僕は金髪の少年が死喰い人だという確信を持っていた。賢いハーマイオニーは違うというけれど、僕は彼だという確信があった。それを証明するものを探すために、彼をいつも忍びの地図で監視していた。最近彼は、…ドラコ・マルフォイは一人でいることが多い。一体何をしているんだ、必ずつきとめてやると、彼から目を離さなかった。
彼は前と比べて毎日少しずつやつれているように見えた。しんしんと降り積もる雪のように白かった肌は、青白くなり、元々細かった体はもっと痩せ細っているように見えた。そして、そして、最近気がついた事なのだが、彼は、彼は笑わなくなった。
入学してから、最近の、本当にほんの少し前までは逆に笑った顔しか見なかったのだ。ニヒルに意地悪くいつも嫌な笑みを浮かべて同寮の連中と話していたし、僕と話す時はより一層その笑みを深めていかにも楽しそうに、すれ違ったらこれ幸いと不毛な皮肉をぶつけてきたり、嫌がらせをしてきたりしたのに。
最近では一切そのような絡みをしてこなくなった。ハーマイオニーはアイツはもう懲りたのよ、とかもう少なくとも子どもじゃなくなったのよ、と言うけれど。
最近は僕に絡みにくるどころか、マルフォイが僕の姿を見つけると、僕に気が付かれるよりも早く、音を立てずに、その場からいなくなるのだ。まるで、一人でいる今の自分のことを僕に見られることが恥だと言うように。
あんなにマルフォイを持て囃していたスリザリンの連中も、最近では彼を無視するかのように振る舞うことがあるのだ。
彼はどんどん一人になっている時間が増えている。最近では、学食でも見なくなった。
そうして最近、彼は夜中にどこか知らない部屋に篭っているのだ。この部屋はどこなのだろう、と僕は首をひねる。
毎夜その部屋に彼は行っているのだ。
怪しい。ついに僕は透明マントを取りだして彼の後を追いかけた。
ーと
その部屋には不思議な魔法道具のようなものが多数存在していた。それらは希少なものなのだろう、だが、それら全ての存在感をかき消すように、部屋の真ん中にある、大きな鏡に思考を奪われた。忘れもしない、ーみぞの鏡だった。
彼はその鏡の前に座り込んで鏡に手のひらを着いて、鏡を見ている。誰もいない、しいんと静まり返る、この部屋で。
マルフォイはとても穏やかな顔で鏡を見ている。僕は彼のそんな顔を初めて見た。
そうして、彼は鏡に、驚くほど柔らかい、優しい笑顔で、花も恥じらうような美しい笑顔で、笑いかけた。
僕はどきりとした。その笑顔は鏡に向けられているのに、どうしてかはわからないが、まるで僕に向けられているような錯覚がしたからだ。
僕は自分の感情の整理に戸惑っていた。そしてもう一度彼を見た。
でも彼の笑顔は刹那だった。少しずつ弱々しいものになっていき、壊れそうな笑顔になった。眉が八の字に曲がった。そうして彼は俯いた。瞳から、ぽろぽろ涙が零れた。
「…………たす…けて……助けて……僕を……僕を助けて…」
彼は泣いていた。
僕はその場から縛られたように動けなくなった。
目が覚めると、髪の毛が短くなっていた。
昨日まで肩よりも長かった金色の髪が、後ろ髪がシーツに散らばることがないほど短く、代わりに前髪が目の上に掛かっている。
「……え、」
思わず漏れた声はいつもより心なしか高かった。
記憶を思い出してみる。タイムターナーのような、美しい時計のペンダントに触れた気がする。でも本で見た希少なタイムターナーの見た目よりも、もっと繊細で美しく、銀色に輝いていたような気がする。
そんな思考も、鏡の前に立った瞬間に吹き飛んだ。私は、…僕は今はもう懐かしい学生寮の中に立っていた。そしてその中に白い細い幽霊のように浮かぶ僕は、今よりも幼い顔立ちをしていて、瞳がグレーに輝いていた。
学生時代の僕だ。思わず左腕の袖を捲り上げて見る。一生消えることのない闇の印がある筈の、その左腕には、真っ白な肌があるだけで、そこには何も無かった。
