドサマーみたい」
*
ここは病室。
規則正しい心電図の音。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな光。
目を覚さない少女の傍には夜を明かした母親の姿。
窓の外には桜。風に散り葉桜。
新しい地図
「今日からこれが、新しい地図だ」
そう言って、彼らは粗悪な印刷の紙を配った。
配達員たちはそれに目を落とし、もはやこの世界から我々の故郷が完全に抹消されたことを知った。
私の実家があった県は、かつては翼を開いた鳥の形に例えられていたのだが、今は単なる味気ない長方形にされていた。よく分からないが、おそらく名前も全く違ったものに変えられているのだろう。
ある衝動が込み上がるのを感じたが、私は息と一緒にそれを飲み込み、その地図をポケットにねじ込んだ。
そういえば、生まれてから今まで、紙の地図なんて使ったことがないな。地図アプリで事足りていたから。だが、この新しい世界では、電子機器はおろか、文字の使用も禁じられている。
地図に書かれているのは、定規で引いたような境界線と、彼らにすら解読できるか疑わしい謎の象形記号と、赤いバツ印だけだった。その印のつけられた地点が今回の我々に割り当てられた配達先だ。
配達先には何も持って行かなくていいので、我々はとても身軽だ。というのも、配達物は“我々自身”だからだ。正確には、我々の身体。腎臓、肝臓、心臓。皮膚から血液に至るまで。
それにしても、地図などあったところで、ただ先頭の指揮官について歩くだけなのに、彼らはなぜこんなものを配ったのか?
まあ、答えはなんとなく想像がつく。たしか、新しい政権では死刑制度が廃止されたのだとか……。
「では出発、進行!」
号令がかかった。
我々は自らの重たい足を、自らの意思で持ち上げて、最初で最後の配達先に向かう。
過ぎた日を想う
2XXX/10/6(曇り)
今日は海沿いの街跡を訪れた。
かつては観光地として賑わう温泉街だったようだが、今では他の場所と同じように、無彩色の砂に覆われた廃墟と化していた。
何か売り物になりそうな“ガラクタ”が落ちていないかと散策していると、道端に珍しいものが横たわっているのを発見して俺は口笛を吹いた。
表面の砂を払い落として縦に起こす。それは錆びたジュークボックスだった。『20世紀の遺物図鑑』でもLv.4の貴重なお宝である。しかも状態がかなり良い。Z星系の好事家たちに高く売れることだろう。
早速母艦に運ぶためにドローンを呼ぼうとした。そのとき、後ろから誰かが俺の肩にそっと手を乗せた。
ぞわりと、鳥肌が立つ。
——最近の若い子は知らないだろうけど。
声は中年の男のものだが、振り向いても誰もいないことを俺は知っている。今までも、こういうことはたまにあったからだ。
——どうやって使うか分かる?
返事をしてはいけない。ゆっくりと目を閉じて、ただやり過ごすまで。これは経験則というやつだ。
——自動販売機とおんなじ。コインを入れて、好きなのを選べばいいの。
——……うっそ、現金持ってない?
——えー、じゃあ特別に貸してあげるね。ほら、100万円!
その言葉を最後に、背後の気配がふっと消えた。俺は気付かぬうちに止めていた息を吐き出した。特に悪いものではなかったようだが、なぜだか言いようのない不快感が残った。
そいつが故郷の親父に少し似ていたからかもしれない。自分の若い頃の楽しみを、今の若者にも押し付けたがるやつはいつの時代にもいるらしい。
いつまでも自分が楽しかった時代にはいられない。過ぎた日は戻ってこないし、誰もそこに連れて行くことはできないのに。
苛立ちまぎれに煙草を咥えたところで、俺はふと思い出してポケットの中を探った。
……あった、『昭和45年』の100円玉。一応Lv.2の遺物だが、衝動的にそれをジュークボックスのコイン投入口と思しき場所に入れてみた。硬貨が中に落ちる音が響く。
俺は少しだけ何かを期待して待った。
しばらく待った。
だが、結局何も起こらなかった。
好きな色
好きな色を聞かれて「水色かな」と答えると、「普通だな」と鼻で笑われた。
私は少しむっとして、そういうあなたは何色が好きなのかと問い返した。
「☆♬∞♡色だ」
「……なんて?」
「☆♬∞♡色だ」
それは人間の耳には言語として認識できない音らしかった。
「それはどんな色なの?」
「水の色だ」
「水の色は透明だよ」
「いや、☆♬∞♡色だ。お前の星にいる生き物には見えない色だ。つい先ほど、お前の目にも☆♬∞♡色が見えるように改造した」
そう言われても、学校帰りにUFOに拉致されて目隠しをされているから、変わったところは何もわからない。
「いったい何のためにそんなことを?」
半信半疑ながらも尋ねた。
「社会実験だ。この世の全ての色が自分の視界の中に揃っていると思い込んでいる人間に、新しい色をひとつ足してみるとどうなるのか」
次の瞬間、私は自分が元いた地上に立っていることに気がついた。そして、目隠しのない視界には、今までとは全く異なる世界が映っていた。
ああ、これが☆♬∞♡色……。
☆♬∞♡色はたしかに水の色だったし、水色よりも好みの色だった。だから私の好きな色は結局水色なのだけれど、それを人に言うと「普通だね」と言われる。