寂しさが凍る前に
また、氷った果実が流れてきた。
「なぁじいさん、1日何回も流れてくるこいつらは何なんだ?」
少年は隣の切り株に座っている老人に訊いた。
「そンなこと言ってないで、はやく掬ってやりなァ」
老人は答えない。少年はため息をついて、果実をすくって、まとめて籠に入れた。そして水の音に見送られて、ふたりは閑静な森を歩いていく。沈黙が続いていた。
小屋に着くと、老人はさっそく鍋に湯を沸かした。少年はいつもと同じように、すくった果実たちを鍋に入れていく。そして氷が溶けるまで煮込むのだ。
「なぁ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?俺はもう、ここに来て1ヶ月は経つぜ」
老人はロッキングチェアに座っていた。口は開かない。
「おい、この火にかけるのだってなんか意味あんだろ
。俺はそれをちゃんと知ってやるべきなんじゃないか」
少年は老人の目を見据える。観念したように、老人は話し出した。
「───そいつらァはな、死んだ人だ」
「は?」
「心をもう戻れないとこまで、自ら凍らしちまった人だ。ホントはなァ、こうなる前に、お前さんみたく社会の中に孤独を感じたら、勇気だして逃げ場所探したり、もしくはァ誰かが凍りそうな心を溶かしてやらんといけねェんだが……お前さん、そいつらを凍ったまま食べて見ィ、冷たく刺すような、叫びが聞こえそうな味がするさ。だから最後にこうやって心を解かして、美味しい料理にするンだ」
少年はその日、いつもと同じように作った果実のタルトが、いつもと味が違うように感じた。
12月20日『寂しさ』
ひとりごとラジオ
日曜日の昼間。少女は今日も森の奥の廃墟へと向かう。コンクリート製の倉庫のような建物で、シャッターは無く、室内はほとんど自然と一体化している。この天井に小さなスピーカーが付いていて、定期的にラジオが流れるのだ。誰が何処で流しているかは分からない。ただ、時間になると、番組が始まるのだ。番組は一般のラジオと同じく、時間によって異なる。パーソナリティはだいたい1人で、ちょうどひとりごとに似ていた。少女は番組を聞くために、毎週日曜日は、逃げるようにしてここに来る。これだけが、今の心の支えであった。
木漏れ日を眺め、少女はひとり、苔むしたお気に入りの椅子に座って、ラジオを聞く。
「───こんにちは、今日もいかがお過ごしですか?とりとめもない、ひとりごとラジオの時間です。ふふ、最近ね、私が子供のころの日記を見つけまして──中学生くらいの頃の。読み返してみるとね、思春期ちゃあんと悩んでましたよ、懐かしくて笑っちゃった。『生きることに価値なんてあるのか』だって、ふふ。ヒトが生きることに価値なんて元々無いのにね。そもそも、価値とか役立つとか美しさとか、そんなのヒトが勝手に決めたものじゃない?車だってヒトが使わなきゃただの粗大ゴミだし、森だって人に『綺麗』って言ってもらうために紅葉するわけじゃないし。でもね、せっかく命っていうアイテム持ってんだから使わなきゃ損よ。人生なんていくらでも装飾できる!なんてね、こうやってひとりで吐き出すと楽になれるのよね、ふふ、あ、そういえば──」
これを放送しているのが、未来の少女自身だと、この時の少女は、まだ知らない。
12月17日『とりとめもない話』
初雪祭
僕の街では、初雪が降った次の日は必ず晴れて、虹がでる。これを狐の嫁入りのためだと考え、"きつね様"たちを祝福するという、初雪祭が、朝から夜まで開催される。稲荷神社から商店街まで、雪や氷を活かした美しい露店がずらっと並ぶのだ。小さいころから僕の冬の楽しみのひとつで、初雪が降るのを胸を躍らせて待っていた。そして、今年もその日がやってきた。
僕は幼なじみのユキと露店が並ぶ道を歩いている。彼女は「雪のお祭りなんて、私のためのお祭りみたいなものじゃない?最高!」と、例年のようにはしゃいでいた。
