【鳥のように】
「知ってる? 鳥って恐竜の生き残りなんだって」
淡色の麦わら帽子を揺らしながら、自慢げに君が話した言葉を思い出した。
白いワンピースがよく似合う、本が好きな長髪の女の子だった。
忙しなく虫がなく夏休みの終わり。
暑いな、蝉も休暇を取れば良いのに、なんて思いながら耀哉はワイシャツの袖をまくりなおしていた。
黒のネクタイを締めながらみる、視線の先には死んだお婆さんの白黒写真。
耀哉の実家である古い日本家屋の古民家は、葬式の人で溢れていた。
「それにしても、意外だな」
「何がだよ」
顔を出してくれた同級生が耀哉の肩を叩いた。手にはノーアルコールビール。運転手だからと言い訳しながらプシュッと封を開ける。
もてなす側の耀哉は、おつまみが足りてるか客席を見ていた。
「東京にいたことだよ。都会ってやっぱサイコー?」
同級生の言葉に、苦笑して視線を戻す。
最高? どこが?
物価は高く、職は奪い合い。そんな都会に慣れた俺は、どうも最高とは思えず首を捻る。
「田舎だって良いだろ。ほら、広いし」
「草だらけなだけだろ」
「子供が遊べて良いじゃないか」
他愛のない話をしながら、二人は笑う。
しかし、ふと耀哉は思い出したように周りを見渡しはじめた。
子供の話で、思い出したのだ。
初恋の子がいた事を。麦わら帽子が似合う女の子は、どうなってるのか気になった。
「あの子は?」
「ん?」
「ほら、幼馴染の」
同級生に特徴を話すと、ああ、と声が漏れるのを聞いた。
「あの子は死んだよ。3年前、車に轢かれてさ」
え?
となる耀哉に、友人が苦笑する。
交通事故、ではあったが、どのみち病気で長くなかったらしかった。
余命宣告。そんな話は耀哉にとって初耳だった。
「……また会いたかったのに」
「ん。まぁ、そうだよな。弱いと病気や事故ですぐ死んじまう。死んでから急に寂しくなるよなーこーゆーの」
弱い人は死んでしまう。
その当たり前に視界が涙で滲む。
彼女の死は、今の耀哉には少し残酷だった。お婆さんも病気で亡くなった。健康ならあと30年は生きてくれたかもしれなかったのに。
あの子も、……そうか。亡くなったのか。
「生き残っていたら、彼女も鳥になったのかな」
「うんー?」
「いや、なんでもない」
ビールを飲む友人に語りかけ、耀哉は窓の外を向いた。外の電線にはスズメが仲良く止まっている。
それが少し羨ましくて。
耀哉はその日から、よく外を眺めるようになった。
あの鳥が、あの子の生まれ変わりでありますように。
せめて、次は、生き残れますように。
滅ぶ事を逃れた、あの鳥たちのように。
そんな何でもない願いで、淡くなった初恋を思い出すたび。耀哉の胸はチクチクと、小鳥に突かれているようだった。
【君の奏でる音楽】
心をなぞるメロディーに、心を奪われた。
放課後の音楽室。
普段は頑丈に閉ざされている防音の部屋は、その日に限り少しだけ空いていた。
僕は普段、音楽に興味はない。
けど、今日は嫌なことがあって、少し涙ぐんでいたから。偶然聞こえた音に、ゆっくりと足を向けた。
この曲はなんと言うのだろう?
