ネオンサインが怪しくに光る街は、いつでも私を歓迎する。
いつものバーで、いつもの仲間と、いつもの酒を飲む。なにも変わらない夜。
客の来ない、古いバーは、たった八人の仲間たちで賑わう。ビリヤード台にはトランプを散らかして、麻雀卓には人生ゲームを置いて。細長いカウンターのグラスは形も大きさもバラバラで、ワインや日本酒が並ぶ棚には怪しい瓶が混ざっていて。
つまり最高の隠れ家だ。
今日も黄昏時にバーは起き出す。
カラン、と乾いたベルが鳴り、大柄でスーツを着崩したオールバックのオッサンが入ってくる。散らばったものを隅に避けて、古びたロッカーから痩せた箒を取り出すと、店の中を掃き、次に濡れた布巾を用意して、集まってきた妖たちと手分けしながら店の隅々まで拭き始めた。
店がある程度片付いた頃、妖たちがさっとドアを開けて、ラフな格好をした若見えするであろろう女が入ってくる。オールバックのオッサンに笑顔で声をかけて、先ほど隅に寄せられた人生ゲームを麻雀卓に広げる。オッサンが苦笑しながらカウンターに入ると、
私が、やりたいこと。
本当にあるのだろうか。
きっとまだ、曖昧な靄のようなもので、誰にも言い表すことのできない不鮮明なことだ。
やるべきことはあるけれど、それをするのは義務だからであって、昔好きだったことも、なんだかやるべきことに分類されつつある。
私が、やりたいこと。
確かに何処かにあるのかもしれない。
雨が、降っている。
延々と、寂しい風をまとって、私を包み込む。
からりと晴れた空、燃え盛る熱を運ぶさらさらとした風、町を包み込む温かな日差し。その全ては、いつだって私の奥底にあるものに届かず、ただ遠くで嘲笑うようにしている。
輝くような仲間たちの色も、美しい友情の熱さも、届かなかった。そろっとカーテンをめくってこちらを覗うように、ただ少しだけ触れて豪雨を退ける。
それでも、長い時を過ごす私には、それを留めておける術がない。私の奥底で降り続く雨は、やまない。
だから
私はまだ、朝日の温もりを知らない。
世界の終わりに君と狂った茶会を開こう。
君はどこにもないブドウ酒を私に勧めて、私は答の無い謎を君に話そう。眠くなるまで退屈な話をして、ハーブティーも飲まずに永遠の時を過ごそう。
耳が良い君は、誰か来てもすぐに気がつくだろうし、手品を見せる私は、誰が来てもすぐに火をつけられるだろう。いつまで経っても冬眠中の小さな友人は、退屈な時間とともにティーポットに閉じ込めて、白いテーブルに絵を描きながら時が進むのを待とう。
世界の終わりに君と舞踏会に出向こう。
君は一等似合う燕尾服で私を迎えて、私は真っ青な棘のあるドレスで君をまとう。十二時の鐘が鳴り響いても、普段通りの姿で夜の喧騒を踊り続けよう。
踊りの上手い君は、死からの誘いも華麗に躱すだろうし、歌を歌う私は、死からの誘いも華麗に薙ぎ払えるだろう。意地の悪いのろまな女達は、他の観客とともに黒い夜へと投げ出して、永遠へと続く恐怖と快楽のワルツをふたりきりで踊ろう。
世界の終わりに、君と。
世界の終わりは、君と。
沢山の幸せを持ち寄って。
永遠の時は、君の。
大切なものを奪って。
世界の終わりに、君と。
何もかも忘れたまま過ごしたかった。
世界の、終わりに、君と!
丑の刻、妖共が浮足立つ重たい夜。
私は泥沼に沈んだような足を引きずって、街を歩いていた。時折、こちらを覗く何かがいるのだが、気にしている場合ではない。何もせずとも時は進む。
私は、ゆったりと黒い空を見上げて、音を立てて落ちる水滴に目を閉じた。その瞬間、まっくろけなものが私に纏わって、ぐるりと世界がまわった。
地面が解けて、空気は液体となり、私を闇へと引きずり込む。忍び寄る死の気配と共に、ずぶりずぶりと泥沼にはまる感覚が心地良い。
『最悪』
誰かの香の香りがして、眩しいものが私の中に流れ込んだ。そろっと目を開く。
雨の雫が、鮮やかな極彩色を含んで光っている。それも一つではなく、少なくとも私の周りはそれらに囲まれていた。ぼやけた視界でも判るほど、それは強く、濃く流れてくる。死の気配が遠のいて、足を絡めた泥沼は、ずるりと堕ちていった。
ぼうっとした意識の中で、君が浮かぶ。何故、此処にいるのだろう。
泣きそうな顔をした君は、私の無事を確認すると、ほうっと表情を緩めて私の頭を撫でた。優しくて、温かい気配は、泥沼の闇よりも深く沈んで私を守る。黒い雨は何時の間にか止んで、白い光が海の奥から顔を出す。私はかなり長い時を歩いていたようだ。ぷつん、と外界との通信が途絶えて、私は波に呑まれる。先程よりも幾分かましになった光は、私に纏わって消える。
外界との通信が戻ったら、彼に礼を伝えなくてはいけないな。そんなことを考えている内に、私の意識は完全に途絶えた。