【柔らかな光】
「死んだらさ、どんな人だったと言われたい?」
人でひしめき合う葬儀場。
そんな中で、親友が急に言葉にしたセリフに、僕は驚いた。
葬式に来ただけでも初めてだって言うのに、緊張してる僕にそんなことを聞かれても。
「え、考えたことない」
「だよな、俺も」
親友が僕を見て笑う。黒い学ラン姿は中学校でいつも見るのと同じもので、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
僕の初めて参列した葬式は、近所の駄菓子屋のおばちゃんとのお別れの日だった。
小学校に上がる前からお世話になった、身近な大人だ。
お菓子を買うとおまけをくれて。
悲しいことがあると話を聞いてくれて。
褒められたと自慢すれば、しわしわの顔で笑って一緒に喜んでくれた。
……もっと長生きすると思っていたのにな。
がやがやと雑談する周りを見渡してから、僕は親友を肘でこづいた。
「なんだよ、変な質問してさ」
「変じゃないよ。さっき、おじさんが話をてたじゃん。駄菓子屋のおばあちゃんの息子だって」
「ああ、あの人」
「母は誰よりも子供に優しかった、ってさ。話を聞いた時に、ほんとだなーって感じてさ。
俺もそんな言葉、誰かに言ってもらえたら良いなーとか思っちゃって」
親友が指で頬をかいた。
もちろん、僕も親友も死ぬ予定なんかない。
ただ、誰かに『あいつは良い奴だった』なんて思われてみたい……そんな親友の気持ちは、僕にとっては不思議な感覚だった。
そうなんだ、みたいな。
うまく言葉にできないけど。僕にはない不思議な気持ち。
そんな話をしていて、線香を上げる番が回って来た。
見様見真似で最後の挨拶を終えると、亡くなったおばあちゃんの顔が見えた。
柔らかな光を浴びて、幸せそうに昼寝をしている時にそっくりの顔。
それをみて、なんとなく。
なんとなく。
僕も、少し羨ましい気持ちがした。
【涙の理由】
「泣きたい時は泣いて良いと思うよ」
と、僕が彼女に話しかけると、名前も知らないその人は驚いたように僕を見てから、静かに涙をこぼし始めた。
深夜のカフェ。
どっぷりと日が暮れた窓の外の景色が、まるで額縁に飾られた写真に思えた。お店には、優しい灯りを落とすランプと、大人びたBGMが静かに流れている。
カフェというより、時間帯ならもはやバーに近い。
それでも、この柔らかな暖かい雰囲気は、やはりカフェ特有のソレだな、と僕は思っている。
「泣いていい、なんて初めて言われたわ」
彼女は涙を拭いながら、少しだけ笑った。
髪を長く伸ばした、大人のお姉さんだ。その顔は少しやつれていて、お腹には抱っこ紐で支えられている赤ちゃんがいた。
泣き声をあげてないから、寝てるのかもしれない。
深夜カフェに、赤ちゃん?
珍しいな、という言葉の代わりに僕は店主にココアを頼んだ。
泣いていい、なんて余計なことを言ってしまったかなと思いつつ、少し相手の笑顔に救われる。
「僕もこのカフェに初めて来た時に、店主さんに言われたので」
「そうなんだ。……常連さん? 学生が深夜にカフェとは驚いたわ」
「あー……たまに? 一応、大学生ですけどね。バイトが遅くなると、ここで朝を待つんです。……夜の道は怖くて、歩けないんですよ」
夜道恐怖症……と僕は呼んでいるが、本当は何と呼ばれるべきなのかは知らない。
そんな僕の逃げ道の一つが、この深夜カフェだ。
《深夜に居場所が欲しい人へ》と言うコンセプトのカフェは、たまにこうして特別な事情のある人が訪れていた。
「そうなのね。……私も朝までいてみたいわ」
「いたらいいんじゃないですか?」
「それは無理よ、赤ちゃんいるし」
彼女はしばらく黙って赤ちゃんを見てから、言葉をこぼすように呟いた。
「私ね、逃げて来たの。赤ちゃんの泣き声がうるさいと、怒られちゃって。普通の子じゃないから」
「?」
「この子、耳が聞こえないのよ。だから音楽や言葉で安心させることが難しくて、なかなか泣き止んでくれない子なの」
耳の聞こえない子と言われ、意外に思った。
そんなの見た目じゃわからない。
どんな声で泣くのか、そのせいでどんな辛い目に合っているのか、僕には想像することしかできないけれど。
『泣くな』と言われ続けていたなら、どれだけ辛かったのだろう。
お前のせいでーーと怒鳴られるのを想像して、僕の胸が軋む音がした。
彼女は暖かなコーヒーを一杯だけ大切そうに飲むと、暫く目を閉じて考えているようだった。
(それと僕はカフェインレスコーヒーを初めて知った)
それから暫くすると、赤く腫れた目で、赤ちゃんのために帰るね、と店を後にした。
彼女がなぜ泣いたのか、僕は知らない。
きっと、育児の苦労なんて経験者にしかわからないのかもしれない。
でも、彼女は赤ちゃんの為に泣いたのか、自分の為に泣いていたのか、朝までもう少しだけ考えていた。
できるなら後数時間……彼女と赤ちゃんが眠れますようにと、願いながら窓を見つめて。
【窓から見える景色】
