「白燐さんって、なんで俺のことわざわざ引き取ったんですか?」
晩酌。今日は年にだいたい数回だけあるふたりだけの時間。
いつもより奮発して、少しだけでいい酒と肴で机を囲った。
なんでもない日にこんなことをするのは滅多にないから、ついペースがはやくなって、その分はやく酔いが回っていた。
「なんでっていわれても…なんだろう……なんとなく?」
「ひどぉい!もっとかっこいい理由があるのかと思って損したぁ!」
そう言って喉を鳴らして笑いながら、彼はまたコップの中の酒を一口飲む。白い喉が上下に動いていた。
目の前に座る彼の伸びた髪に身長、いつの間にか声変わりを迎えて少し低くなった声、豊かになった感情表現に言葉。
長いようであっという間。
この子も成長したなぁ、と感慨深くなる。
これが親の気持ちってやつか、と実感し始めたのはいつ頃だったろうか。
この子を引き取った時から、この子が「友達と遊んでくる」と初めて言った時から、この子が小さな子供を拾ってくるようになったときから。
思い返せば、色々あった。
「なんですか、そんなに俺のこと見つめて」
えっち、といたずらげに瞳を細めて笑いながら言われたから「別に何も無いですよぉ…まだやっぱガキだなぁと」
「ガキって…俺一応宇宙と同じくらいの歳行ってますからね?」
幼稚なようで中身のない言葉を交わしながら、また酒を飲む。
こうなることも、最初から決まっていたのかもしれない。
キンコンカンコン、半端に間延びした鐘の音が校舎全体に響く。
それは、もちろん生徒会室も例外ではない。
蝉が鳴き、日差しが体に容赦なく照りつけるある夏の日。
「みずきぃ~~……生徒会長権限でここにクーラーつけれたりしない…?」
「流石に無理…できたら苦労してないよ……」
書類を捌きながら会話をする。
外では大会に向けて部活動に勤しむサッカー部や野球部のかけ声、校舎内ではギターや小気味のいいドラムをならす軽音部やヴァイオリンやチェロの美しい音が聞こえる弦楽部。
それぞれの部活が、それぞれの時間とペースで青春の一ページを埋めつつある。
そんな中、生徒会室には多少の会話と蝉の鳴き声と紙がめくれる音が響く。
これも青春の一ページなのかな、とも思う。
ふと顔を上げるとチャイムの音が鳴って、気付けばもう夕方になっていた。
「やっばい!瑞希もう最終下校時間!!」
彼がそう言うから時計を見ると、時刻はとっくに六時を過ぎていた。
「本当、早く帰んないと!」
僕たちは急いで荷物を持って靴箱へと走った。
校門からでた瞬間、もう一度、キンコンカンコンと半端に間延びした鐘の音が響いた。
「コウ君~、これ作ってみない?」
画面を見ると、そこには「簡単フィナンシェ」と「おいしいババロア」という文字が映し出されていた。
ふたりともお菓子はあまり作ったことがなかったから、僕の二つ返事ですぐに作ることが決まった。
小麦粉に卵、泡立て器にボウル、バター。
材料を一通り買い出しに行ったり、冷蔵庫から出したりして揃えた。
メニューをみて試行錯誤しながら作ること二時間。
冷蔵庫で固まったバニラ味のババロアと良い焼き色のついたフィナンシェが姿を現した。
それからホイップクリームを泡立てて、さくらんぼやりんごを切って飾り付けると、世間一般でいう「映え」な分類に入るとてつもなく可愛らしいものができた。
生地が余ったついでにたくさん作った小さなクッキーもおいしくていい感じ。
ふたりで先に食べて、思わず「おいしい」と口に出た。
そして彼とふたりで顔を見合わせて笑って、いろんなことも話したりした。
後から帰ってきたみんなにももちろん作っておいて、みんなの食べるところも見た。
みんな反応は違えど絶対においしいと思っているような顔をしていて、胸があたたかくなった気がした。
こういう日常のささいな、つまらないことでも幸せを感じられるようになった自分が、前よりも人間らしくなったと感じた。
「マナがタバコとか珍しいじゃん、なんかあったの?」
同居人の大半が眠りについた午前2時、思わず目が覚めてしまったからベランダに出て先日買ったタバコに火を付けた。
いつもは同居人たちの前では吸わないのだけど、今日はなんだかどうでも良くなっていた気がする。
「あぁ…なんもないよ。旭こそ珍しいやん、こんな時間に起きとうとか。夜更かし?」
そう言うと、彼はばつが悪そうに目をそらした。
「なんか眠れなくてさ。今日くらいはいいでしょって思って」
いつの間にか彼は横に来ていて、「一本ちょうだい?俺も吸いたくなっちゃった」なんて言われた。
彼とは身長がほとんど同じだから、目立つピンク色の瞳とばっちり目が合う。
やっぱり綺麗な瞳だと思いながら、タバコの箱から一本取りだして渡す。
「ありがと」
彼がそう言って、ポケットをまさぐる。
「ねぇマナ、ライター部屋に忘れちゃった」
彼がこういうときは、「取りに行くのが面倒だから貸してほしい」の意味であることを最近分かってきた。
「しゃあないなぁ…ほら、もうちょいこっち来ぃよ」
手招きを小さくする。
「はい、どーぞ」
と彼が言ったから、こちらも顔を近づけてタバコの先端同士を合わせる。
じゅっ、と音がしたのを確認して離れる。
「ん、ありがとね」そう言って、彼は煙を吐き出した。
同居人たちが目を覚ますまでのふたりだけの時間。
「導くん?」
病室にいる彼は、以前の彼とまるで別人だった。
外見こそ髪が伸びただけであまり変わっていないけれど、性格だったり、言葉遣いだったり、そう言うところがまるで違う人のようだった。
「…えと、こんにちは?すみません、何も覚えていなくて。記憶喪失、みたいです」
彼の口から出た言葉は、かなり衝撃的なものだったのを覚えている。
記憶喪失、四つの文字が頭を素早く横切る。
事故に遭ってあるところの損傷によってなるとは見たことがあるが、まさかこんなに簡単に記憶がなくなるとは思いもしなかった。
「こんにちは。突然すみませんね。…白燐、と言います。あなた、導くんの親的な存在と言うところでしょうか…」
言葉を噛み砕くのに時間がかかったようで、しばらくしてから「おや、親ですか……」と呟いたのが聞こえた。
「そう、親。…退院したら私たちの暮らす家に行きましょうか」
それまではここで安静に、ですよ。と付け足すと、緩い返事が返ってきた。
「んじゃ、よろしくお願いしますね。白燐さん」
「ええ、よろしく。導くん」