その程度の好奇心。
だから君が弾いている姿を見たとき、なんで声をかけたら良いか、あるいは何も言わずに立ち去るべきか分からなくなってしまった。
君ーー宮野は、僕にとって程遠い存在だったからだ。
クラスでも目立つ男で、人懐っこく友達も多い。
お喋りで明るい性格は、僕とは正反対で、少し苦手。だから避けていた人物だ。
鍵盤の上で指が踊るたびに、彼の体が揺れてリズムを刻む。
強弱をつけて切なく響くメロディは、まるで恋の歌だ。宮野もそんな風に曲を弾くんだな、と思っていたら、急に曲が止まって後悔した。
「……そこで聞くなら、そばに来たら?」
宮野が俺を見ていた。
「ごめん、盗み聞くつもりはなくて。すぐ、帰るので」
「……帰るなよ。寂しいから、話し相手くらいなれって」
宮野は明らかに肩を落としたように見えた。いつも笑っているから、意外だ。
「う……うん。でも、なんで……?」
「なんでも」
聞けば。彼は今日、失恋したのだと言う。
僕と同じだ。
好きだと思っていた人に、他に好きな人がいたと、知ってしまったのだ。
その日から、僕らは放課後に音楽室で語り合う仲になった。
宮野が弾き手で、僕が聞き手。二人だけの秘密の時間。
秘密の友達、と言う関係だろうか。
宮野が好きな人が僕であったと気づくまで、まだ時間がかかりそうだった。
【麦わら帽子】
私は夏になると、麦わら帽子を作る爺さんを思い出す。
そう、最後に会ったのは猛暑だった。
ジリジリと焼けつく暑さと蝉の声がうるさくて、私はいつものように爺さんの家に転がり込んだ。
昔ながらの平屋。
縁側にゴロンと横になって景色を眺めると、緑の茂った山と青い空のコントラストはなかなかのものだ。
「おや、また来たのかい」
家の持ち主がやってきた。
愛想のいい、腰の曲がった爺さんだ。
私は片手をあげ挨拶すると、ふと彼の頭に視線をやった。
この家の爺さんはよく麦わら帽子を被っている。それが私にはどうにも不思議でたまらなかった。
人が帽子をかぶるのは珍しくない。問題はそのデザインだ。
彼の帽子は鍔が広く、花柄のピンクのリボンがついていた。
「前から不思議に思うが、なぜ爺さんはその帽子をかぶるんだ? 花柄は女物なのだろう?」
私は、水を差し出してくれた爺さんに思わず尋ねた。
爺さんは少し驚いた仕草をしたが、すぐに帽子に手をやった。
「変かい? 俺は変とは思わないんじゃがね」
「爺さんが普通でも、私は変だと思うよ」
「ははは、おまえさんに変と言われる日が来るとは、驚きじゃなぁ」
爺さんは屈託なく笑うと、隣に腰掛けて帽子を脱いだ。
「この帽子はなぁ……婆さんのために編んだ帽子なんじゃよ」
話をまとめると、こうだ。
帽子屋を始めて一番最初に編んだのが、老婆さんのための麦わら帽子だったそう。
老婆さんが亡くなり形見となると、彼女を忘れたくないと持ち歩くようになったのだ。
「誰しも。自分の死より悲しいものがあるとするなら、誰かに忘れられることじゃないかと思ってなぁ」
爺さんが愛おしそうに麦わら帽子をなでる。
その言葉に、私は亡き親友を思い出した。
自害をした私の友。
自ら車の前に飛び出しての最後だった。
『消えたい』と、いう彼の最後の言葉は、『忘れて欲しい』という言葉によく似てる、と。
でももしかしたら、『忘れないで』という言葉の裏返しだったかも知れない。
「そうかも知れないね」
「ははは、おまえにわかってもらえるとは意外じゃな」
爺さんは呑気に笑い、また帽子を被った。
その帽子が、私はどうしようもなく羨ましく思えた。
「なぁ、爺さん。私にもひとつ帽子を編んでおくれよ。そいつとお揃いのやつでいい」
「おまえさんにかい?」
「変かい? 私は変とは思わないんだがね」
私の言葉に爺さんは、声をあげて笑っていた。
そして私の帽子が、彼の最後の作品となった。
それ以来、毎日のように小さな麦わら帽子を被る。
私のような『猫』が帽子をかぶるのはおかしいかい?
