「はじめまして」
女の子が泣いていた。暗い部屋の隅で、顔を隠して。高身長が故に中学生にも見えるけれど、彼女はきっと小学校高学年くらいの年齢で、スカートではなくズボンを履いて、髪を無造作に後ろで一つに束ねて。必死で涙を拭うその子はまるで、泣くことを拒んでいるようだった。泣き虫な自分なんか嫌いで、だけど涙は勝手に流れてきて、そんな弱い自分を誰にも見せたくなくて、少女は一人で泣いていた。
彼女の顔は流れる涙を拭い続ける手で遮られて見えないけれど、私は直感的に理解した。あれは、私だ。小学生の頃、何をやっても失敗ばかりで、うまくいかなくて、泣いてばかりだった私だ。あの時は辛いことが重なって、まるで世界の終わりみたいに落ち込んでいたっけと、俯き泣き続ける彼女の背中を見ながらボンヤリ思い出す。当然、今の私からしたら些細なことばかりだ。あれからもっとしんどいことも辛いことも経験したし、思い返してもあれは小学生の小さな世界での絶望だったのだと苦笑するレベルだ。
だけど、目の前の小さな少女を見ていると、決して笑うことなどできなかった。だって彼女は必死に戦っている。私が言えたことではないが、彼女は彼女の世界に訪れた絶望と、必死に向き合っているのだ。たとえ今の私にとっては小さなものだとしても、それは乗り越えたからこそ言えるものである。その経験をしたからこそ、私は今こうして、前を向いているのである。
そうだ、私は言いたかったんだ。目の前の少女に。大丈夫だよ、未来はきっと笑えるよ、楽しいよって。幸せだよって、言いたかったんだ。
少女の隣にそっと座り込み、顔を見ないまま言う。きっと私なら、泣き顔を見られたくないだろうから。
「こんにちは、はじめまして。私は−−−−」
「またね!」
私には親友がいた。いや、正確には私は今も親友のつもりだ、連絡をとっていないだけで。ここ一年程疎遠なだけで。
彼女との物語を語るには、十年以上遡る必要がある。何せ保育園時代からの仲なのだ。出会いも仲良くなったきっかけも全く思い出せないし、正直物心ついた時からそばにいた。一緒に生まれてきたと言われても信じただろう。それほど彼女は随分昔から隣にいた。二人なら何でも出来ると思わせられるほど私たちは無敵だったし、実際どんな困難(難しい跳び箱や縄跳び、登り棒や戸板)も二人で乗り越えてきた。
しかし、物事には終わりがつきものである。別れは必ずやってくる。そう、卒園である。ちょうどこれくらいの時期だったか、私たちが永遠に一緒にはいられないと気づいたのは。それは幼い身にとって、永遠の別れに等しかった。毎日顔を合わせていた親友に、明日から会えないのだと悟った私の絶望はものすごかった。母親も我が子の絶望に気がついたのか、小学校に上がってから、一年に何度かのペースで会うようになった。もちろん一人で遊びに行けるような距離ではないから母親同伴で。保育園時代と違い、滅多に会えない親友と遊べる機会は非常に貴重であり、私はこの時間が無限に続けば良いのにと願っていた。きっと彼女もそうだったのだろう。しかし時間は止まってはくれない。楽しい時間は無常にも過ぎ去り、日没、帰る時間である。まだ遊び足りない、別れたくない小学校低学年の私たちは何を図っただろうか。そう、逃亡である。追いかけてくる親たちから二人で逃げ、隠れ、帰宅を拒否した。今思うととても申し訳ない気持ちでいっぱいである、特に彼女の母親には。二人は無敵だったのだから許してほしい。とにかく、「またね!」が言えなかったのだ。当時の私たちは。だって次の約束なんてなかったから。一度別れたら次に会うのは早くとも数ヶ月後だったから。
今の私たちは、会おうと思えばいつでも会える。そうしないのは、お互いになんとなく連絡を取りづらいからである。連絡手段はいつの間にか手紙からLINEに変わり、会いにいくのも容易になった。正直こうしてダラダラと電子機器のアプリに文を綴るよりも、言葉を送らなきゃいけない相手がいることに、やっと気づけた。久しぶりに連絡してみようかな。
「そういえばあの子、今月誕生日だったな」
「春風とともに」
春は嫌いだ。何かが確実に変わってしまうから。一年かけてやっと慣れ親しんだ環境も、この季節を皮切りに全く違うものになろうとする。何も変わらない、変われない私を置いて。別れへの寂しさ、出会いへの不安。春なんてしんどいことしかないのに、どうして世間は門出だ新生活だと、そうも明るくいられるのか。何も考えていないような春の陽気さとは裏腹に、私の心は荒んでいた。
