導(しるべ)

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7/26/2024, 10:38:04 AM

『誰かのためになるならば、自分を犠牲にしてでも護るよ』
いつかの昔。
かつてヒーローだった頃、かつての仲間に向けて言った言葉。
そのときの、仲間のかおが、声が、言葉が、思い出せない。
護るべきものが、確かにあったころ。

結局、その護るべきだった人たちは護れなかったけれど。
未だにそのときのことがフラッシュバックして、後悔と未練で焼き尽くされそうになる。
でも、乗り越えないと。未練を捨てないと。
そう思いながら、日々胸の奥の痛みと闘っている。
「護るべきもの…か」

微かにひぐらしののなく声が聞こえてくる田舎。
予定の空いていたメンバー数人であるところの旅館に泊まっていた。
一足先に風呂から上がった僕は、丸い月のような窓枠に腰掛けて思いに耽っていた。
「透?」
誰かが入ってきた音に気付かなくて、うわあっ、と声を上げて窓枠から転げ落ちてしまった。
「わあ、大丈夫ですか?」と、彼から手を差し伸べられたから、その手をとった。
ふわりと広がった黒い癖っ毛は、濡れたまま緩く結われている。
その姿が、そういう意味ではないけど妙に艶っぽい。
「物思いに耽るなんて珍しいじゃないですか。なんかありました?」
そう言うと、彼は二人分の酎ハイ缶の一つを差し出した。
「吞まないんですか?…なら俺が飲んじゃおっかなあ?」
そう言われたので、僕は目の前の缶を取ってプルタブを開けて一口飲んだ。
勢いで吞んだからか、喉が灼ける感じがした。
「あは、結局飲むんじゃないですか。じゃあ俺も飲も」
彼はカシュッと音をさせて缶を開け、こくこくと喉を上下させて飲んでいた。
「それで?話を聞かせてくださいよ。護るべきものとやらの話」
酔いやすい性質なのか、既に少し頬を紅潮させた彼は、いつもよりも高いトーンでそう言った。

7/25/2024, 10:19:12 AM

ペットショップで鳥籠に入れられた鳥たちを見ると、昔の自分と重ねてしまう。
病弱で、満足に走り回ることもできなかった幼少期。
空を自由に飛び回る小鳥たちに羨望のまなざしを向けていた。
ただひたすらに、憧れていたんだと思う。
そして、劣情を密かに持っていたのかもしれない。
劣情というか、コンプレックスというか、そういうものを。
幼少期、そして学生時代にも、世間一般的に言われる『青春』とはかけ離れた生活を送っていたから。
僕にとっての青春というものは、もしかして病院なんじゃないかと思わせるほどに。

「久遠くん?」
はっと、意識を引き戻された。
今は講義中で、隣には極度の人見知りの同居人が座っている。
「大丈夫?なんか考え事…してたみたいだけど……」
僕にしか聞こえない声で問われる。
「大丈夫。ありがとう」
僕が言うと、彼はすっかり気の抜けて安心しきって頬が緩んでいて。
「良かったぁ…珍しくノートもとってないしと思って……体調悪いのかなとか思ってたけど…」
思いに浸りすぎて、ノートをとるのを忘れていたのは失敗だった。
後で見せてもらおう、と思って、今度はしっかりとペンを持つ。
窓から、小さく鳥のさえずりが聞こえた。

十数年前の僕へ。
今、僕はすっかり元気になって友達と日々楽しく過ごしています。
あのとき、頑張ってくれてありがとう。
今の僕はもう病院という名の鳥籠に囚われていません。
ありがとう。
そして、これからを楽しみにしていてください。

