#8 夜の海
夜の海は怖いなんて君は言うけれど、僕は好きだ。
君と見る、満月が揺蕩う深夜の海は格別だった。
月のような優しい笑顔の君も美しかった。
__もう、見ることは叶わないけれど。
ゆっくりと、海水に浸かる。
深い深い藍色の海に、自分が溶けていくような感覚がする。
あの日と同じように、月光が優しく僕を包み、潮風が頬を撫でる。冷たい。
「今、そっちに行くから」
僕はそっと目を閉じて、波打つ海に身を委ねた。
#7 君の奏でる音楽
君と出る最後の吹奏楽コンクール。
本番前の舞台袖、君と「きっと大丈夫、頑張ろう」って言い合う。深呼吸を一度。舞台に案内される。
僕は君の奏でるホルンの音が大好きだった。
柔らかくて、でもその中に凛々しさがある音が好きでたまらなかった。
いつも君の音に聞き惚れていた。
いよいよ本番だ。今日まで金賞目指してずっとずっと頑張ってきた。その成果を出すとき。
胸が高鳴る。緊張で気が狂いそうだ。落ち着け。いつも通りに。落ち着け、落ち着け__
ちらと君を見やる。偶然、目があった。不意に笑みがこぼれる。
きっと大丈夫だ。僕らなら、きっと__
指揮者を見据える。
君の音色は誰よりも輝いているだろう。
指揮棒が始まりを告げた。
#6 麦わら帽子
私は今でも鮮明に覚えている。
お母さんが買ってくれたのって、自慢の麦わら帽子を被った君は、とても可愛かった。
でも、突然いたずらな風に盗まれてしまった。
気まぐれな風に遊ばれながら、麦わら帽子を追いかけて。
追いついたと思ったら、木の上に引っかかってしまった。君の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
そこに、そう。あの人がやってきて、いとも簡単に帽子をとったんだ。
はいどうぞ、って、爽やかな笑顔を見せて、君に帽子を手渡した。
君は希望に満ちた、世界で一番幸せなんじゃないかと思える、満面の笑みでありがとう、と言った。
私はその横で見ていた。
いいな。
なんて。
君の心に、あの人がいることぐらいわかっていた。
少し苦い、思い出。
ただ、それだけだ。
もう、今は何の意味もなさない。
__結婚おめでとう。
お幸せにね。
#5 終点
お客さん、終点ですよ。降りてくださいね。
……どうしましたか。何か事情でもありますか。
終点にはいつまでも立ち止まってられませんよ。
時も人もあなたに構う暇なんてないんですから。
無慈悲ですか。そうかもしれませんね。
しかしここで止まっていると、置いていかれますよ。
……私はただの一介の車掌ですから。それも冷たい。
あなたのことなんか知ったことではありません。
やめるなら勝手にやめなさい、としか言いようがありません。
……一つ言うならば、これからに少しでいいから期待したほうが楽しいですよ、ということです。
一縷の望みに賭けませんか。どうせこのまま捨てるなら、そっちの方が愉快ではありませんか。
……失礼、出しゃばったことを申しましたね。無責任さは自覚しております。
さ、長話が過ぎましたね。
ご乗車ありがとうございました。
__またのお越しをお待ちしております。
#4うまくいかなくたっていい
この人生、うまくいかないことだらけ。
うまくいかなくたっていい、なんて綺麗事通用しないことぐらいわかっている。
けれど。
そう思える日が来るまで、うまくいくかわからないけれど、うまくいかないなりに、頑張れるだろうか。
あなたも、あなたなりに、頑張れますように。