「ねえ、何でさっき一緒にかき氷買わなかったのよ、こんなに美味しいのに。勿体ないわ」
ユキは狐に似せてトッピングされた新雪のかき氷を見せてきた。けれど僕はこの街のみんなと違って、生まれつき冷たいものが苦手だ。
「うーん、寒いせいで不味そうに見えてたのが、寒いけど美味しそうって思うようにはなったんだけどね…」
だから僕は露店の食べ物より、氷の彫刻や氷細工に興味がある。氷の糸で織った緻密な掛け軸や、黒いキャンパスに描かれた霜の絵画、雪と氷のグロッケン……初雪祭は芸術で溢れている。一方、ユキの目的は真逆だ。
「あ、綿雪飴だ!買ってくる!」
なんて言ってまた駆け出して行ってしまった。自由奔放である。でも、彼女の喜んでいる顔を僕が一番近くで見れる点は、どこか優越感があって、悪くはない。そんなふうに思いながら、僕はまた、ユキを待つ。
12月16日『雪を待つ』
鈴蘭と朝露
まだ空が霞んでいる早朝の岬に、ふたりの少年がいた。
「おいおい…仲間、だろ?ここまで一緒に来ただろ?お前と、俺と、皆で……何でそうなるんだよ!」
タウは声を荒げた。波が音を立てて、岬の崖を打つ。
「うん、仲間だよ。いや、正確には仲間だった、かな。ごめんね、僕は平穏を汚す人は嫌いなんだよ」
カイは微笑んで言った。冷たい空気を纏っている。
「何だよそれ、お前、俺らは同類だって───」
早朝だからか、タウは頭痛を微かに感じていた。
「えぇ? まったく、冗談はやめてくれよ」
カイは肩をすくめる。
「僕と君の共通点なんて、猫を被っていることくらいじゃあないか。僕は皆に何一つ危害を加えていない。知ってるかい? 集団主義の怖い部分は、異端の者を見つければすぐ排除しようとするところだ。でも皆は優しいからね、できない。だからこうして僕が代表して行うんだ」
カイの言葉を聞いて、タウは演技をやめた。
「あっそ。俺をここから突き落とそうって?力は俺の方が優位だ。お前、先にネタバレするんじゃなかったな」
「"先に"?あれは"解説"だよ、小説で言う"後書き"さ」
タウは訝しげにカイを見つめる。
「もっと解説が必要かい?まあ、最期だし教えてあげるよ。そうだなあ、君、この高原によく生えている、鈴蘭の毒性を知っている?」
カイは足元の鈴蘭をハンカチで包み、折って、見せる。
「……まさか、お前」
「やっと分かった? 良かった。もうすぐ効いてくるはずだよ、頭痛が酷くなってきただろう?」
葉に残っていた小さな露が、消え落ちた。
12月10日『仲間』
黄泉帰り
手を、繋いでいた。真っ暗な洞窟は、私のすぐ前を行く彼の姿をも闇に包む。確かなのは、まだ恋人でもないのに繋いだ右手の感触だけ。ふたりの足音が岩肌に響いている。
「きっともうすぐだよ。ほら、微かだけど光が見える」
振り向いてはいけないという言い伝えがあるため、彼はずっと前を向いている。
「───ここを出たら、ずっと君に言おうと思ってたことがあるんだ」
洞窟で結露した水滴が音を立てた。
「…どんなこと?」
「今は、言えないよ。ここじゃ顔も見れないし…それじゃあ君を連れ戻すためにここまで探しに来た意味がなくなっちゃうじゃないか…」
「…お願い、今、言ってよ」
私は涙声になっていた。今じゃないと、だめなのだ。右手に力が入る。立ち止まってはいけないという言い伝えもあるため、彼は足をとめなかった。少しの沈黙があって、彼は口を開いた。とても穏やかな声だった。
「───君が好きだよ。きっと、君が考えてるよりもずっと前から」
前方の光がだんだんと強くなってきた。外が近い。
「───ありがとう」
人は、命を失ったらもう取り戻せないんだよ、だから私は、もう戻れない───とは言えなかった。光は目の前にある。私たちが向かっているのか、光が迫ってきているのか。
「私も、好きだったよ」
これが、精一杯だった。
この声が彼に届いたかどうかは、分からない。
12月9日『手を繋いで』