車窓から見えたのは、みたこともない紅葉でした。
「わー! 見ろよ! 山一面が紅葉してるぞ!」
「うわぁ、ほんまや! 初めてみた!」
「俺たちは本当に遠くまで来たんだな……」
親友の角田と宮野をつれて、列車に揺られること二日目。
とうとう見たことのない景色をまえに、俺たちのテンションは最高潮に達していた。
今、列車が走っているのがどこかは知らない。
行き先も知らずに深夜に駆け込んだ駅から、適当に乗り継いで来たからだ。
県外なのはわかる。多分、西に向かってる。
けど、この冒険は初めてのことばかりでも、ちっとも怖くなんかなかった。
「今頃みんなどうしてるかなー」
「流石に高校生三人が失踪! なんて話題になっとったりせぇへんかな? 俺たち話題の人やん」
「それは無いさ。俺と角田はともかく、桜井の親は国会議員だ。子供の夜逃げなんて話題にもしないさ」
俺と角田と違い、宮野だけは冷静に言った。
確かに、そうかも。
淡白で仕事人間、そんな親の顔を思い浮かべて、うん、と言うと宮野がすぐに笑い返した。
「お陰で静かに旅行できそうだけどな」
「帰ったら怖いでぇ〜! 牢に入れられるかもしれへん」
「その時は三人一緒な」
「ぶっっっは!」
盛大に吹き出す角田に、俺も笑った。
抑圧されていた環境。
管理された家族。
監視される日々。
親のキャリアを潰さないように、と面目ばかり気にしていた俺を、親友が連れ出してくれたんだ。
今だけは、この時間を思う存分楽しみたかった。
例え、家に帰ったら、二度と外には出られなくなったとしても。
「安心しろよ、桜井」
「せやせや。俺たち高校生やで。危ない目にあっても三人ならどうにかなるって。もちろん、ヤベー事はせぇへんけど!」
「うん。ありがとうな、二人とも」
心から、勇気が込み上がる。
言葉が心に染みると、目頭が熱くなるんだって、二人が教えてくれた。
だからこそ。
「なぁ、記念写真撮ろうよ」
「ええなぁ! みんなで撮るか!」
「背景は車窓にしようか。紅葉が綺麗で映えるしさ」
「撮るでー!」
俺はこの旅を、これからもずっと忘れない。
【秋恋】
「これ、シュウレンって読むんだよ」
秋恋。
そう書かれた文字をなぞり、彼女は笑った。
栗色に染めた長い髪はふんわりと巻いていて、暖色のカーディガンと薄化粧も彼女にはよく似合っている。
高校で見るのとは違う姿に、僕は視線を彷徨わせた。同級生のはずなのに、彼女のが大人っぽくて、艶っぽい。
「そうなんだ。知らなかったよ」
僕は嘘をついた。
本当は知っているよ。秋の恋は長く続くなんて話も。
ただ。言葉を途切れさせたくなかっただけ。
君の声を、聞きたかったから。
「そっかー! 和哉くんにも知らないことってあるんだね」
「あるよ。何でもは知らないと言うか」
「ふふふ、ちょっとホッとしちゃった」
得意げに彼女が笑う。
好きと語る小説を開いて、彼女はまた紙の上に指を滑らせた。何度も読み込まれた跡のある本を彼女が愛おしそうに見つめる。
おい、本、ちょっと僕と位置を変われよ。何て口が裂けても言えないが……少しうらやましくはあった。
「この小説はね、同い年の男女が恋に落ちてく話なの。でも秘密もあり、謎解きもありで面白いんだ」
「恋愛小説なんだね」
「和哉くんも何か秘密あるよね? 当ててあげようか」
ーー好きな人、いるでしょ?
彼女の口元が強気に口角を上げるのを見て、僕はドキッとした。
知っているのだろうか?
もしかして、バレていたとか?
嬉しい気持ちと、恥ずかしい気持ちと、怖いものを見るような思いが一瞬で心の中で混ざり合う。絵の具を全て混ぜた時の、あの混沌みたいな感じ。
「当ててあげようか?」
「うん。……あ、やっぱり、まって」
咄嗟に僕は手を広げてストップをかけた。
赤い顔は見せられない。その勇気はなくて。
それに。今は。
まだ、恋を夢見ていたいんだ。
【空が泣く】
しとしと、と言うよりはサラサラとした雪の日だった。
「お空が泣いてるよ」
と言い出したのは俺に肩車されている姪っ子だ。
「空が? ただの雪だろ」
「ううん。今日のは違うよ」
何が違うのかわからなくて首を捻る俺。絵本の話かなんかだろうか?
生憎だが高校生になる俺に、絵本の話などちっとも理解がなかった。理系だから、と言うよりも本を読むのがそこまで好きじゃなかったから、さ。
アスファルトに沿って並ぶ住宅も、冬になると気まぐれに降る雪も、俺にとってはいつもと同じだし違いなどわからない。
しかし、姪はそんなことは気にせず。どこか不思議な様子で続けた。
「今日は何かが起こる日なのね」
肩車越しでも、姪がどこか遠くを見るような声で言ったのはわかった。
何がって……何が?
見上げようとして、俺の頬に雪が落ちる。液体となったそれは涙のように頬を伝った。
5歳児の話に真面目に受け止める俺も変かもしれない。
「そうなのかもな」
適当に答えると、うん、と姪は頷く。
それから事件が起こったのは、夜、雪が積もってからのことだった、