7/24/2024, 10:25:34 AM

ともだち、親愛、大切。
それらに当て嵌まるものはと言われたら、それは友情だと僕は言う。
それに限らずとも、青春、恋愛なんてものも、元々は友情が基盤となって出来たものではないのだろうか。
なんせ学生時代、そういうものをしてこなかったから完璧にわかるわけではないけど。
午前八時。
振り分けとして“学生”という職業に属している僕を含めた同居人二人は、珍しく僕たち以外全員予定がある日の土曜日を過ごしていた。
「そういえば、佐伯くんって結構人見知りですよね。…いや、断じて嫌味とかそういうのではなくて、どうやって僕たちとここまで仲良くなれたんだろうって思って」
それはもはや嫌味じゃないか、と言いそうになった口を閉ざして考える。
どうやってなかよくなった、思えば共に時間を過ごすうちに自然と仲良くなっていったのかもしれない。
「わかんない。なんか自然とこうなってたっていうか……」
そう答えると、彼はくふふ、と笑った。
窓から吹き抜ける風が彼のふわふわの白い髪を靡かせて、それはまるでどこかの神話のようだった。
「やっぱりそうですか。ここの人たち、めちゃくちゃフレンドリーだから自然と仲良くなってるんですよねぇ」
からっと笑って、彼は言う。
さっきのような上品な笑い方じゃなくて、心の底から笑ったような、雨上がりの空のような、子供のような笑い方。
彼がこういう一面を見せてくれるようになったのも、そういえば最近だなと頭の片隅で思い出す。
最初は人見知りが激しくてまともに話せなかったっけ、なんて思いだして笑ってしまった。
僕と彼がこうなったのも、友情のおかげかな、と思う。
「そういえば久遠くん。駅前に新しいカフェができたんだけどさ、そこのパンケーキが美味しいって評判なんだけど、ふたりで行ってみない?」
「あそこのカフェ、僕も気になってたんです!是非行きましょ!」

7/23/2024, 11:18:52 AM

早朝、いつもより早く目が覚めたから窓を見ると、朝顔が咲いていた。 
昨日まで蕾だった朝顔が、いくつも花開いていた。
マゼンタに青色、紫色。
鮮やかな花々が寝起きの頭と眼には眩しすぎるくらいの色彩を見せつけてくる。
今度色水でも作ってみようか、と頭の片隅で考える。
彼なら、その色を存分に活かして絵を描いてくれるだろうと。
あわよくば、その絵を店で飾ったり。
暖かい紅茶でも飲もうと思い共用のスペースへと足を運ぶと、お目当ての彼がソファで眠っていた。
こちらの気配に気付いたようで、目を擦りながらゆっくりと起き上がる。
「おはようございます……いつもより早いですね…?」
「おはようございます。今日はいつもより早く目が覚めましたから」
ソファで寝ると体痛めますよ、と言って彼を起こし、話を持ちかける。
「そういえば、今日朝顔が咲いていましたよ。色水でも作って絵を描きませんか?」
そう言うと彼は目を輝かせて「やっと咲いたんですか?ずっと楽しみにしてたんです!」と子供のように言う。
直ぐさま外に出ようとした彼を引き止める
「あ、その前に、紅茶を飲んでいいですか?」
すると彼は頬を緩めて「もちろんです。…僕も、ココア飲みましょ」と言った。
二人でキッチンに並ぶ初めての朝、無言だったけれど、なぜか気まずさも居心地の悪さも感じなかった。
「俺、朝顔ってまともに見るの初めてなんです。楽しみですね」

7/22/2024, 11:01:37 AM


「もし、タイムマシンがあったら、何年前に戻りますか」
微かにふるえた、今にも泣き出しそうな声で隣の彼は言った。
「タイムマシンなんだから、未来に行くこともできるんじゃない?」
僕がそう言うと、「ああ、確かに、そうですね。タイムマシンなんだから」と彼が言った。
「それで、いつに戻りますか。それとも、進みますか」
「僕は…戻るなら今日の朝かなぁ。みんなともっと話しておこうと思うから。……進むなら、二年後に進むよ。そのときに、僕自身も考えとか、けじめとかついてると思うし」
僕がそう言うと、彼は今日の朝、と虚ろに呟いた。
呟かれた言葉のひとつひとつは、そのままひび割れたコンクリートに落ちていったのが見えた気がする。
「それで、君はいつに戻るの。それとも、進むの?」
そう問い掛けると、彼は数秒考えるような素振りをして、ゆっくりと口を開く。
「俺は戻ると思います。立ち直ってる未来が見えませんから。それに、もっと馬鹿なことして笑いたかったし」
そう言う彼の声はもう震えていなくて、いつも通り、何もなかったような声色に戻っていた。
ヒーローたちとの戦いで、街は壊れて、僕と彼以外、任務に出ていた他のヴィランたちはもう既に斃(たお)れている。
もちろん、僕たちの仲間も例外ではない。
「タイムマシンなんて、ほんとにあったらどれだけ良かったか」

その声は、いつも通りの声をしていたけれど、仲間を助けられなかった後悔と罪悪感、ヒーローに対する嫌悪感なんかがごちゃごちゃに混ざったような声だった。

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