導(しるべ)

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8/1/2024, 11:16:48 AM

「ねぇ、海に行きませんか?」
ある昼下がり、蝉が煩く鳴いていた。
「海、って…また急ですねぇ……導くん」
「だって、あついじゃないですか。夏と言えば海だし」
さぞ当たり前のことのように言うものだから参ってしまう。
これでもだいぶ慣れてきたほうではあるのだが。
「行っても良いですが、今日はちょっと用事があって明日の朝頃まで私居ないので……」
そう言うと、あからさまに抗議の言葉を言いたそうな彼がいつの間にかソファの隣に座っていた。
「じゃあ、いつなら行けます?」
まるで子供のような聞き方にくくく、喉を鳴らして笑う。
「じゃあ、こうしましょう!」
私が言うと、彼は「なんですか?早く教えてくださいよ」と急かすように言う。
「明日、もし晴れたら。晴れたら、ふたりで海に行きましょうか!」

7/31/2024, 10:56:11 AM

「ちょっと、外の空気を吸ってきます」
そういう顔が随分思い詰めていたようだったから、緩く「はあい、いってらっしゃい」と答えて再びペンを手に取る。
「今は、ひとりで居たいから」と微かに聞こえたのは気のせいだろうか。
研究所に彼を引き取って正式に辞職してからはや二年。
二ヶ月に一度の経過観察報告書を書くことが私に義務付けられた。
最近の変化、という欄で手が止まり、そういえば何が変わったのだろうと考える。
半年頃のときには意志の主張ができるようになった、会話が可能になった、初めて人の作ったものを食べられるようになった等、他にも色々とあるのだけれど、最近は少しずつ変化が明確に見られるようになったことがある。
“ひとりになりたいという時間が増えた”
成長を感じて嬉しい反面、親離れをしているという寂しさもある。
しかし、そういうときは大抵体調不良や精神不調だということは私だけが知っている。
ひとりになりたいということが増えたのはいいことだと思うが、体調不良や精神不調の時は少しばかりこちらも頼ってくれると嬉しいと思う。
それを一度話して見たところ、「それは、ごめんなさい。でも、迷惑掛けると思うので。ほら、俺面倒くさいし」とはぐらかされてしまった。
本人がそう言うならこちらもできるだけ干渉はしないと決めたが、時偶こっそりと見に行くこともある。
そういうのだから過保護だと言われるのは分かっているが、何せ記憶喪失になるまえ、子供の時の彼を知っているからこそ、過保護にもなる。
「ひとりになりたいなら、直接言ってくれれば良いのに…あの子は遠回しなんだから」

7/30/2024, 11:24:26 AM

「わぁ、綺麗。この子、澄んだ瞳をしていますね」
気配を消して掛けた言葉に、素っ頓狂な声を出して驚く彼が面白かった。
こういう人にはいたずらしたくなっちゃうんだよねぇと思いながら、人形を抱える。もちろん許可は取ってから。
陶器のような白い肌に美しく澄んだあんず色の瞳。
瞳の色が、切り揃えられた白髪によく似合っていた。
瞳はガラスでできていて三ヶ月ほどかかるけれど毎回海外から取り寄せていると聞いたときにはわざわざ三ヶ月も掛けて取り寄せる必要があるのかと疑問に思ったけれど、間近で見てみるとわざわざ取り寄せる必要が判るほどに美しい。
「この子の瞳、綺麗ですよね。…僕も、気に入っているんです」
彼を見ると、若草色の瞳を細めて微笑んでいた。
やっぱり、彼は人形のことになると感情が豊かになる。
「…そういえば、カタルさんの眼ってガラスアイ、ですよね?」
何かに気付いたように私の顔、特に瞳をじっくりと見つめる彼に、思わずたじたじになって後退りしてしまう。
それを追いかけるように彼は私の瞳をじっとみる。
だるまさんが転んだのようになり、遂には扉にぶつかる。
そのまま腰を下ろした私をみて、獲物を狙う猫のようにまた私の顔をじっくりと見つめる。
「…あのぉ……晶、くん?」
名前を呼ぶと、はっと我に帰ったように目を見開いた。
「ぁ…ごめんなさい……綺麗だったからつい…」
きれい、綺麗?私が?いや判ってはいたけど。自分でもこの眼綺麗だとは思うし。
しばらく彼は瞳をみつめて、ゆっくりと口を開いた。
「本当に、澄んだ綺麗な瞳をしてますね。人形の眼にしたいくらい」

7/28/2024, 11:21:05 AM

「夏と言えば花火でしょ!」
誰かのその発言で、今日急遽花火大会に行くことになった。
もちろん浴衣は絶対条件で。

「あれ良くない?フルーツ飴だって!」ひとり、藍色の髪の機械技師が言った。
鮮やかなマゼンタの瞳が、フルーツ飴や綿菓子、チョコバナナ等の甘味類が集まった一角をしっかりと捉えている。
「一緒に買いに行きますか?旭くん。私も食べたいですし」と、黒い結い髪の魔導師が瞳を細めて笑った。
「じゃあ僕も!」またひとり、蜂蜜色の瞳が特徴的な彼と紫色のインナーカラーが特徴的な兄弟ふたりが同時に。
その三人の買ってきたフルーツ飴や綿菓子は、最近の流行のど真ん中という感じで、いちごやブドウ、さらにはマシュマロなどがきれいにつやりとした飴でコーティングされていた。
僕はメジャーな林檎飴を魔導師から貰った。
薄い飴を一口齧ると、林檎の甘さと爽やかさが広がった。

それから数時間後、辺りはすっかり暗くなって、花火が見える王道のところに人が集まるのが見えた。
対して僕たちは人混みが苦手な奴らが多すぎるから、鑑定士の彼が知る昔からの穴場スポットで見ることにした。
赤、青、緑、黄色、白と、色とりどりの花火が空に模様を描いては消えるを繰り返す。
最後にとびきりの大玉の花火が打ち上がったときは皆揃って声を上げた。
数年ぶりの夏祭りは、忘れられないほど僕にとって美しい思い出になった。

7/27/2024, 10:31:19 AM

『お前はヴィランになる運命だった』。
そんなことを、もしも神様が舞い降りてきて言ったタチの悪い冗談なら、どんなに良かったか!
こんなこと望んだわけじゃなかったのに。
こんなもの、好きでなったわけじゃないのに。

拠点兼住居のソファで、気付いたら眠っていた。
体が固まって痛い。
机の上には、昨夜緊急任務の際の報告書。
そういえば書いてるうちに眠くなってそのまま寝たんだっけ、と考えながら、台所に向かってインスタントコーヒーをマグカップに注ぐ。

『お前はヴィランになる運命だった』
それは、自分が嫌いな自分が、自分に向かって放った言葉。
もしくは、自分の中に棲み着くすっごく性格の悪い神様が俺に言ったのかもしれない。
そんなことすら、今は思い出せない。
タチの悪い冗談だったら良かったと、何度思ったのかは、数十、数百億の年月を宇宙と過ごすうちにすっかり忘れてしまった。

「さて、報告書書きますか……」
まだ完全に覚醒していない意識と頭を安っぽい味のコーヒーで無理矢理叩き起こしてペンを持つ。
神様が舞い降りてきて言ったタチの悪い冗談なんて頭の中から消し去った。

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