視界の端に明るい色が映った気がして、ふと顔を上げる。頭上では、早咲きの桜が完璧なパフォーマンスで腕を広げていた。そういえば毎年ここの桜は咲くのが早い。他の桜たちは入学式に間に合わないが、こいつはちょうど良いタイミングで花を纏うのだ。いつだったか、自分もピカピカのランドセルを背負って、胸を踊らせながらこの木の下で写真を撮ったっけ。あの頃は毎日が楽しくて、変化が嬉しくて。自分が変わっていくのが楽しいと、真正面から言えたのに。
満開笑顔の桜を見ながら思い出す。新品の黄色い帽子を深々とかぶってお兄さんお姉さんについていったこと。ランドセルではない大きなリュックが新鮮だったこと。制服というものを着て、鏡の前でクルリと回ったこと。必死になって自分の求める進路に手を伸ばしたこと。慣れないバス通学が、マンガの世界みたいでワクワクしたこと。ブカブカのローファーさえも嬉しかったこと。あんなに希望に満ちていたではないか。ふっと微笑みを向けたのは、眼前の桜へか、過去の自分へか。見上げていた桜から目を下ろし、再び歩き出す。先ほどよりも幾分か軽い気がする心を、春風が優しく包んだ。気がした。
「…変わるのも、悪くないかな」
「涙」
泣くことは、弱さの象徴である。悲しい時こそ歯を食いしばって、笑っておどけて笑わせられて一人前。誰かの前で泣くことなど言語道断。仲良しのあの子は、辛いことがあった時、私の隣で泣いてくれる。きっと私のことを信用してくれているからなのだろうし、それはとても嬉しく思う。ただ、それと同時に、彼女を本心から慰めると同時に、こんな弱い人間にはなりたくないとも思う。最低で結構、友を信用していないと罵ってくれて結構。舐められたくない、弱い人間だと思われたくない。強くなりたい。強くありたい。
そんな私が、今こうして人前でボロボロと涙を流していることに、どうか言い訳をさせてほしい。3月の下旬、春、別れの季節である。何かというと、部活の先輩が、引退してしまうのだ。丸2年、本当に本当にお世話になった先輩方が、私の前からいなくなってしまう。そのことがどうしようもなく寂しくて悲しくて、プライドなんて丸めて捨ててしまうくらい、涙が止められなかった。辺りには私と同じ様に、目からボロボロ水滴を溢しながら鼻を啜る1、2年生が座っていて、その前方では先輩方が花束を受け取っていて。まっすぐなその背中は、私が2年間追いかけ続けた背中だった。最後まで遠く及ばなかったけれど、少しでも追いつきたいと、手を伸ばし続けた背中だった。あぁ、置いていってしまうのか、先輩方は。こんなにボロボロで、前すら見えないような後輩達を。
大きな花束を抱えた先輩たちが、揃ってこちらを向く。2年部長の合図で、私たちは一斉に立ち上がる。あぁ、涙声が恥ずかしい。それでも、この言葉だけは言わなくちゃ。涙を拭って、こちらを微笑みながら見守る先輩たちと目を合わせる。今までの宝物のような思い出が頭を駆け巡り、視界が滲むのをどうにか堪えて、部長の合図に合わせ大きく息を吸い込む。「いかないで」も「あとは任せて」も言えないけれど、どうか、この言葉だけは届いてほしい。大好きな先輩たちへ。ありったけの思いを、涙声にのせて。
「ありがとうございました!!」
「風が運ぶもの」
3月にもなったというのに、吹き付ける風はまだまだ冷たい。未来の後輩たちの合格発表や先輩方の卒業式など、桜が似合うようなイベントは既に終えてしまったというのに、季節は交代を拒むかのように素知らぬ顔である。外へ出かけるにはコートが必須だし、通り過ぎる人はマフラーや手袋に身を包んでいる。冬が特段嫌いなわけではないが、そろそろ春に表舞台の出番を譲っても良いのではないか。
3月に対する理想と現実のギャップに思いを馳せつつ、通り過ぎる冷たい風に身を縮める。冬将軍、なんて季節外れの言葉がぴったりなほど、今日は風が強い。さすがはかの有名な皇帝を打ち破ったほどの将軍、一筋縄では退いてはくれない。そんな彼に太刀打ちできるほど私は強くないので、今日も大人しく通り過ぎるのを待つのみである。
未だ硬く閉ざしたままの桜の蕾は、入学式には間に合うだろうか。今よりも幾分柔らかくなった風が、桜の花びらを巻き上げながら春を告げるところを想像して、ふと口が緩む。無情にも冬の停滞を主張し続けるこの風が、いつか春の来訪を知らせてくれるのを今日も待っている。
北風が春風に変わるまで、あと何日かかるだろうか。
「春はまだ遠そうだなぁ」