春風とともに
なんて爽やかなんだ。リョウは顔立ちは嫌味のない醤油顔のイケメンで、背はすらりと高く、笑顔も振る舞いも爽やかすぎる!
並んでいると、まるで春風とともに歩いているようだ。
そんなリョウが、私に顔を近づけて、
「サエ、どうしたの?憂鬱そうだけど?」
うわぁ悶死する!至近距離のイケメンはさらなるイケメン!
「リョウがきれいだから見とれてた」
「なーに言ってんだよ。サエの方が可愛いよ」
「いやーリョウのイケメンは、ちょっと種類が違うんだなぁ」
「ワケわかめ!な、城址公園に桜見に行こうよ」
手を繋いで公園まで行ったら、桜は満開を過ぎて花びらがどんどん散っている。こういうのも綺麗だなぁ!リョウも綺麗だなぁ!
この春に、信じられないことにリョウから告られて、有頂天になっている私。それこそ、春風とともに舞い込んだような恋だ。
No.153
涙
顔の神経って、きっちり左右に分かれているらしい。
私は過去に、霰粒腫(さんりゅうしゅ)という、ものもらいよりも大きな、上まぶた全体が腫れる眼病を患ったことがある、まぶたが腫れていると視界が狭まるし、なにしろ鬱陶しい。眼科のお医者さんが手術するというのでお願いした。
部分麻酔で切り取ってもらったのだが、それからがたいへんだった。麻酔が切れた頃から、手術した右目が痛くてしょうがない。「麻酔が切れたんだな」と我慢するしかなかった。次の通院は、2日後だった。
さて、次の日になると、さらに痛みが増して堪らない。子どもがまだ幼稚園児だったので、痛みをこらえて送って行った。すると、親しいママ友が私に言った。「鈴木さん、顔が縦半分の右側だけ真っ赤だね。鼻も縦半分だけ赤いよ」
眼帯をした目はとにかく痛くて辛かった。顔半分だけ違うなんて、まるで阿修羅男爵のようだね。
帰宅してから眼帯を取って鏡を見たら、右の目からだけ涙が出ていた。ポロリポロリと出てくる。
片目だけ涙が溢れるなんてことが有るんだと、その時知ったのだ。
さて、この話には後日談があります。
痛みに耐えて、指定された通院日に行くと、診察した先生が「あ、こりゃ痛かったね。ガーゼの糸が残ってたよ」ですって!痛かったワケです。
No.152
小さな幸せ
幼少の頃、母のストレスのはけ口にされ、ネグレクトされ、つらい毎日だった。朝食は、夜仕事に出て朝帰る母は寝ていて、昼も寝ていて、夜、出かける前にカップ麺か菓子パンを1つ放り出していく。1日1食だった。
その出掛け、いきなり突き飛ばされたり、蹴られたりすることがあった。何が起こったか分からないまま、母は鍵をかけて出かけていく。
毎日、外に出ることもなく、ひもじい私は、アパートの一室で膝を抱えていた。幼児だから一人でシャワーを浴びる才覚もなく、汚くて臭かったと思う。
ある日、アパートのドアの鍵が急に開いて、大人が入ってきた。管理人のおじさんと、かすかに知ってるおばさんだった。「マリン!」と叫び、そして、「この子です!管理人さん、ありがとうございました」おばさんが言った。
母の母、つまり祖母だった。「マリン!こんなになっちゃって」汚い私を抱きしめて、背中を擦ってくれた。
そこから、私の人生が激変した。細かいプロセスは小さいから分からなかったが、私は祖母に引き取られ、祖父亡き後の家に引き取られた。
温かいお風呂に祖母と2人で浸かったときは、今まで知らなかった気持ちよさに、滂沱の涙を流した。「マリン」祖母も泣いて、私の手をぎゅっと握ってくれた。
出来立てのご飯を貰って食べた時は、美味しくて美味しくてまた泣いた。
それからは、そういう生活が続いて、私は祖母の下で成長した。母は1度も現れなかった。現れなくて良かったと思う。時々あの頃の生活を思い出して震えることがあったから、会ったらどうなったか想像がつかない。10代で私を産んで、母もたいへんだったのだろうけど、それは今なら思うことだ。
祖母が現れた最初の頃の感動は、小さな幸せなんてもんじゃなかった。大きな大きな幸せで、世界の色が変わった。私は救われたんだと、子ども心に理解していた。
No.151
春爛漫
だいぶあったかくなってきた。ガード下のいつものねぐらで、毛布をはねて寝ていた。ここに住んでもう5年、お気楽でいい。
家族や仕事に気を使うこともなく、起きたい時に起きて、眠たくなったら寝てる。1日に1回か2回、メシを貰うためにコンビニにへつらって店の前を掃除する、なんてことはするが、嫌なことはそのぐらいだ。
あちこちからアルミ缶を集めて売ってくる仲間もいるが、俺はやらない。やってみたことはあるが、自販機の空き缶入れから持ってこようとして警察呼ばれたし、アルミ缶だって、集まると重いんだぜ。
時々、「俺はこんなところで何をしているんだ?」と自問自答してみるが、考えるのがきらいだから、いつの間にか寝てる。
さぁ、今日は散歩に行くか!ここから少し歩くと、小さな公園がある。狭い段ボールの家でずっと過ごすと、からだに悪いかなと思い、時々そこまで行って帰ってくる。俺なりの運動だな。
今日は、本当にあったかい。歩いていたら汗が出た。だが、公園の手前からどうも人が多い。ぞろぞろと、俺と同じ方向に歩いている。なんなんだ?やりにくい。
公園に着いたら「これか!」と腑に落ちた。入り口と真ん中にある大きな木に、桜がいっぱい咲いている。おとといも来たが、気が付かなかった。桜の木だったんだ!みんな、あれを見に来たんだな。
しばらく、遠くから桜を眺めた。もっと近づくと、きれいなカッコした人に、臭いって言われると悪いからな。桜、ホントにきれいだ。なんだっけ、これ?
あー、春爛漫って言うんだったなぁ。
No.150
七色
部屋の隅で、何かがかすかに動いている。しゃがんで目を凝らすと、カミキリムシだった。そのまま、背中のところを持って、テーブルに置いた。背中の羽が七色に光って綺麗だ。
「お前、どこから来たんだ?」思わず聞いてみたが、むろん返事などしない。黙って、長い触覚をゆらりと動かす。冬だから、窓はほとんど開けないし、体長3センチはあるカミキリムシが、どこから来たのか不思議だ。
しばらく、その七色の背中を眺めていたが、ふと何を食べていたのか気になった。いつ入り込んだか分からないが、その間ずっと食べられなかったとすれば、弱っているに違いない。
調べたら木の葉や花びらを食べるようだが、男やもめの殺風景な部屋に、観葉植物など無い。
可哀想になって、外に出してやろうと思った。近くにあったクリアファイルに乗せて、顔をよく見た。
「ん?お前、寒さに弱いかな?」
小さな口をモシャモシャ常に動かしている。「ん?『枯れた草の下で越冬する』かぁ」
庭に出て、植え込みの根元のあたりに置いてみた。カミキリムシはもそもそと移動して、枯れ葉の陰に消えようとしていた。
その七色の背中を、しばらくオレは眺めていた。
No.149