逆さま
日本三景の一つ、京都府の天橋立(あまのはしだて)は、股のぞきで有名だ。体を前に曲げて足の間から見ると、橋が昇り龍のように見えるという。
天橋立だけでなく、股のぞきすると違う世界になって新鮮に見える。見える世界が逆さまになって、雰囲気がまったく変わるのだ。
そう言えば最近、股のぞきはしていないなぁ。今度見晴らしの良い場所に行ったらやってみよう。
年を取った今だからこそ、見えるものが違うかも知れない。
眠れないほど
乳児には、眠ってまた起きる、という概念や経験がないため寝ぐずりするらしい。眠りに落ちるとき、これで目の前にいる人たちとの別れだと思ってしまう。なにか大きな力で、瞼が重くなってきて、どうしても目を開いていられない。大好きなママやパパと、もう会えないかも知れない!と思ったら、悲しくなるよね。
さて、東日本大震災のとき、放射能流出と騒がれたいわき市に住んでいた弟夫婦から、まだ3歳だった甥を預かった。祖母である私の実母と一緒だからか、特に困らせることなく、淡々と普通に生活していた。
でもそんなある日、弟夫婦が甥に会いに来た。それはそれは喜んではしゃぐ姿を見て、やはり寂しかったんだなと、胸を突かれた。
一晩泊まった次の日、お昼寝をさせたら寝ている間に帰ると、大人たちは打ち合わせていた。いつも通りが良いだろうと、母が連れて行って寝かしつけようとしたが、これがなかなか眠りにつかない。興奮と、せっかく会ったパパとママが帰ってしまうのではないかという心配があったと思う。それは、眠れないほど辛いことだったのだ。
眠りの概念と経験が邪魔したことになる。結局、いつも昼寝しているので、粘って粘って3時間で撃沈した。その間に弟夫婦は帰ったのだが、2人とも帰りの車の中で号泣したそうだ。久しぶりに会った息子とまた別れなければならなかったのだから、そうだろう。
そんなふうに眠りについたが、甥は目覚めるとぐずることはなく、「パパとママは?」「うん、お仕事に行ったけど、また来るって」
その意味は分かったのだろうに、賢い子だから、また淡々と日常生活に戻った。
戻ったのがまた切なく愛しく、あの3ヶ月間は私にとっても複雑な思い出になった。
夢と現実
私の知り合いに、臨死体験をした人が2人居る。2人とも、お花畑と川がある場所まで行ったという。
1人はパステルカラーのお花畑でキレイだなぁとぼぉっと眺めていたら、対岸から亡くなった叔母さんがあっちへ行けという手振りをしたので戻ってきたそうだ。
もう1人は、原色の派手な花が咲き誇るお花畑を通り抜け、対岸から亡くなった母親と従兄弟が手招きしていて、そっちに行きたくて川を渡ろうとしたら、ものすごい濁流渦巻き、渡るに渡れなくて戻ってきたという。
この2人の話からも、お花畑は本人のイメージから成っているのが分かる。おそらく、死ぬほど出血したり、ひどい病気だったりして、「もう死ぬのか」と思ったところから、脳内でその構図を作り上げるのではないか。要するにある意味ひとつの夢だと推察する。
本人の現世への心残りで、戻ってこようとするとき、そのストーリーも自分で作るのだろう。呼ばれたり、あっちへ行けと言われたこともだ。
さて、本当のところ「あの世」があるのかどうかも分からないので、これ以上は言えない。でも、現実に生きながらえた2人はいま、充実した生活を送っている。
夢でも現実でもいいが、戻ってきて良かったのだと思う。
さよならは言わないで
大学生の時、好きになった人は、既婚者だった。通信教育課程でスクーリングに行っていた私は、体格も顔立ちも態度も、非常に大陸的な同級生に急に挨拶されて驚いた。まったく見ず知らずだったから。それから毎日挨拶を交わし合ううちに、私はどんどん彼に惹かれていった。
そんな私の幼い恋心に、彼は付き合ってくれただけなのだろう。授業の合間に話をしたり、お茶を飲みに行ったり、美術館に行ったりと、手も握らない、現代では考えられない恋だった。なにしろ、50年も前の話だ。
通信制は、普段は家で勉強し、レポートを単位数提出して合格しなければならない。それにスクーリングで授業を受けた単位をもらって、取得単位が満ちれば進級、卒業となる。
そのスクーリングの短い間、彼とこうしていられたらそれでいい。終わったらお別れだ。私は自分なりにそう決めていた。
約40日の過程がすべて終わり、これが最後という日、「解団式をサボってお茶しに行こう」と彼が言った。「そうだね。単位に関係ないもんね」と、2人で御茶ノ水の坂を降り始めた。A教授は厳しすぎるとか、B教授は面白かったとか、民事訴訟法が難解だとか、楽しく笑い合いながら歩いていた。
そう、楽しかったのに、ふいに、押し寄せるように涙が湧いてきた。私は被っていた麦わら帽子で慌てて顔を隠した。急に黙った私に気づいて、彼は「どうした?」と帽子を取ろうとするが、私は両端をしっかり掴んで離さなかった。
私の気持ちを察して、彼は2歩ぐらい前をゆっくり歩いていく。涙を拭いて帽子を被った頃、彼は振り向いて「さよならは言わないでね」
先手を取られた、と私は思った。だが、また涙が出ると困るので、黙って頷いた。大きな手が差し出されたので握手をして、私の小さな小さな恋は終わったのだった。
光と闇の狭間で
安藤忠雄さんという建築家がいる。表参道ヒルズや、日本各地の美術館をデザインしてきた、日本有数の一級建築士だ。
その作品の中に「光の教会」がある。コンクリート打ちっぱなしの壁に十字にすき間があって、外からの光で十字架に見えるというデザインだ(大阪府茨木市)。なんでも、水、風、光の三部作の一つだという。
表の光の強弱で微妙に形や色、表情を変えるこの十字架は秀逸だと思う。外の光と、教会の建物の中の闇が融合して、荘厳で敬虔な雰囲気
を醸し出す。
光と闇の狭間で神に祈りを下げる気持ちは、さぞかし落ち着いて穏やかなことだろう。淡々と純粋な祈りが捧げられるだろう。