僕は呆気にとられた。タイムスリップをしてしまったというのか。しかも、自分の存在ごとだ。そんな高度な魔法が一体どこにあり、誰にできるのだろう。僕の脳裏に、あの優しい瞳をした、綺麗な白い髭を生やした、偉大な魔法使いの姿を思い出す。
そうか、あの人は今、ここにいるのだ。あの人は今、この時代で、生きているのだ。僕が15歳なのだから。僕の腕に闇の印がないのだから。
「ハハハ、」と乾いた笑いをする。こんな静かな笑みでさえ、どこか輝いている。
僕はどうせ、またあの人に頼るしかないのだ。
あの人なら僕を元の時代に返してくれるのだろう。
あぁ、どの顔をして助けてくれなんて言えばいいんだろう。
項垂れて、どれくらい経ったんだろう。
朝を告げるチャイムが鳴った。
今は、この時代の僕を過ごしてみるか、と思った。軽はずみな考えかも知れないが。
教科書をまとめて、部屋を出る。
クラッブとゴイルが僕の後を寝ぼけ眼でのろのろ付いてくる。僕の真後ろで、火に呑まれて死んだクラッブが生きている。胸が苦しいと思った。ゴイルともいつ会ったぶりなのだろう。でも澄まし顔で威張った傲慢なふうを装って歩く。僕はこの時こうだったはずだ。すれ違う学生たちのひとりひとりが懐かしい。もう僕が一生声をかけられない者ばかりだ。ホグワーツの戦いで、死んでしまった奴らにも多くすれ違う。その度に、罪悪感で心がキリキリと痛む。
彼らは今この瞬間はまだ生きている、この瞬間はまだ僕の友人で、学友で、ライバルで、でも敵というそんな大それたものとなっている者は誰もいない。学生も、先生も、そして建物も、あの頃のままだ。何も失われていない、失われることなど誰も夢にも見ていない、今はもう、記憶の中でしか存在しない景色だ。
風が吹いて、僕の髪を揺らす。そしてそっと、僕は振り返った。
時が止まったように感じた。
赤毛と、もじゃもじゃの髪の真ん中に、黒いあちこちに跳ねた髪が見えた。おでこに稲妻の傷跡がある。赤毛が僕の方に気がつき、次いで彼が僕に気がついて、げえ、といやな顔をする。横のグレンジャーが、無視よ無視、と彼に言っている。
彼は僕と最後に会った時よりもずっと幼く、そして僕の記憶に鮮明に残っているそのままの姿で、そこにいる。
息子も、妻も、英雄という肩書きも、何も背負っていない、僕と穏やかに話したりしない、ただの、ーただの僕のライバルでしかない、ムカつく奴でしかない、ハリーポッターが、いた。
僕の目から、ぽろぽろと、涙が溢れる。溢れて、溢れて止まらなくなる。
緑色の目が、見開かれる。
「ハリー、」
自然と、口から零れていた。
「久しぶり、ハリー。君に、君に言いたいことがあるんだ」
涙のように、口から言葉が溢れた。
緑色の目が、驚きに染まった。
「僕と、友達になってくれないか」
ぽろぽろ涙を流しながら、優しく微笑んで、苦しそうに、そんな世迷いごとを、僕は言った。
涙が、流れて止まらなかった。
最悪だ!と金髪の少年は思った。(最悪だ最悪だ最悪だ)正確に言うとこのように深刻に深く思っていた。
双子に薄めた真実薬のようなふざけたものを盛られたらしい。どうして僕がこんな目に合わなければいけないのだ!と憤慨した。
正確に言うと金髪の少年が彼らの弟である、赤毛の少年に学校中に知れ渡るレベルの嫌がらせをしたからである。
思いきり理由があるが本人は気がついていない。そしてかく言う双子の方も弟の復讐が2割、残りの8割はなんか面白そうだからという理由だろう。
そんなふわっとした理由が積み重なり金髪の少年は今日1日誰とも口が聞けないという事態に陥っている。本来であれば休んでしまうのだが生憎、今日は魔法薬学のテストがあり休んでしまうと最高評価を狙えなくなってしまうのだ。
ぶすくれた顔で押し黙って僕が授業を受ける姿は周りには非常に珍しく映るのだろう。ちらちらと僕の方を見る不快な視線を感じる。
今のところ同じ寮の奴らに3回ほど話しかけられたが全て無視を決め込んでいる。
大丈夫だ。このまま声を発さずに一日を過ごせばいいのだ。
…だというのに!