だが、私は変とは思わない。
帽子の中には私の思い出が、たくさん詰まっているからだ。
【病室】
白いお部屋から帰ってきた子供がね、
夜眠る時
僕の腕をギュッと抱きしめて寝るんだ。
親友は、俺にそう語ってみせた。
子供の彼が入院したのは、一才の頃。
一才の記憶なんて、誰が覚えているだろうか。
生まれつきの持病がわかり、やっと衰弱した理由を知るには、少し遅いくらいだった。
でも、知らなければ死んでいた。
子も、親もだ。
病気により日に日に弱る君。
それはお前のせいだと、親を罵る周囲。
難病だから小さな病院では見つけられず、専門医に出会うまでは「大した病気ではないのに」と医者から嘘をつかれていたことなど、入院するまで誰が気づいただろうか。
入院初日、病室で泣きあう親子の気持ちは、きっと他にはわからない切なさを帯びていた。
子供はやつれていたが、親もひどいクマを作っていた。きっと子供が死ぬのが怖かったのだろう。
治療すれば治る。
けれど珍しい奇病の為、施術は困難。
だから入院は長引いた。その間に、子供は5才にになった。
その間に色々なことがあって、多くは病との闘いで、子供は逞しく成長した。
来年には学校にも通うのだという。
それでも。
やっぱり、寂しいんだね。
今でも親の手を、ギュッと握って寝る。
「行かないで」
と言うより。
「消えないで」
と願うかのように。他のことは、少し違う握り方らしい。
俺は彼らに、これからは良いことがたくさんあると良いと思う。病気が治ったことだけじゃなくて、他にも、色々なことが。
俺には叶わなかったから。
病室を卒業した君へ、幸せがありますように。
【お祭り】
お祭りは、何が起こるかわからない。
「夏の祭典だぁああああ!!」
と意気込んでいたのは数分前のこと。
俺は念願のコミケ会場でぶっ倒れたのだ。
この日の為に、バイトで金を貯めたと言うのに。
まさか、こんなことになるなんて。
「熱中症だね、無理しちゃダメだよ」
じきにスタッフが来るからね、と話すのは俺を助けてくれた三崎と言うお兄さんだった。
倒れた俺に気付き、スタッフを呼んでくれた親切な人。
そしてスタッフは他の客の対応や、熱中症に倒れた人の看護で大忙しなので、暫く話し相手になってくれていた。
「すいません。東京がこんなに暑いと知らず……」
ドンマイ、と三崎さんが苦笑して。半分凍ったスポーツドリンクを渡される。
頭に押し当てると頭痛が引くような気がした。
ありがたいけど申し訳ない。
本当なら今頃、お互いに薄い本を買い漁っていただろうに。
三崎さんの持っていたカラのトートバッグをながめていると、彼は小さな鞄にトートを折りたたんでしまってしまった。
「気にしないで。僕は帰るところだったから」
「帰る? まだ始まったばかりですよね?」
変わった人だなと思う。
「うん、ちょっと挫けちゃってね。君こそ、行きたいサークルがあったんじゃない?」
その言葉に、あっと思い出した。
「俺、『弱虫のミケ』さんの作品欲しくて来たんですよ!」
「……え?」
驚いたのは三崎さんだった。
「あ、知ってます?」
「うん、まぁ……でも、あそこは極小サークルだよ? 大した作品は……」
「そんな事! 無いです!」
俺は思わず声を荒げた。
「どんな作品も、“大したことない”物なんて一つもないですよ!」
……はっとして、我に帰る。
三崎さんが目を点にしていたからだ。
「えっと……その。俺は絵も文も書けないんで尊敬してて……!
何かを生み出すってスゲー事だと思うんっすよ!
特に『弱虫のミケ』のミケさんの作品は、繊細で、綺麗で、キャラクターの心情を丁寧に描くところが大好きなんです。俺なミケさんの作品読んで感動したことあって。泣いたことすらありまして…!
だから、その、大ファンで、つい……」
ごにょ、ごにょ。もじもじ。
言い訳を連ねる自分の姿が恥ずかしい。
ついでに頭もまたガンガンと痛み出して目が回りそうだった。
なのに。
そんな俺の事より、三崎さんのが顔を真っ赤にしていた事に驚いた。
「……そんな事、初めて言われた」
口元を手で隠し、遠くに視線を投げていた。
あ、え? うん?
どう言う事だろう。
あれかな、俺の発想が田舎すぎて恥ずかしい台詞を吐く人間でした的な……?
恥で死にかけてると、やっとスタッフがやってくる。
念の為、病院行きましょうと言われて、ヒィッと俺は悲鳴をあげた。
さらに追い討ちとなったのは。
「ミケさん、お手伝いありがとうございました」
とスタッフが三崎さんに投げた一言だ。
……え? まさか?
真相を確認する前に。三崎さんは雑踏へと消えてしまった。
お祭りは、何が起こるかわからない。
夏の祭りは特にそう。
会場を後にする俺。けれど、その心臓は、お祭り騒ぎで暫くうるさく高鳴っていた。