過ぎた日を想う
2XXX/10/6(曇り)
今日は海沿いの街跡を訪れた。
かつては観光地として賑わう温泉街だったようだが、今では他の場所と同じように、無彩色の砂に覆われた廃墟と化していた。
何か売り物になりそうな“ガラクタ”が落ちていないかと散策していると、道端に珍しいものが横たわっているのを発見して俺は口笛を吹いた。
表面の砂を払い落として縦に起こす。それは錆びたジュークボックスだった。『20世紀の遺物図鑑』でもLv.4の貴重なお宝である。しかも状態がかなり良い。Z星系の好事家たちに高く売れることだろう。
早速母艦に運ぶためにドローンを呼ぼうとした。そのとき、後ろから誰かが俺の肩にそっと手を乗せた。
ぞわりと、鳥肌が立つ。
——最近の若い子は知らないだろうけど。
声は中年の男のものだが、振り向いても誰もいないことを俺は知っている。今までも、こういうことはたまにあったからだ。
——どうやって使うか分かる?
返事をしてはいけない。ゆっくりと目を閉じて、ただやり過ごすまで。これは経験則というやつだ。
——自動販売機とおんなじ。コインを入れて、好きなのを選べばいいの。
——……うっそ、現金持ってない?
——えー、じゃあ特別に貸してあげるね。ほら、100万円!
その言葉を最後に、背後の気配がふっと消えた。俺は気付かぬうちに止めていた息を吐き出した。特に悪いものではなかったようだが、なぜだか言いようのない不快感が残った。
そいつが故郷の親父に少し似ていたからかもしれない。自分の若い頃の楽しみを、今の若者にも押し付けたがるやつはいつの時代にもいるらしい。
いつまでも自分が楽しかった時代にはいられない。過ぎた日は戻ってこないし、誰もそこに連れて行くことはできないのに。
苛立ちまぎれに煙草を咥えたところで、俺はふと思い出してポケットの中を探った。
……あった、『昭和45年』の100円玉。一応Lv.2の遺物だが、衝動的にそれをジュークボックスのコイン投入口と思しき場所に入れてみた。硬貨が中に落ちる音が響く。
俺は少しだけ何かを期待して待った。
しばらく待った。
だが、結局何も起こらなかった。
好きな色
好きな色を聞かれて「水色かな」と答えると、「普通だな」と鼻で笑われた。
私は少しむっとして、そういうあなたは何色が好きなのかと問い返した。
「☆♬∞♡色だ」
「……なんて?」
「☆♬∞♡色だ」
それは人間の耳には言語として認識できない音らしかった。
「それはどんな色なの?」
「水の色だ」
「水の色は透明だよ」
「いや、☆♬∞♡色だ。お前の星にいる生き物には見えない色だ。つい先ほど、お前の目にも☆♬∞♡色が見えるように改造した」
そう言われても、学校帰りにUFOに拉致されて目隠しをされているから、変わったところは何もわからない。
「いったい何のためにそんなことを?」
半信半疑ながらも尋ねた。
「社会実験だ。この世の全ての色が自分の視界の中に揃っていると思い込んでいる人間に、新しい色をひとつ足してみるとどうなるのか」
次の瞬間、私は自分が元いた地上に立っていることに気がついた。そして、目隠しのない視界には、今までとは全く異なる世界が映っていた。
ああ、これが☆♬∞♡色……。
☆♬∞♡色はたしかに水の色だったし、水色よりも好みの色だった。だから私の好きな色は結局水色なのだけれど、それを人に言うと「普通だね」と言われる。
星空の下で
東の国の夜は冷たい。こごえる幼子を抱きかかえた母親が、前の者に続いて粗末な小舟に乗り込んだ。西へ向かう舟だ。
この舟に乗るために、彼らはなけなしの全財産をはたいた。それは極めて危険な決断だった。もし秘密警察に見つかったら、処刑は免れない。
それでも舟に乗ることにしたのは、生きるためだった。あるいは大切な人を生かすためだった。東の国はとても貧しい。病で先は長くないと言われた娘も、医療の発達した西の国へ行けば救うことができるはずだと、その母親は信じている。
不安げに身を寄せ合う彼らの頭上には、満天の星が煌々と輝いていた。中でも一際明るい光を放つその星の名前を、彼らの誰も知らなかった。
ところで、都市化が進んだ西側諸国の住民たちにとって、東の国との国境にある非武装地帯周辺は、現代に残された貴重な自然の楽園だった。
もはや人気の観光スポットと化したその場所では、今夜も恋人たちが星空を見上げて、ロマンティックに愛を囁き合っている。
君は僕のシリウス。どんな暗闇の中でもその輝きが僕を導いてくれるよ。
それでいい
目を覚ますとそこは異世界で、知らない神様がロッキングチェアに腰掛けてパイプを燻らせていた。
「お前にはこの中から好きなものを選ばせてやる」
神様がそう言って指を鳴らすと、真っ白くてだだっ広い空間の中に突如として『万物』が現れた。
ちなみに、万物というのは万物のことである。それ以上でも以下でもない。
俺はその中から真っ先に『それ』を取った。神様は顔をしかめて「それでいいのか?」と問うた。
「これでいい」
「本当にそれでいいのか?」
これでいいと再び答えると、神様は空間を埋め尽くす巨大な肝臓に姿を変え、俺はチェーンソーを構えて微笑む不気味な男たちに取り囲まれていた。
「もう一度聞こう」と、神様が吠えた。
「お前は、本当に、それで、いいのか?」
俺は震える手で「やっぱりこっちにします」と『それ』の偽物のほうを取った。神様は満足げに唸った。
「それでいい」
目を覚ますとそこは現実世界で、俺は冷蔵庫に冷やしてあるノンアルコールビールのことを思い出した。
1つだけ
心優しい天使Aはしばしば地上に舞い降りて、だれかの願いごとを1つだけ叶えてあげていました。
あるとき、不幸な青年が言いました。
どうか、この世界を終わらせてほしい、と。
天使Aは彼に銃口を向けて引き金を引きました。天使Aは青年のことが好きだったので、悲しくなりました。
あるとき、疲れた地球が言いました。
そろそろこんな世界は終わらせてくれ、と。
天使Aは大きめの小惑星を手配して地球にぶつけました。天使Aは地球のことが好きだったので、悲しくなりました。
あるとき、鬱病の天使Aは別の天使Bに言いました。
もう、この世界を終わらせてほしいんだ、と。
天使Bは天使Aをタイムマシンに押し込んで、10^N年先の未来に送りました。きっと、その頃には天使たちもこの宇宙と一緒に滅びていることでしょう。
それから、天使Bはイッツ・ア・スモールワールドを口ずさみながら天空を周回していましたが、しばらくすると涙があふれて声が詰まって歌えなくなってしまいました。それは天使Aが好きだった歌でした。