偶然、本当に偶然、いつもの黒髪の少年とその取り巻きの2人と廊下で出くわしてしまう。いつもは僕が狙いすましてバッティングするのだが出会いたくない今日に限ってぴたっと正面で向かい合ってしまった。
赤毛が「ゲッ」とわかりやすい声を上げる。
赤毛にイラッとしたが必死に堪えて無視しようと通り過ぎようとする。
すると、あまりに珍しい僕の行動に取り巻きの少女が目を見開いて、同じく無視しようとしていたのだろう、別の方向を向いていた当の黒髪が顔を上げてこちらを見た。ぱちり、と目が合った。最近絶対にこちらを見てくれなかった瞳が僕の方を向いた。
「へえ、今日は僕のこと無視しないんだな、英雄殿?」スラスラと、本当にスラスラと口をついて言葉が出てきてしまう。しまった、今日はたとえどんな嫌っている相手であろうと口を開かないと決めていたのに。でもまだただの皮肉に聞こえる。物凄く情けない皮肉だが。このまま言い逃げしよう。
「ぷッ、コイツ無視されてるって言う自覚があったのかよ」ぶははと笑いながら赤髪が黒髪に耳打ちしている。
それにカッと頭に血が上ってぺらぺらとそれはもう言わなくていい事までぺらぺらと、多分今日1日本音を言わずに抑えていたせいであろう、魔法薬の効果が爆発するように、心に秘めていることを全てぶちまける勢いで口が動いてしまった。
「煩いな、本当に煩いなお前は。僕が何回英雄殿に大声で皮肉を言っても無視されるのに、僕が近くに行くとお偉い英雄殿は嫌な顔をして席を立ってどこかへ行ってしまうのに、お前はどんなどうでもいい何も考えてない声掛けでも構ってもらえて、隣にいても何も言われない。汽車で僕はわざわざ彼を探しに行って僕から、この僕から手を差し出したのに、お前のことを悪く言ったために手を取ってもらえず、かく言うお前はただ汽車で席が同じになっただけで今日までずっと彼の無二の親友だ。お前なんてよく英雄殿が持て囃される度羨ましそうな目で見ているだろ、時々本当に彼と別行動したりして他の友達とつるんで見たりしてるだろ。そんな事をしているのに。お前は英雄殿の1番の親友じゃないか。
僕はお前が本当に羨ましい。お前になりたいと何回思ったことか。生まれ変わったら僕はお前になりたい、心から僕はお前が妬ましいと思っている。英雄殿に毎日構ってもらえるのなら、家柄も血も寮も、どうだっていい、」
言っているうちに、僕は自分が何を口走っているのかわからなくなっていた。ただ言い切った後に顔を上げると、赤毛はぽかん、と本当に間抜けな顔をしていて、当の黒髪の彼は、口を開けて僕を見て唖然とした顔をしていた。マグル生まれの彼女だけは落ち着くように数回深呼吸をしたあと、「…あなた、もしかして魔法薬か何か盛られたのね?」と聞いた。
「ああ双子に真実薬を盛られた。だから今日一日中黙っていて、君たちに会っても無視しようとしたんだ」言い終わったあとこれ以上赤くならないのではないかと思うくらい顔が真っ赤になった。口をぱくぱくする、恥ずかしさから目に涙が滲む。
「お、お前たちに忘却呪文をかけて今日一日の記憶を消してやる!!!!!!覚えてろ!!!!!!」
矛盾するようなことを言って一目散にかけ出す。
取り残された3人はあまりの衝撃発言の連発にしばらく動けなくなっていた。
特に当の黒髪の少年はそれから暫くの間立ち尽くしていたのだった。
そうして、そして黒髪の少年は授業が終わった後で、彼を探しに行ったのだった。
今日も今日とて、忌々しい黒髪に嫌がらせしてやろうと此方の方へ1人で向かった彼を探す。
あのあちらこちらに跳ねた特徴的な黒髪はすぐに見つかるだろうと思っていたのに、なかなか見つからない。ずんずんと歩いていく。今日はあの取り巻きのふたりが先生に呼び出しを食らって居ないため絶好のチャンスなのだ。
僕は一向に見つからない黒髪を探して、中庭に入ってしまった。「……チッ」誰もいないだろうと、踵を返そうとすると、人の気配のようなものを感じた。思わずそちらの方に行ってみると、ばく、と心臓が変な音を立てた気がした。
彼奴が寝ている、木の影で。
何だこの鼓動は。思いがけないところにこいつが居たからびっくりしたのだ。
1人で、読んでいたのだろう本が横に落ちている。なんて無防備だ。
チャンスだ、と僕は持っていた魔法薬を握りしめる。これを思い切り目の前の相手にかければと意気込むが、待てよと立ち止まる。
目の前で誰もいない状況で忌々しいこいつが眠っているなんてそんな面白い状況ないではないか。もっと他の嫌がらせを考えたい。なにがいいだろうか…此奴の着ているものにイタズラを仕掛けてもいいし…うーんうーん…そう唸っているうちに目の前の男の特徴的な変な方向に跳ねた黒髪が目に入った。
そうだ!こいつの髪を少し拝借しよう!そうして変身薬を作ってこいつの姿で思い切り悪さをしてやるんだ。付き合っているらしい彼女に勝手に別れを告げてもいいなとニヒルな笑みで思案する。そしてそうなれば即実行だと、彼の前に音を立てないように座り込んでそうっと手を伸ばす。自然と顔が目の前になる。眠っているこの男の唇が目に入る。自然とこの前の記憶が蘇る。こいつに嫌がらせをしようと隠れていたら部屋に入ってきたのは2人で、こいつとこいつの彼女が入ってきたのだ。最悪な状況だと吐き気を催しても音を立てたらバレてしまう。まぁこれもこいつをからかう絶好のネタになるだろうとじっと2人のやり取りを見ていたら、ゆっくりこちらまで伝染するような甘い雰囲気になってこいつが彼女にキスしたのだ。びくっとして飛び上がりそうになったのを寸前で抑えた。目の前で世界でいちばん憎たらしくていちばん知っている男とよく知らない綺麗な顔をした女がキスをしている。それは何度もお互いにしているような慣れた甘いキスだった。いたたまれなくなって、そっと音を立てずに後ずさって、そのまま気が付かれないように部屋を出ていた。こいつに恨み節を心の中で吐きながら。
その唇が、今目の前にある。どうしてもその日の記憶が思い起こされる。そうして、ーそうして本当におかしな事に、自分でも頭がおかしくなったことを、正気を疑うのだが、頭の中で、キスされている相手がいつの間にか僕に成り代わっていた。おかしい、おかしい、どうしてなのか体が熱くなる。何を考えているんだ、頭がおかしいのか、そう思うのに、無意識に、本当に何も考えずに、自分の薄い唇がこいつの唇に近づいて行った。
ちゅ、と小さな音を立てて、唇に触れたのは一瞬で、そうしてばっと顔を離す。沸騰するように頭が熱くなる。は?は?僕は今、目の前の男に何をした??弾かれたように体を離す。僕は頭がおかしくなったんじゃないか????
そこにいられなくなって、踵を返して走り出す。
僕は、僕はなにをしたんだ!!!
「…は?」
金髪の少年が走り去った後で、黒髪の少年の口から堪えきれずに声が漏れる。
金髪の少年がそっと忍び足で近づいてきた時点で起きていたが、余りにも面倒くさいので反応しないことにして、どうせなにか大変に面倒くさいことを考えているのだろうなと、こいつ風邪でも引いて毎日休んでくれないかな僕の前に現れないでくれないかななどと、思っていた。
目の前に来て髪に触れられたかと思った。どうせ僕の髪でポリジュース薬でも作るのだろうと思ったら、唇を重ねられて、一瞬で離された。そして薄目で真っ赤に顔を染めて僕を見つめる憎たらしい少年の小さな顔が見えた。
意味が…わからない。
彼奴は頭がおかしくなったのか?惚れ薬でも飲んだのか?そうであったらどうせ双子あたりに盛られたのだろうなと思った。
それか僕に対する新しい嫌がらせか?僕の体にキスをされたことでなにか異変が起きる呪いなどだろうかと真剣に黒髪の少年は見当違いのことを悩み出していた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
1番最初の記憶は、もう上手く思い出せない。僕はただ気がおかしくなるほどの時間を過ごしている。同じ時代を、永遠に。
僕はひとつの時代に閉じ込められていた。僕はある時から、死ぬと、とある同じ地点の自分に戻るということを繰り返していた。
今がそうだ。12歳の誕生日の日に戻っている。
この世界は僕に何を求めているのだろう?神がいるのなら、神は僕に何を求めているのだろう?
何万回したかわからないため息を吐く。何回目の人生なのかわからない。
何を変えればいいのかも、なぜ12歳の誕生日なのかも、分からない。
やれることは全て試した。
母親が死なないように原因となる車の窓ガラスを割って妨害したり、はたまた母親が死ぬ道を選んだり、これから起こる事件を人が死ぬ前に解決したり、大災害が起こるとじぶんのしうる色々な方法で伝え死人を最低限に抑えるようなこともした。でも、なにも、変わらない。窓から身を投げても、自殺を何度試みても、同じ地点に戻る。ふざけるな、ふざけるな、とうわごとのように呟く。肉体は傷一つないからだに戻っても、精神はとうに狂ってしまっている。世界は僕に何を求めているのだろう。
僕は1000年ほどこうして過ごしているのではないかと感じていた。実際は300年くらいだろうが頭がおかしくなるには十分な時間だ。
あぁ、誰か教えてくれ。僕はこれからどうしたらいいんだ?どうしたら死ぬことが出来るのだろう。僕は100年目あたりから、もう死ぬために生きていた。永遠の生など呪いでしかない。
「だれか、だれか教えてくれよ、いるんだろ?見てるんだろ?」そう呟いても、やがて声の余韻が消えていくだけだった。